
延喜式内社「和志取神社」の論社が愛知県安城市と岡崎市に鎮座しています。この両社によく似た由緒と社名を持つ神社が「鷲取神社」になります。今回は「ワシトリ」繋がりで碧海郡を抜け出して加茂郡に鎮座する「鷲取神社」を紹介します。
神社紹介
神社名 | 鷲取神社 |
鎮座地 | 愛知県豊田市御立町十番地一 |
御祭神 | 木入彦命 |
旧社格 | 神饌幣帛料供進指定村社 |
創 建 | 不詳 |
神名帳 | ー |
境内社 | 胸形社、山神社、黒岩社、稲荷社 |
例祭日 | 十月十六日 |
御朱印 | ー |
H P | ー |
参拝日:2020年8月16日
御由緒
由緒は不詳となっています。
御祭神である「木入彦命」という名前は記紀には登場せず、その名前から「気入彦命」と同一なのではと考えられている様です。そして、「気入彦命」は岡崎市西本郷町に陵墓がある「五十狭城入彦皇子」と同一視されています。五十狭城入彦皇子は景行天皇の皇子であり、「応神天皇の命により三河の地にて逆賊を討ちこの地に住み着いた。」という逸話があります。
ここ鷲取神社の由緒では、日本武尊の東征に従軍しこの地に館を築いたとなっていて、内容は異なるにしてもこの地に住み着いたとしている点は共通の様です。
ここまで似たような社伝があるなら、延喜式内社「和志取神社」の論社となっても違和感は感じないと思うのですが、和志取神社は碧海郡に鎮座していたとあり、今回紹介している「鷲取神社」は加茂郡(明治十一年に西加茂郡、東加茂郡に分割)に鎮座している事から和志取神社の論社とはなっていないようです。
社伝に景行天皇の皇子「木入彦命」兄日本武尊東征の際、この地に滞在し館をたてられたので御立を云う。明治五年十月十二日、村社に列格する。昭和十年四月十八日、社殿を改築し同年十月十八日、神饌幣帛料供進指定社になる。同二十九年七月二日字鎌取の秋葉神社を合併する。同四十八年、社殿、社務所、翼廊、透塀を造営境内の面目を一新し、同年十一月三日、八等級社に昇格する。
愛知県神社庁発刊「愛知県神社名鑑」より
歴史探訪
豊田市にある「豊田スタジアム」の南側に鎮座する「鷲取神社」になります。この周辺には、縄文時代からの遺跡が見つかっていて、現在「曽根遺跡公園」として整備されていて、竪穴式住居も再現されています。
そんな事から、この矢作川左岸は往古から人が住み、一つの文化圏を形成していてもおかしくない地域であると考える事が出来ます。事実、何基かの古墳も発見されており、その中の一つ「市塚古墳」は景行天皇の皇子である木入彦命の陵墓と伝えられている古墳になります。
「和志取古墳/紹介記事」で、明治二十八年に宮内省により陵墓伝説地(被葬候補者:気入彦命)に治定されたと書いていますが、この時もしかしたら、この市塚古墳も伝説地候補として宮内省から調査が行われた可能性がありますね。
しかし、現在宮内庁管理になっていない事から、宮内庁としては市塚古墳に埋葬されているのは気入彦命ではないと判断したという事になりますね。
しかし、距離的にかなり離れている「和志取古墳」と「市塚古墳」が同じ気入彦命を埋葬したという伝承が伝えられているというのは面白いですね。大和朝廷が徐々に勢力を伸ばしていく中、この矢作川と言うのは重要な場所の一つだったのかもしれませんね。
参拝記
鷲取神社は、愛知県立豊田東高等学校と道を挟んだ東側に鎮座しています。国道301号線「御立町1丁目交差点」を南に進むと、鷲取神と社豊田東高等学校の間に出る事ができます。
鳥居

鷲取神社の南側の境内入口には文化六年(1809年)に建立された扁額のない明神鳥居になります。建立年号には、「文化己巳王秋吉日」と彫られていて現代とは違い干支での表記となっています。

西側の境内入口には、萬延元年(1860年)に建立された明神鳥居が据えられています。建立年月は「萬延庚申八月」とこちらも干支で表記されています。
境内外側から写真を撮っていなかった様で、境内から矢作川方面を望むアングルとなっています。道路を挟んで反対側が豊田東高等学校のグラウンドですね。
社号標

建立年は不明ですが、境内南側に据えられた社号標になります。境内造営工事の際に建てられたんだとおもうのですが。

境内東側の入口には、大正時代に建立された旧社格である「村社」が合わせて彫られた社号標がありました。
手水舎

コンクリート造り銅葺四本柱タイプの手水舎になります。コンクリート造りの特徴は木造に比べて柱が太くなりがちって所ですかね。非常に安定感のある姿になっていると思います。
狛犬
ここ鷲取神社には、合計三対の狛犬が鎮座しています。
一対目

まずは、境内南側入口、鳥居脇に鎮座している狛犬になります。生年月がかなり風化していた為、読み取ることができなかったので生年不詳となってしまいますが、全体の造りから大正時代くらいの生まれなのではと思っています。

顔の所々が黒く変色?していますね。これは何が原因なのかな?
二対目

社殿前に鎮座している子乗り・玉乗り狛犬一対になります。まだまだ生まれてそんなに月日が経っていない為か口廻りに朱がまだ残っていますね。元々はもっと白かったのかな?と思いますが徐々に風雪で黒ずみが目立ってきています。

タテガミの彫りがかなり重厚な感じがよくわかりますね。
三対目

境内西側の入口に鎮座する狛犬一対になります。昭和十一年生まれという事で、徐々に狛犬の装飾が行われる様になっていく過渡期の生まれですね。

社殿

入母屋造銅葺平入に唐破風の向拝が設けられた、内部が土間化された低床タイプとなった拝殿を有する社殿になります。拝殿の重厚感を出す為なのか、拝殿の左右に軒が伸ばされています。この部分があるかないかでかなり趣が異なるなというのが実感ですね。

境内社

境内の一角には境内社が鎮座しています。どの境内社がどの社、祠なのかは不明ですが、境内の由緒書きには「胸形社、山神社、黒岩社、稲荷社」とあります。
胸形社は宗像社の事なのかな?と思うのですが。
常夜燈

境内の一角に、常夜燈が据えられていました。元からここにあったわけではなく、御立の集落の一角にあった物をここに移したんだと思います。
竿石の部分なんですが、正面に「徐夜燈」、右側に「金毘羅大権現」、左側に「秋葉権現」、裏面に「天照大御神」と彫られています。

地図で鎮座地を確認
神社名 | 鷲取神社 |
鎮座名 | 愛知県豊田市御立町十番地一 |
最寄駅 | 名鉄バス、おいでんバス「観立バス停」徒歩3分 |
ご自宅にお札は祀られていますか?
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南向き、もしくは東向きになる様に、そして目線の高さより上になる様に、棚などの上において頂くとよいかと思います。是非、皆様もご自宅に神棚をご用意いただき、御札を納めてほしいなと思います。
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