城跡巡り

対篭(米)村屋敷跡(西尾市一色町対米)

2018年3月4日

令和四年新企画のお知らせ

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対篭(米)村屋敷跡情報

城 名:対篭屋敷
鎮座地:西尾市一色町対米大屋敷
築城年:不明
築城主:鈴木惣五郎
城形式:陣屋・屋敷
遺 構:なし
規 模:不明

参拝日:2018年2月28日

沿革・詳細

「一色町誌」では、鈴木惣五郎という者の屋敷跡だ言う事です。

この鈴木惣五郎・・
西尾市の一色町惣五郎という地名があります。市町村合併を経ているのでちょっとわかりずらい町名と字名になってしまっていますが、合併前には、"幡豆郡一色町大字惣五郎"という大字名が存在します。この惣五郎という地名ですが、今回紹介している対篭屋敷の主"鈴木惣五郎"からとった地名になります。明暦年中(1655-7年)鈴木惣五郎が新田開発を成し遂げ、地名を名前から惣五郎にしたと伝えれています。

上記から、1650年頃にはここに陣屋の様な物があったという事だと思われます。

長壽寺が屋敷跡だと言われていますが・・・。
この長壽寺を含めて、この辺りを"愛知県西尾市一色町対米大屋敷"というので、陣屋なりの屋敷があったのは間違いないとは思います。

現在の対篭(米)屋敷址

上記でも書きましたが、屋敷跡と推定されるのが、浄土真宗の真宗大谷派の長壽寺が鎮座しているあたりだと言われています。

屋敷跡らしい以降は全く残っていません。この長壽寺はいつ開山したんですかねえ。これが分かれば、屋敷がいつまで残っていたのかを推察する手掛かりになりますね。

お寺の本堂で切妻妻入りの所は・・・非常に珍しいです。というか、まず見かけないですよね。ただ、神社ばかり紹介していると、大きさには脱帽です。

自分的にこの長壽寺で特に目を見いたのは、鐘つき堂(鐘楼)の造りですね。

ただでさえ基壇があって高い場所になるのに、これだけの大きな造りです。さらに大きいだけでなく、彫り物も非常に凝っています。

木彫りの彫刻も素晴らしいですが、この木組み(斗供)がさらにすばらしいです。二手先とう木組みだそうです。さらに角の墨木を支える部分は三手先になっています。

角の部分の斗供を・・・。何とも言えない味があります。

屋敷跡紹介というより斗供紹介の感じになってしまいましたが、鐘つき堂を見に行って、見上げて見て下さい。

 

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南部鉄器でいい音が出そうですね。

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