知多郡美浜町

大己貴神社(知多郡美浜町奥田)

2019年4月18日

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

 新愛知新聞社が昭和二年(1927年)に「愛知県の新十名所を読者投票で決定する。」というイベントを実施します。愛知県下を狂気の投票合戦へと誘ったこのイベントへの投票総数は驚異の1400万票以上。また、100票以上の投票を集めた名所候補は67カ所にも上ります。2022年、当サイトではこの67ヵ所の名所を巡り紹介していこうと思います。

神社紹介

神社名大己貴神社
鎮座地愛知県知多郡美浜町奥田海道田一八一番地
御祭神大己貴命
旧社格神饌幣帛料供進指定村社
創 建不詳
神名帳
境内社神明社、山神社、津島社、稲荷社
例祭日四月三日
御朱印
H P

参拝日:2018年10月24日

御由緒

 美浜町立奥田小学校の南側に鎮守の森に囲まれた「大己貴神社」が鎮座しています。元々は現在の境内地の北西の平地の場所に鎮座していた様です。今では宅地化されてしまい当時を偲ぶものは何も残っていないそうですが、往古は神仏習合時代の本地仏の仏塔跡が残っていたそうで、古代製の厚い瓦や堀立柱などが発掘されているそうです。

 遷座された年月は不詳の様ですが、現在の場所から北西側という事は、今よりもかなり海に近い場所に鎮座していた事になります。となると、台風による高潮、風害、または津波などで社殿に甚大な被害がでたので、もう少し内陸で高台の場所に遷座したという事が考えられますね。

 本地仏の仏塔跡があるという事は、「大己貴神社」は元々別当(神宮寺)によって管理・運営が行われていたという事になります。さらに、明治三年までは「山王社」という社名であった事から「山王信仰」の神社、別当という事で、別当寺は天台宗だった可能性が高いかなと。
 ここで、大己貴神社への参拝の直前に納経した知多四国霊場五十七番札所「乳寶山報恩寺/紹介記事」の境内に掲げられていた由緒板に書かれていた事を思い出しました。

「・・前略・・当時は天台宗で、大己貴神社の北にあった。その後。室町後期(永正年間)緒川城主水野貞守の嫡男、賢昌公が現在地に移転再建・・後略・・。」

 永正年間に現在の地に移設された時に曹洞宗に改宗され中興開山されていて、下に載せますが愛知県神社名鑑によると、永正十二年に大己貴神社は再建されています。この事から、報恩寺が大己貴神社の別当(神宮寺)であった可能性がグンと高くなった気がします。

創建は明らかでない。文安四年(1447年)神殿再建。永正十二年(1515年)再建。社号の儀元山王社と称していたが、明治三年大己貴社と改称。同五年村社に列格し、同四十一年十月二十六日神饌幣帛料供進指定村社となる。同四十二年、社名を改称した。同三十四年十二月、当時の社掌稲田札の記録に「古老の傳説」として、本社は今の社地より西北の平地にありて、社地広大なりしを現今の所に移す(年月不詳)旧知は今宅地・田に変わるも、往古は本地仏塔の跡ありて、時々古代製の厚き瓦又は堀立柱の根数個掘出せることあり。明治五年三月桧にて七尺廻りのもの六個を掘出せりとある。

愛知県神社庁発刊「愛知県神社名鑑」より

知多四国霊場を行く-寄り道遍-

 知多四国霊場五十七番札所「乳寶山報恩寺/紹介記事」の納経を終え、名古屋鉄道知多新線をアンダーパスすると、遠くから見ても「たぶんあれ鎮守の森だな」とわかる場所が見えてきます。そのまま西に進んでいくと、奥田小学校の南側にある森の入口に真新しい秋葉山常夜燈と社号標が据えられているのが見えます。ここが「大己貴神社」の裏側の参道になります。

参拝記

こちらが奥田小学校側から大己貴神社を望んだストリートビューになります。神社の裏手になるのですが、例祭の際に山車が宮入する際に使う参道が境内に続いています。なかなかの傾斜なんですが、この参道を山車が引き上げられていくそうです。「美浜町 大己貴神社」で検索すると、youtubeにアップされている宮入風景の動画を見ることができますよ。

参道入口

境内南側の参道入口になります。
神明鳥居、社号標、常夜燈と戦提記念碑が据えられてます。

社号標

大己貴神社と彫られた社号標になります。社号標下部には、宮司の札を掲げる窪みもありますね。

参道

鳥居を潜り参道を進んでいくと、境内に通じるであろう石段とその手前に狛犬、社号標が見えてきます。

更に進むと、石段を上った先に鳥居が見えてきます。二の鳥居ですね。社号標と石灯篭の間に幟を建てるような鉄枠が用意されていますね。

二基目の社号標は近年据えられたようで、表面もまだすべすべです。

狛犬

生年月日を調べ忘れてしまった為、年齢不詳の狛犬一対になります。

二の鳥居

狛犬の所から石段の先を見上げると、二の鳥居が立ちはだかる感じで立っています。なかなかの迫力です。

手水舎・水盤

銅葺木造四本柱タイプの手水舎になります。
今まで見てきた手水舎の中でも軒が高く、屋根も大型な造りだと思うのですが、瓦葺屋根の手水舎と比べてもそこまで頭でっかちな印象がないですね。瓦葺は重心が高くなってしまうという自分の先入観がそう見せるのかもしれませんね・・。

狛犬

平成二年生まれの狛犬一対になります。
先に紹介した狛犬と比べると、彫が深くなっていて、凛々しさが強調されている分、愛くるしさが無くなってしまっている感じがしますね。個人的には、人懐っこい感じの境内入口にたっていた狛犬のが好きですねえ。

社殿

神社建築でたまに見かける逆反りの切妻屋根の平入の拝殿になります。
拝殿の前には・・・

三の鳥居

なかなかここまで社殿に近い所に鳥居が設けられている神社も見かけませんね。
鳥居の成り立ちなんかを見ていると。ここに鳥居を設けるならば、最初にご紹介した奥田小学校側に鳥居を設けた方がいいのではないか?と思うのですが・・・。ただそうすると、山車の宮入りがしにくくなるかな。


本殿は神明造の様ですね。
拝殿ー幣殿ー本殿が一体になった近代的な社殿様式に沿った造りになっています。

境内社

社殿向かって右手に鎮座しています。

向かって左から、神明社、山神社、津島社、稲荷社が鎮座しています。

参拝を終えて

御由緒の所でも述べていますが、知多四国霊場五十七番札所「乳寶山 報恩寺」が現在の地に移転するまで、この大己貴神社のすぐ北側にあったそうです。永正年間に「緒川城主水野氏」によって現在の地に移転し曹洞宗に改宗したそうなのですが、それまでは天台宗だったんだとか。

大己貴神社の北側というと丁度奥田小学校の辺りなんでしょうかね・・・・。この辺りは昔から奥田地区の中心地だということなのかな。

次の目的地は?

大己貴神社を後にして、知多四国霊場巡礼の旅も美浜町を抜けて常滑市に突入します。知多四国霊場番外札所「金鈴山曹源寺/紹介記事」を参拝していきます。

鎮座地を地図で確認

神社名大己貴神社
鎮座地愛知県知多郡美浜町奥田海道田一八一番地
最寄駅名古屋鉄道 知多新線「知多奥田駅」徒歩5分

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