長縄城址(西尾市長縄町鍵島)

城郭情報

城郭名長縄城
所在地愛知県西尾市長縄鍵島
築城年不明
築城主初代長縄大河内氏:大河内貞顕か?
城形式平城
遺 構
規 模不明

訪問日:2018年2月21日

沿革・詳細

 西尾市長縄町にある「稲荷社/紹介記事」を参拝し、その由緒を調べた時、稲荷社が鎮座する場所は元々「大河内小見守」の城があった場所であるという事がわかりました。この大河内小見守の城というのが「長縄城」になるようです。
 この長縄城に関して、「愛知県幡豆郡福地村誌」に記述がありますので紹介します。

長縄砦(砦址大字長縄にあり境城詳ならず)

大河内氏世々之れに居る。寺津の大河内氏の同族なり。将監政倫に至り吉良氏に仕ふ。政倫の男善兵衛政高亦吉良氏に仕ふ。政高の男基高嗣ぐ。善左衛門基高亦吉良義昭に仕ふ。永禄四年徳川家康登場を攻むるや、義昭能く防ぐ。九月十三日家康自ら馬を進めて小牧に至り兵を督し、本多広孝松井左近小笠原長是等の諸将を遣わし攻む。基高、義昭の宿老富永伴五郎及其郎黨喜三郎と殊死して戦い共に戦死し城遂に落ち吉良氏亡ぶ。基高の長男政綱父の後を嗣ぐ。後家康吉良の浪士にして用ふべきものを取用せんと欲し政綱をして之を選択せしめ七十五人を得たり。家康政綱に謂ひて曰く、汝は即ち鐵中の錚々だるものなりと。即ち政綱を其の組頭とし大久保忠世が隊に編入せり。基高の男正基正澄正憲皆家康に仕える。

とあります。途中から「大河内基高」とその息子「大河内政綱」の説明になってしまっています。福地村誌では、大河内基高は「大河内善左衛門古見」または「大河内小見兵道」と称していたされている武将になります。この辺りは「稲荷社/紹介記事」の中でも取り上げさせて頂いています。

 長縄城の事を記している本が多くなく、詳しい事がわからないのですが、郷土出版社が発刊している「定本 西三河の城」にも諸城として少し説明がありました。

浄土宗西山深草派観音寺本堂裏の境内地に「松平清康仮葬地碑」が建っている。「三河国古城屋鋪部」に、大河内小見、子孫いま紀州列家仕官とある。「長縄村大河内由来略記」には、元網の子大河内小見(基高)は長縄城を守り、松平清康が森山崩れで急死した時その遺骨を観音院へ仮埋葬し、本寺である養寿寺で清康の妹矢田姫が焼香したと記している。元網は家康の母於大を産んだ於富の方の養父と言われている。

郷土出版社発刊「定本 西三河の城」 より

 徳川家康の祖父である「松平清康」・・・森山崩れが無ければかなりの領土を持つ戦国大名となっていたのではないかと言われるまさに「傑物」と言っても過言ではない武将ですね。ただ、清康にどこまでの領土的野心があったのかは、あまりにも早く死んでしまった為よくわからない部分でもあります。
 その松平清康に仕えていたのが「大河内元網」であるその息子が「大河内基高」であるとしていますが、福地村誌では「大河内政倫」の息子が「基高」とかいてあるのですが・・・。こんな感じで参照している書物によって系図が変わってくることはよくある事なので、こんなこともあるのねくらいで思っていた方がよろしいかと思います。
 なんにせよ、「大河内基高」は松平清康の森山崩れの際、主君松平清康の遺骸を自らの領地である長縄まで運び、城下に埋葬したという事になります。それが、観音寺の今では境外地の様になっている場所に建っている「松平清康公仮葬地碑/紹介記事」になります。
 観音寺の境内に「兵道塚」と「徳玄塚」という塚が据えられています。元々は東条城近くにあったのですが、開発により移動させざるを得なくなり、言い伝えでは所縁がある長縄にある観音寺に移設される事になりました。
 「大河内基高」は「大河内兵道小見」と称していたと前述しています。そして「大河内基高」は永禄四年の藤波畷の戦いで戦死したという事も。その戦死した地に基高を弔うために作られたのが「兵道塚/紹介記事」だと言われています。

歴史探訪

 長縄城を調べていくと、多くのキーワードに出会う事が出来ました。

大河内基高
 ┣「兵道塚・徳玄塚/参拝記事
 ┗「藤波畷の戦い/紹介記事
・「松平清康公仮葬地之碑/紹介記事
 ┗「泰平山観音寺/紹介記事
・「寺津城/紹介記事

 大河内氏宗家は寺津城を本城としていた一族になります。吉良氏の宿老として大きな力を有していたとも言われています。

現在の長縄城

長縄町の鎮守社である稲荷社周辺が長縄城があった場所という事です。
以前、稲荷社の紹介記事の中でも述べていますが、長縄城の守護神として祀られていた稲荷社が廃城となった後も集落の鎮守の社として祀られていた様です。

稲荷社(西尾市長縄町)
神社紹介神社名稲荷社鎮座地西尾市長縄町鍵島九番地御祭神宇迦之御魂神 旧社格無格社創 建不詳神名帳-境内社秋葉社(常夜燈)例祭日十月二十六日御朱印-H P-参拝日:2018年2月21日記事更新:2020年2月...

神社は集落の南東隅に鎮座しています。
グーグルマップでみると・・・

こんな感じに鍵島という地名周辺に集落が固まっているのがわかります。

遺構などは全くのこってはいないのですが、一説には堀跡を転用して用水路として使用しているそうなのですが、圃場整備などで用水路が付け変わっている可能性もあり、現在の用水路が堀跡なのかどうかは不明です。


歴史探訪次の目的地は?

 長縄城とその鎮守社である「稲荷神社/紹介記事」のすぐ南側にある「松平清康公仮葬地之碑/紹介記事」を見に行ってみたいと思います。

投稿者プロフィール

成瀬晃ドクターレザーおかざき 店主
愛知県岡崎市で「かばん・くつ✚革の病院ドクターレザーおかざき」を営んでいる成瀬と申します。
史跡、神社などを巡った事をなどをつぶやきつつ、お店のブログではつぶやけないような事も書いていこうかと思っています。
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