ONE POINT
名古屋市東区泉一丁目に鎮座する金刀比羅神社の紹介です。戦前には名古屋十名所に選定された神社ですが、空襲により焼失。さらに戦後復興の中で現在の境内地に遷座している為、往時の面影は残っていませんが、現在では都心のオアシス的な神社となっています。
神社情報
神社名 | 金刀比羅神社 |
鎮座地 | 名古屋市東区泉一丁目十四番地五(Googlemap) |
例大祭 | 十月十日 |
創 建 | 元和年中(1615-24年) |
御祭神 | 大物主命 |
旧社格 | 村社 |
神名帳 | ー |
境内社
境内社 | 春日社 豊受社 稲荷社 御嶽社 住吉社 天神社 白山社 金山社 秋葉社 松尾社 水天宮 |
文化財
国 宝 | ー |
国指定 | ー |
県指定 | ー |
市指定 町指定 村指定 | ー |
参拝情報
御朱印 | 〇 |
URL | ー |
駐車場 | ー |
参拝日 | 2022年4月13日 |
御由緒
金毘羅宮は清州城下にあった全泉庵(金泉庵とも)が清州越しによって久屋の地に遷座した後の文化十三年(1816年)九月の讃岐金毘羅宮を勧請創建されたという。もとは小庵であった全泉庵は、金毘羅宮を創建すると復興し、医宝山瑠璃光寺を号したという。
瑠璃光寺の鎮守社として勧請創建された金毘羅宮が明治政府による神仏分離令によって、神社は残り、勧請したはずの瑠璃光寺が破却された辺りを見てもいかに金毘羅宮が崇敬を集めていたかがわかるかと思います。
瑠璃光寺とは?
明治初頭に神仏分離令と廃仏毀釈の流れの中で廃寺となってしまった曹洞宗の寺院であり現在は空襲もあり、その遺構は全く残っていません。しかし、大正四年に発刊された名古屋市史に瑠璃光寺についての記述があったので紹介します。
瑠璃光寺は醫寶山(一つに醫王山に作る)と号し、久屋町にありて境内八十坪有き。永安寺の末寺なり。もと金泉庵と号して清州に在り。大宛慶益の開基にして考國東順を以って開山となす。慶長遷府の際、久屋町に移り、萬治三年(1660年)正月十四日の大火に類焼して後再建せらる。もと平僧地にして小庵なりしが、寺内に金毘羅宮を勧請して以来興隆し、文政中、瑠璃光寺と改めて法地となる。本尊、薬師如来像。明治維新の際金毘羅宮と分離して廃絶す。本尊は同町誓願寺に遷し、町内の火伏の守佛として崇敬せらる。山門は愛知郡御器所村島田地蔵の門となると云う。
江戸時代までの御祭神は「金毘羅大権現」だったはずで、明治政府による神仏分離令によって仏教色が強い金毘羅大権現は使用禁止となってしまった為、全国の金毘羅宮と同様に御祭神を金毘羅大権現と同一視されていた「大物主命」に変更しています。
太平洋戦争による名古屋空襲によって焼失してしまう前までは、金毘羅宮は現在久屋大通が走っている場所にかなり広い境内地があり、境内社として春日社、豊受社、稲荷社、御嶽社、住吉社、天神社、白山社、金山社、秋葉社、松尾社・水天宮合殿が鎮座していました。名古屋市の復興事業により現在の境内地に遷座し、元の境内地があった場所には100m道路でその名を知られている久屋大通に姿を変えてしまっていますが、現在でも元々の境内地の一角だった場所には御神木が残っているんだとか。
名古屋十名所
新愛知新聞社が大正十三年に葉書の投票による名古屋市における新十名所を決定するという企画が行われ、「久屋町金刀比羅神社」という名称で103,562票を集め第五位に選ばれています。選ばれたのは空襲による焼失、遷座する前の金刀比羅神社であり当時はかなり広い系だったという事もあり、現在の金刀比羅神社とは大きくその姿が異なってる事は頭に入れておく必要があるかと思います。
