
神社紹介
神社名 | 若一神社 |
鎮座地 | 愛知県岡崎市岩津町字壇ノ上二十三番地 |
御祭神 | 天津日子番能邇邇芸命、須佐之男命、猿田彦命、大物主命 |
旧社格 | 神饌幣帛料供進指定村社 |
創 建 | 応永三十三年(1426年) |
神名帳 | ー |
境内社 | 御鍬社 |
例祭日 | 十月十八日 |
御朱印 | ー |
H P | ー |
参拝日:2019年7月31日
御由緒
昭和十一年に発刊された岩津町誌によると、若一神社の創建については不詳であると記されています。この岩津町誌が発刊された後にどうやら若一神社の棟札が発見されたみたいで、創建時期などがこの棟札から明らかになります。
ここ棟札には「建立奉る三河国額田郡厳津若一王子霊社一宇 時干応永三十三年丙午年十二月十三日 大檀那用金 大工家重」と記されており、応永三十三年の建立であることが分かってきました。さらに、この棟札から建立した人物が「大檀那用金」とされ、この人物が「松平太郎左衛門入道用金」であり、用金は泰親の法名であり、太郎左衛門が泰親の官途名であることから、松平泰親のことを示しているそうです。
元々は神仏習合の神「若一王子」を祀っており、本地仏の十一面観音像が祀られていたはずです。この若一王子は天照大御神または天津日子番能邇邇芸命と同一視されていました。明治政府の神仏分離政策により、社名を若一神社、祭神を天津日子番能邇邇芸命とし現在に続いています。
棟札に、応永三十三年(1426年)十二月十三日建立し奉る三河国額田郡厳津若一王子霊社と記する。明治五年十月十二日村社に列し、大正二年社殿を改築、同十二年社殿を改修する。昭和十年、若一王子、社口社、津島社、秋葉社合殿を若一神社に改称し、神饌幣帛料供進指定社となる。
愛知県神社庁発刊「愛知県神社名鑑」より
歴史探訪
松平郷を拠点にその勢力を伸ばしつつあった松平氏は、巴川の船着き場と足助街道、伊那街道を整備する事で、三河から信濃に向かう物流の起点を抑える事で莫大な利益を稼ぎ出していたと思われています。この利益を使い、更に周辺の土地を売買によって取得をして行き、さらに商圏を広げていく事に繋がっていきます。そして、次に松平氏が狙った場所が、巴川とその本流となる矢作川が合流した先にある土場(船着き場)がある岩津郷だったのでしょう。
まだ当時は応仁の乱以前であり室町幕府の力が全国にまで届いており幕府が定めた私戦禁止の定めは有効であり、「松平氏は岩津郷を武力で掌握した」という説も根強い様ですが、岩津郷の領主「岩津大善」なる人物から岩津郷の領主の権限を金銭で買い取ったというのが実際の所ではないかと思います。それだけの財力が松平氏にはあったんだという事ですね。
この岩津大善の館があったとされる場所が現在の若一神社の境内地になるそうです。この辺りは壇ノ上という地名になっていて、矢作川から一段高い場所にあった所で、岩津の土場(船着き場)を管理するには適していた場所だったんだろうと思われます。そこに、泰親は新たな岩津の守護神として若一王子を勧請し、若一王子社を創建したのでしょう。
参拝記
現在では国道248号線が若一神社の境内地のすぐ西側を南北に通っています。普通に走っていると鳥居などの神社特有の石造物などが見えないので、気付いていない方も多いのかもしれません。しかし、この神社に松平氏の研究として大きな発見があった訳ですね。
社号標

昭和十年に現在の若一神社に改称する前の若一王子社という社名だった時代の社号標になります。由緒の所でも述べていますが、元々「若一王子」というのは神仏習合時代の神の名前であり、本地仏は十一面観音であり、若一王子と同一視されていたのが現在の若一神社の御祭神でもある天津日子番能邇邇芸命でありまたは天照大御神になります。江戸時代まで若一王子を祀っていた所は神仏分離令によって祭神を天津日子番能邇邇芸命又は天照大御神にした時に社名も変更している所が多いかと思うのですが、ここ岩津の若一神社は昭和期に改称するまで若一王子の名前をそのまま使っていた様です。
鳥居

社号標とは異なり「若一神社」と彫られた扁額が掲げられている明神鳥居型の鳥居になります。令和二年に境内入口に石造瑞垣が設けられたようで、現在はこの視点の景観が変わっているみたいです。
手水舎・水盤

木造銅葺四本柱タイプの手水舎になります。屋根が瓦葺ではないので柱も細くても耐えられるのでしょうけど、すこし頼りなく見えてしまいますね。
狛犬

大正二年生まれの狛犬一対になります。まだ装飾があっさりしている時代の狛犬ですね。
社殿

切妻造瓦葺平入の拝殿になります。一際目立つ「若一王子」と書かれた扁額が掲げられています。
境内社
社殿向かって左側に鎮座するのが御鍬社になります。右側に鎮座している社には何が祀られているのか不明ですが、その社の前に据えられているのは神仏習合時期に奉納された灯篭になり、「南無天神御宝前」と彫られています。もしかしたら不明な社には天神社が祀られているのかも?
地図で鎮座地を確認
神社名 | 若一神社 |
鎮座地 | 愛知県岡崎市岩津町字壇ノ上二十三番地 |
最寄駅 | 名鉄バス「岩津天神前バス停」徒歩4分 |
ご自宅にお札は祀られていますか?
実家には神棚はあっても、今お住いの所には神棚がない方も多いかと思います。神棚には、日本の氏神である"天照大御神"とご自身がお住いの氏神様のお札を掲げると御神徳が宿るとされています。
賃貸住宅などに住まわれて簡単に神棚を掲げられないという方もお勧めなのが、
南向き、もしくは東向きになる様に、そして目線の高さより上になる様に、棚などの上において頂くとよいかと思います。是非、皆様もご自宅に神棚をご用意いただき、御札を納めてほしいなと思います。
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