寺院情報
寺院名 | 泰涼山 勝山寺 |
所在地 | 西尾市瓦町21 |
御本尊 | 秋葉大権現 |
宗 派 | 真言宗醍醐派 |
創 建 | 寛延元年(1748年) |
札 所 | 三河新四国霊場 六十九,七十番札所 |
御朱印 | 〇 |
H P | - |
参拝日:2019年5月30日
三河新四国霊場札所一覧
沿革・由緒
西尾町大字瓦町の北側にあり。泰涼山と号す。本尊は秋葉大権現にて、其奥之院は不動明王、御前立は観世音菩薩なり。当寺は往古は上町村森下に在りしを、寛延元年(1748年)六月、城主三浦主計頭義理、現今のところに仮殿を建てて、之に移し、秋葉坊と称したり。後、義理霊夢に威じ、宝暦五年(1754年)五月、新たに本堂を建立して泰涼山勝山寺と改称し、以て西尾城の鬼門除けとなせり。
寺記に伝ふ。本寺は吉良家を始め代々城主の帰依深く佳節朔望毎に参拝、又は代参の事あり。殊に霊験著しくして弘治三年、今川義元の家臣飯尾某来攻の際には、城主義安当坊に祈願を籠めし結果勝利を得、後、また、三浦義理は連夜夢に美作国勝山へ所替の御告を蒙りしに世子明次の代に至り、果たして封を勝山に移されたりという。宝暦年間、堂宇は百有余年の星霜を経て、大破に至りしを以て明治二十六年、有志者の寄付を募りて再建せり。現今の本堂、即ち是なり。此他庫裏を有す。本寺最初の奥之院不動尊は延享五年、森下より瓦町へ移転の際。肴町より奉納せしものである。
明治五年に至り、藩主の祈願所たりし吉祥院、並御前立の不動尊に当寺に移し替ふるに及び、肴町より奉納の不動尊は別の場所に安置せり。
本寺は弘法大師の木像並聖天二体を安置せり。大師の尊像は元は名古屋市橘町「高野山出張所」に安置せられたりしものにて、年代も古く、且名匠の作なるべしという。
「西尾町誌」より
元々、西尾城から見て北東方向には「伊文神社」が鎮座しており、鬼門除けとなっていたと思います。その伊文神社からはすこし西側に行った所に「勝山寺」があります。
三浦義理が見たという霊夢により、「泰涼山勝山寺」が建立され、さらに義理の次代当主「三浦明次」の時、美作国高田に国替に際し高田城を勝山城と改称し、美作国勝山藩と称するようになったという。
これだけ崇敬篤かったら、国替えの際に勝山寺を美作国に移動させそうな感じもするのですが、そこは西尾城の祈願所(鬼門除け)とした関係上移動できなかったのですかね。
三河新四国霊場の納経帳を見ていると、勝山寺の本尊が不動明王と書かれています。あれ?秋葉大権現はいずこに・・・。
三河新四国霊場を行く
三河新四国霊場六十七,六十八番札所「薬王山 太山寺」の納経を終え、六十九,七十番札所「泰涼山 勝山寺」に向かいます。
勝山寺から西尾・碧南地区に入ります。札所順に遍路されていれば、西尾・碧南地区にて結願となります。西尾市二カ寺、碧南市八カ寺の合計十カ寺を遍路します。また、(旧)三河新四国霊場の札所だった寺院がそのまま三河新四国霊場の札所に選ばている寺院が多いのも特徴ですね。
参拝記
勝山寺の前を通っている道は東向きへの一方通行になっています。車で参拝される方は注意してください。
石柱門跡
境内の道路側には生垣が設けられていて、山門などが無いように見えました。
参拝を終え、勝山寺を後にしようと思った時、生垣の裏側にひっそりと石柱門が置かれていました。土台の感じ、石柱門の向きからして元々は境内入口に置かれていたが、道路拡張工事などでこちらに移動されたのではと考えます。
水盤
ひっそりと水盤が置かれていました。
水盤の側面に彫られている発起人とは何なんでしょうかね?