社伝に、曹洞宗瑠琉光寺の山門鎮守として元和年間(1615-23年)に創建された。清州越えで社寺共に久屋町移る。その寺院は廃寺となり、明治八年、村社に列格し、社殿の改築造営は同八年十月、同四十三年十月に行い、神楽殿は同二十年十一月に新築され境内も整い、昭和の初期には名古屋十名所に推さたが昭和二十年、空襲により社殿悉く焼失、加えて戦災復興都市計画事業により三十三年今の社地に移転し社頭の復興につとめ都心の「こんぴらさん:と親しみ敬れている。(久屋のこんぴら)
愛知県神社庁発刊「愛知県神社名鑑」
御祭神
- 大物主命
御朱印帳の保管に
数年前より非常に集める方が増えた「御朱印」ですが、皆様は御朱印帳はどうやって保管していますか?神社・仏閣を廻って御朱印を受けているとあっという間に御朱印帳の冊数が増えていきますが、そのまま棚などに置いている方が多いのでは?。せっかくお受けした御朱印ですので、日本では古くから着物を始めとして大切なものを保管する為に使われていた「桐箱」に入れて保管した方がよろしいかと思います。
ぜひ、皆様も桐箱に御朱印帳を保管されてみたらいかがですか?
参拝記
久屋大通の東側、NTTドコモビルとは道路を挟んで反対側場所に今回紹介する金刀比羅神社は鎮座しています。まさに都市型神社といった雰囲気で参拝者用駐車場は用意されていないので、車で参拝される場合はコインパーキングを利用する事になりますので注意してください。周囲の道路は駐停車禁止なので路上駐車は避けた方がよいかと思います。
境内入口
金刀比羅神社の境内は周囲がビルに囲まれているという都心部以外ではまず見かけない環境となっていて、その境内社の都合で北入りの境内となっています。境内入口には狛犬一対、社号標、名古屋十名所標石、明神鳥居、提灯台が据えられています。
名古屋十名所標石
由緒の所で紹介していますが、大正十三年に「名古屋十名所」に選定された事を証する石標が設けられています。境内地は移りながらも、この石標も移されているのは非常にうれしいですね。
境内
金刀比羅社の境内は神楽殿と東向きの社殿とその奥に社務所という配置になっていて、それぞれが狭い境内に効率よく配置されている感じです。
神楽殿
入母屋造瓦葺妻入の高覧のある濡れ縁が設けらえている神楽殿になります。
社殿
社殿は他の神社ではなかなか見かけない配置となっていて、北入りの境内に対し、社殿は東向きに建てられているのですが、社殿正面には境内境界が迫っていてここまで無理に東向きにしなくてもいいのにって感じがしてしまうのですが、こうしないと社務所を建てる場所が確保できなかったのかな?と思ってみたり。
金刀比羅社の拝殿は、入母屋造銅板葺平入となっていて、半間分が向拝の様になっていて、外壁がその分内側に食い込んだ様な造りになっています。こういった造りを何て呼ぶんでしょうか。
境内社
戦前から金刀比羅神社の境内に鎮座していた十一社の境内社の相殿になります。
鎮座地を神社で確認
神社名 | 金刀比羅神社 |
鎮座地 | 名古屋市東区泉一丁目十四番地五(Googlemap) |
最寄駅 | 電車:名古屋市営地下鉄・名城線/桜通線「久屋大通駅」徒歩2分 バス:名古屋市営バス・基幹2系統「大津通バス停」徒歩4分 |
ご自宅にお札は祀られていますか?
実家には神棚はあっても、今お住いの所には神棚がない方も多いかと思います。神棚には、日本の氏神である"天照大御神"とご自身がお住いの氏神様のお札を掲げると御神徳が宿るとされています。
賃貸住宅などに住まわれて簡単に神棚を掲げられないという方もお勧めなのが、
南向き、もしくは東向きになる様に、そして目線の高さより上になる様に、棚などの上において頂くとよいかと思います。是非、皆様もご自宅に神棚をご用意いただき、御札を納めてほしいなと思います。