寺院情報
寺院名 | 長尾山東界寺 |
所在地 | 名古屋市東区出来町三丁目一番二五号 |
御本尊 | 薬師如来 |
宗 派 | 真言宗豊山派 |
創 建 | 享保十三年(1728年) |
札 所 | 名古屋二十一大師 七番札所 大名古屋八十八 二十九番札所 金城下二十一大師 十八番札所 城下二十一大師 十五番札所 |
御朱印 | 〇 |
H P | - |
参拝日:2020年1月29日
由緒・沿革
JR東海の中央本線の「千種駅ー大曽根駅」間の路線沿いに今回納経する「長尾山東界寺」になります。東界寺周辺は「御器所台地」と呼ばれる台地に建っています。東界寺に来る前に参拝した「片山八幡神社/参拝記事」「片山神社/参拝記事」が鎮座していたのは「那古野台地」と紹介してきました。
中央本線の名古屋駅→大曽根駅の間は、この那古野台地、御器所台地を抜けて大曽根駅に繋がっています。中央本線が開通した頃は当然「蒸気機関車」は走っていた頃で、線路の勾配をあまり付ける訳が行かない為、那古野台地、大曽根台地は名古屋駅と大曽根駅の標高の高さに合わせて切通の様に線路面を掘り下げられています。
名古屋駅(高架駅) - 金山駅(掘割構造) - 鶴舞駅(高架駅) - 千種駅(掘割構造) - 大曽根駅(高架駅)
こうした路線を見るだけで、那古野台地や御器所台地などを実感できると思います。
「長尾山東界寺」は享保十三年(1728年)に御器所台地の西端部分に建立されています。尾張徳川藩六代「徳川継友」の実母「泉光院」が亡き父の菩提を弔うために建立しています。
尾張徳川藩三代「徳川綱誠」の後嗣は十三人の側室の間に40人の子女(22男18女)を設けていますが、その大半は夭折しています。
徳川綱誠(三代)┳徳川吉通(四代)━徳川五郎太(五代)
┣徳川継友(六代)
┗徳川宗春(七代)
上記の系図で見る様に、六代継友の母は三代「徳川綱誠」の側室になります。本尊である「薬師如来像」は綱誠の念持仏であると伝えられています。
本堂は平成七年に造営、そして山門は元々は薬医門だった所を平成二十九年に造営再建され「仁王門」となっています。ストリートビューで旧山門が写っていました。
名古屋二十一大師を行く
名古屋二十一大師霊場を行くー三日目ーも最後の納経先となります。この時の時間は午後一時半過ぎ。大曽根から岡崎までどれだけ時間が係るのか読めないので、余裕をもって今日はここ「東界寺」を納経したら帰路につく事にします。
参拝記
名古屋市役所から引山に通じる県道215号線と中央本線が交わる場所にあります。駐車場は寺院の裏手側あるのですが、県道215号線には中央分離帯があり、さらに寺院周辺の道路は一方通行の道路があったりするので、車で遍路されている方は、駐車場に向かう際気を付けてください。
山門
落成したての、まだ真新しい仁王門になります。まさか山門が仁王門になっているとは思っていなくて、最初あれ?ここで合っているよなと思ってしまいました。
これだけ立派な仁王門なのですが、道路を車で走っていると信号で止まらない限り中々気付けないのは残念だなあと思うのですが。
手水舎
木像瓦葺四本柱タイプの手水舎になります。
修行大師像
東界寺には数多くの「南無大師遍照金剛」と書かれた幟が掲げられていました。弘法大師信仰の寺院として非常に崇敬を集めている事がわかりますね。
本堂
寄棟造コンクリート造平入の向拝の設けられた本堂になります。由緒でも書いていますが平成七年に落成した本堂になります。本堂から伸びている「善の紐」は本尊である薬師如来像から伸びているらしいです。
名古屋二十一大師の札所本尊の弘法大師像も本堂の中に奉安されているんだと思います。
「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」・・・
地図で所在地を確認
寺院名 | 長尾山東界寺 |
所在地 | 名古屋市東区出来町三丁目一番二五号 |
最寄駅 | 名古屋市営バス「徳川園新出来バス停」徒歩5分 JR東海・名鉄・名古屋市営地下鉄「大曽根駅」徒歩16分 |
次の目的地は?
名古屋二十一大師霊場を行く-四日目-になります。この日最初の納経先は、熱田区にある十三番札所である「花林山弥勒院/紹介記事」になります。