本堂
入母屋造瓦葺妻入りの唐破風の向拝が設けられた本堂になります。また前面にはかなり広目の高覧のある濡れ縁が設けられています。最近建て替えられた本堂の様で、外から見る限りでは木造の様に見えるのですが。
妻入りの本堂ではあまり見かけない大棟部分に化粧瓦で山号が掲げられていました。こういった装飾は平入の本堂ではたまに見かけますが、妻入りだと正面から見えない為か中々見かけないんですよね。
残念ながら本堂の扉は施錠されていて中を拝見することができませんでした。
この本堂に六十九番札所の弘法大師像が奉安されているはずなのですが、確認できなかったのが残念です。
「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」・・・
明王殿(七十番札所)
本堂の左側に、勝山寺オリジナルの南無大師遍照金剛と書かれた幟がたくさん掲げれています。
その突き当りには、七十番札所の明王殿があります。
写真に見切れている幟に「抱き弘法」と書かれていますね。
「抱き地蔵」ならぬ「抱き弘法」ですか。願いを込めて軽く持ち上げる事ができたら願いが叶うと言われているのが「抱き地蔵」なんですが、こちらの「抱き弘法」も同じなのかな?
「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」・・・
ミニ新四国霊場
七十番札所「明王殿」の周りには、本四国霊所の写し弘法大師がずらっと並んでいます。
西国観音霊場の写し観音堂と異なり、写し弘法大師は各札所の本尊と弘法大師像の二体が並ぶので、単純に88×2で196体の石像が並んでいる事になります。
境内が広ければ各札所ごとに祠を設ける事もできますが、勝山寺はそんなに境内が広くない為、こうして弘法堂の様に並べている様です。こうやって苦慮して並べてもかなり場所が必要なようです。
鯖大師
勝山寺には「鯖大師像」も奉安されています。が、植木の奥にある祠の中に奉安されている為、もしかしたら気付かない方も多々見えるのかな?と思います。この辺りは植木を育てるのもいいですが、参拝しやすいようにしてほしいなと願うところです。
三界萬霊
三界萬霊塔の上にも弘法大師が据えられています。お地蔵様が据えられている物はたまに見かけますが、大師像が据えられている三界萬霊塔は初めて見たと思います。
御朱印
参拝を終えて
あまり本堂の向拝なんかを見上げる事なんてないのですが、なんとなく見上げた時に見た唐破風の垂木の処理が綺麗でしたので写真を撮ってみました。これから参拝していく神社仏閣などはこういった所にも注目していこうと思います。
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やはり、旅先の情報はネット検索もいいですが、るるぶなどの旅行ガイド雑誌が一番ではないかなと思います。ネット情報はどうしてもディープになりがちで、いざ旅行に行こうと思っても、俯瞰的な情報が不足しがちな気がします。
やっぱり、"るるぶ"を見ながら、旅の予定表を作っていくのも、旅行の醍醐味ですよね。
所在地を地図で確認
寺院名 | 泰涼山 勝山寺 |
所在地 | 西尾市瓦町21 |
最寄駅 | 名古屋鉄道 西尾線「西尾駅」徒歩15分 |
寺院・霊場巡りの際のバイブルに
元々、当サイトは神社巡りを通じて、皆様の住んでいる所にある"村の鎮守の神様"と呼ばれる神社を紹介してくサイトを目指していたんです。むしろ寺院については、縁遠いものとおもっていたんですよね。しかし、ちょっとした御縁で弘法大師霊場に出会い、そして愛知県では一番活動が盛んな"知多四国霊場"を巡礼、結願する事になりました。でも、神社の事はある程度知識があっても、寺院については未知の世界だったので、少しでも巡礼の時に役に立てばと思い、こちらの本を読ませて頂いております。
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少しでも巡礼の時にお役に立てる事もあるかと思います。是非一度読んでみてくださいませ。
次の目的地は?
三河新四国霊場六十九番,七十番札所「泰涼山 勝山寺」を後にして、七十一番,七十二番札所「海香山 縁心寺」を目指します。