名古屋市東区

片山八幡神社(名古屋市東区徳川二丁目)

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

 新愛知新聞社が昭和二年(1927年)に「愛知県の新十名所を読者投票で決定する。」というイベントを実施します。愛知県下を狂気の投票合戦へと誘ったこのイベントへの投票総数は驚異の1400万票以上。また、100票以上の投票を集めた名所候補は67カ所にも上ります。2022年、当サイトではこの67ヵ所の名所を巡り紹介していこうと思います。

神社紹介

神社名片山八幡神社
鎮座地名古屋市東区徳川二丁目十三番二六号
御祭神誉田別尊、天照大御神、菊理媛神
旧社格県社
創 建継体天皇五辛卯年
神名帳 [論社]延喜式神名帳:山田郡十九座 片山神社
境内社宗像社、秋葉社、津島社、青麻社
金刀比羅社、愛宕社、谷龍神社
例祭日十月十八日
御朱印
H P〇/web

参拝日:2020年1月29日

御由緒

 社伝によると第二十六継体天皇の御代の「五辛卯年」に創建されたといいます。元号は西暦645年に設立された「大化」からで、それまでは天皇何年というような感じだったようです。継体天皇は西暦506年に即位したとされていて、その五年ですので「西暦511年」に創建されたという事になるのですが、継体天皇の即位年について不明な部分も多く、西暦換算はあくまでも参考程度に考えた方が良いのかもしれません。

 前回紹介した「片山神社/紹介記事」の中で、片山神社は那古野台地の北の端に建っていたと紹介しましたが、その片山神社の東側に鎮座する「片山八幡神社」も台地と湿地帯の間に建っている事が分かります。この辺りには貝塚も見つかっていて、太古の昔より人々が生活を営んでいた場所なんですね。

 一気に時が過ぎ、室町時代中期には、本地御堂を有していたとされています。という事は当時は別当寺があったという事なんでしょうか・・・。しかし、戦国時代になると度々兵火に遭い、天正十二年の小牧長久手の戦いにおいて、ほぼ境内が灰燼に帰してしまい、多くの文献なども焼失してしまったといいます。その為室町以前の社歴がわかっていないのでしょう。
 小牧長久手の合戦後も中々再建されることがなく、ただ荒廃してしまった為、一時は熱田神宮が境内地を預かり、「大原与三大夫」という物が留守役として送られていたようです。

 名古屋城が築城され尾張徳川藩が成立すると、神社の運命も変わっていく事になります。二代目尾張藩主「徳川光友」が隠居後の住まいとして「大曽根御屋敷」(現在の徳川園になります。)を元禄八年(1695年)に造営されます。言い伝えでは、元禄年中に徳川光友が大曾根御屋敷の造営工事を視察中、朽ち果てた社を見つけ、直ちに造営工事を命じたと言います。そして大曾根御屋敷と同じ元禄八年、造営工事を終え遷宮祭が執り行われたといいます。 その後は、尾張徳川藩の氏神、更に鬼門除けの鎮護として崇敬されていました。

 尾張名陽図会に描かれている片山八幡神社(当時は大曾根八幡宮と称していました)の境内図になります。八幡宮の隣に描かれている朝日天道社は、昭和三十二年に合祀された神明社の様です。それよりも興味深いのは、八幡社の向かって右側には「弘法大師行場」と書かれた場所があります。現在地図を見ても存在しないので、明治時代に破却されてしまった物だとは思うのですが、こういった所にも神仏習合時代の香りがしていきます。

 社伝に第二十六代継体天皇の五辛卯年に尾張国山田郡片山郷(現在の社地)に鎮座したという。元亀、天正の頃(1570-1591年)続く戦国時代の禍をうけ頽廃し、祭事の鄭重を守って、一時熱田神宮に預けられたが、江戸徳川の世になり、元禄八年(1695年)尾張二代藩主瑞龍公(光友)敬神の念あつく、社殿を荘厳に道営する。尓来名古屋鬼門の鎮護の祈願所として徳川氏より営繕を進められた。近在に神田、鈴田、社田、太鼓田、中供御、みくりや林などの字名あり往古は大社で式内社に相当の社と考えられる。明治五年、村社に列格し、明治四十一年十月二十六日、指定村社となる。昭和四年九月十七日、県社に昇格し境内に大改造を行うも昭和二十年四月,五月の空襲により境内林を始め社殿は悉く焼失した。昭和三十二年、隣接の神明社を合祀し社殿の復興造営三十四年竣工し、昭和四十九年社務所の建設成る。

愛知県神社庁発刊「愛知県神社名鑑」より

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名古屋二十一大師霊場を行くー寄り道遍ー

名古屋二十一大師霊場六番札所「東岳山長久寺/紹介記事」とその北側に鎮座する「片山神社/参拝記事」の参拝を終え、一路東に向かい、名古屋二十一大師霊場七番札所「長尾山東界寺」に向かって進んでいく道中、徳川美術館がある徳川園の手前になにやら神社が鎮座しているのを見かけたため、急遽参拝するためによっていく事にしました。この神社が「片山八幡神社」になります。

参拝記

 「東岳山長久寺」から徳川園の北側を東西に走る道を東に向かって走っていくと、「徳川町交差点」の角に今回参拝する「片山八幡神社」の瑞垣で囲まれた境内が見えてきます。

 今回の旅路もタイムリミットまであまり余裕がなかったので、東界寺で参拝してら帰路につこうと思っていたのですが、交差点で信号待ちしていた時ふと左を見たら、こんな看板が目に飛び込んできたので、悩んだ末、急遽立ち寄る事にしました。

境内入口

「懸社片山八幡神社」と彫られた社号標と明神鳥居と灯篭が据えられている境内入口になります。

手水舎

木道銅葺四本柱タイプの手水舎になります。

狛犬

 子乗り、玉乗りの狛犬一対になります。生年月を調べ忘れてしましました。

社殿

 寄棟造銅葺平入の唐破風のある向拝が設けられた拝殿になります。神職が常駐している神社のようで、日々御祈祷を受けて受けている様です。拝殿も祈祷が行いやすいような様式になっていました。

境内社

 社殿の向かって右側から奥に進んでいくと、境内社が六社が並ぶ場所に出ます。
向かって右側から「愛宕社」「金刀比羅社」「青麻社」「津島社」「秋葉社」「宗像社」になります。この中で「青麻社」は中風病退除の守護神として崇敬されているようです。

 尾張徳川家の「大曾根御屋敷」に祀られていた「谷龍神社」になります。大正十二年に現在の地に遷宮しました。祭神は「闇淤加美神」です。

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鎮座地を地図で確認

神社名片山八幡神社
鎮座地名古屋市東区徳川二丁目十三番二六号
最寄駅名古屋鉄道瀬戸線「森下駅」徒歩三分

名古屋二十一大師霊場を行く

 名古屋二十一番大師を行く-3日目-も最後の納経先となる七番札所「長尾山東界寺」を参拝します。

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