歴史探訪
西郡松平氏の陣屋だった蒲形陣屋跡とその蒲形陣屋の大手門があった場所に建つ十王堂を巡り、さらに散策を続けていると、陣屋跡と十王堂の中間くらいの場所に、「南無大師遍照金剛」と書かれた幟がはためいていました。
最近、新四国霊場を巡礼しているので、この幟の字はめちゃ見覚えがあります。今まででしたらすーっと通り過ぎてしまう所なんですが、やはり・・・立ち寄ってしまいますね。
参拝記
宝飯郡誌などを調べてもこの弘法堂の事は記載されておらず、いつ頃の建立なのか、だれが建てたのかなど詳細は不明です。
が、この三河湾沿岸は大師信仰が根強い場所だったりするので、霊場の札所に選定されていない弘法堂、大師堂は数多くあるのではないかな?と思っています。三河の地から知多半島に船で移動しているそうなのですが、三河のどこから船を出航したのやら・・三河海岸大師霊場や(旧)三河新四国霊場などを巡礼していけばなんらか情報が得られそうな気がしますが・・・そもそもどこから出航したのか判明しているのかしら・・。
扉があいていたので、参拝をさせて頂きました。
「南無大師遍照金剛」
中央に弘法大師、両脇に不動明王と聖観音菩薩が安置されています。
掲げられていた扁額・・・なんと書かれているのか・・・
この弘法堂は真言宗の布教協会なのかな?と想像しているのですがどうかな・・・。
これからも、歴史探訪で訪れた場所の近くで「南無大師遍照金剛」と書かれた幟を見かけた時は立ち寄って参拝していこうと思っています。
次の目的地は?
西郡五社に名を連ねる「乙姫神社」に向かいます。
この乙姫神社も竹谷松平氏に所縁のある神社だったりします。