神明社(名古屋市中川区荒子町)

神社紹介

神社名神明社
鎮座地愛知県名古屋市荒子町字宮窓一三四番地
御祭神天照大御神、武甕槌命
旧社格村社
創 建不詳
神名帳
境内社天王社、風宮
例祭日十月六日
御朱印
H P

参拝日:2019年12月25日

御由緒

 「荒子観音」こと「浄海山圓龍院観音寺/紹介記事」とほぼ境内を一にしている神社になります。詳しい由緒は不明ながら、文化九年(1812年)十一月九日、荒子観音の守護神として鎮祭したとあります。奈良時代の天平元年に創建されたと伝えられる「荒子観音」は江戸時代後期までは「神官が祭祀を行う鎮守社」ではなく、「僧侶が祭祀を行う鎮守堂」で奉安していたのを、文化九年に神官が祭祀を行う鎮守社に変更したんだと思います。

 名古屋名所図会第五巻に描かれている「荒子観音」の風景です。この図を見ていると、今の荒子観音の境内と江戸時代の伽藍配置はそんなに大きく変わってないなという感想です。立て直された本堂だったり、仁王門などは当然変わっていますが。荒子観音の山門右手に鳥居がありその奥に「神明」と書かれている社が鎮座しています。これが今回参拝する「神明社」になります。

荒子村には、「荒子観音」の境内地または寺領に八カ所の社が鎮座していたとされ、「富士権現」が境外の寺領に、「山王、白山権現、弁才天、神明、鹿嶋大明神、天王、風宮」の七社が境内にそれぞれ鎮座していたとされています。「富士権現」は「荒子城址」に鎮座している「富士天満社/参拝記事」の事だと思います。境内に鎮座し七社の内、神明は、当然今回参拝する「神明社」を指し、祭神を見てると「鹿島大明神」は神明社に合祀されています。

 荒子観音の本堂の裏手に、赤い鳥居が据えられた鎮守社が鎮座しています。赤い鳥居には「弁財天」と扁額が掲げられ、三社相殿の社には、弁財天、日吉神社、白山妙理大権現が祀られています。 こちらが、七社のうちの三社かと。(日吉神社は江戸時代以前は「山王」と称されていました。)

 神明社の本殿は、茅葺の覆殿の中に鎮座しています。この覆殿の中には、神明社本殿の他に社が三社鎮座していました。たぶん、この三社が「天王」と「風宮」ではないかと思います。数が合わない?合わない一社は諏訪大明神の本殿のはずです。

 どの本堂から発見されたのかは分かりませんが、平成二十一年(2009年)、神明社にて「円空」が彫ったとされる仏像ならぬ「神像」が発見されました。非常に数が少なく貴重であるとされる「神像」ですが、基本「神像」は御神体となっていて、宮司でもよほどのことがない限り見る事が許されない物であり、ましてや宮司以外の神職では絶対に見る事は許されません。そういった物ですので、研究の一環とはいえ、本殿の中から御神体となっている「神像」が発見され、皆様が見る事ができるなんてことはとんでもない事なんです。

 記事をよく見ると「鹿島大明神」と書かれているみたいですね。鹿島大明神の御神体だったんだろうと思うのですが。さらによく見ると、荒子観音の住職が神明社の本殿の中の円空仏を見たことがあると書かれています。戦中、戦後のごたごたの中で見たのかは分かりませんが、神職以外の方が祠の中をみるなんて今ではありえない話なんだけどなあ。

 神社が最初にあって、後から神社を管理する寺院建立されると、その寺院は「別当」または「神宮寺」、「神護寺」と呼ばれます。この辺りは、当サイトでも何度でも出てきています。逆に、寺院が先にあり、後から境内に神社を勧請する場合、祭祀を僧侶が行う場合は「鎮守堂」、祭祀を神官が行う場合を「鎮守社」と呼ぶそうです。どちらとも、明治政府による神仏分離令で分離される訳ですが、別当、神宮寺は殆ど廃寺となってしまった一報、鎮守堂、鎮守社はそのまま〇〇神社とかに改称して合祀されていなければ現在まで続いている神社が多いです。
 見た目は神社と神宮寺の関係と寺院と鎮守社の関係はあまり違いが無いように見えますが、どちらが主なのかによって明治時代以降大きく運命が変わってくる事になってしまうのですから、明治維新による社会の激動はどれだけ大きかったのかがこの辺りをみても感じてしまいます。

 創建は明らかでないが文化九年(1812年)十一月九日、荒子観音寺の守護神として鎮祭、天保二年(1831年)社殿を改修する。明治の制度改革により分離、明治五年七月村社に列格した。

愛知県神社庁発刊「愛知県神社名鑑」より

名古屋二十一大師霊場を行く-寄り道遍-

 「荒子観音/紹介記事」とは境内を一にしていると言っても過言ではない「神明社」になります。名古屋二十一大師の遍路とその周囲を寄り道していく中で、「江戸時代は別当寺がかなり勢力が強かったが、明治維新を迎え別当寺は廃寺に追い込まれ神社が存続している。」という所を何ヶ所か紹介していますが、ここ神明社は、鎮守社として勧請され、明治時代になり神社として分離独立した形になる為、境内地も荒子観音の境内の一部を譲渡してもらっているはずです。
 荒子観音の参拝者駐車場がカラーコーンで仕切られていて、何なんだろうなあと思っていたのですが、カラーコーンから西側が荒子観音の敷地で東側が神明社の敷地と区切られているんだろうなあと後から気が付きました。そんなところも参拝した時に見てみてください。

参拝記

 「荒子観音」の山門である仁王門の向かって右側に神明社は鎮座しています。荒子観音と神明社の間は瑞垣や塀などで仕切られる事もなく、まさに由緒の所で載せた「尾張名所図会」の感じそのままの境内になっています。

社号標

旧社格である「村社」が合わせて彫られた社号標になります。

石鳥居と境内入口

神明鳥居の石鳥居になります。
参道は途中で屈折していますがほぼ真っ直ぐ拝殿に向かって伸びています。拝殿手前に見える平入の屋根の構造物は、大祭などの時に、奉納頂いた提灯を掲げる為の物ですね。

狛犬

子乗り、玉乗りの狛犬一対になります。そういえば生年月を調べ忘れています・・・。

社殿

 切妻瓦葺妻入りの開放型拝殿に、本殿周囲は覆殿で囲われ、拝殿と本殿の間は瑞垣で囲まれ一般の方が立ち入れないようになっている尾張地方でよく見かける様式を持つ社殿になります。
 よく見ると、拝殿、覆殿には周囲に斜めの支え柱が設けられていますが、木製で建物と同色で設けられているので違和感を感じさせないいい仕事してます。

地図で鎮座地を確認

神社名神明社
鎮座地愛知県名古屋市中川区荒子町宮窓一三八番地
最寄駅 あおなみ線 「荒子駅」徒歩8分

次の目的地は?

 荒子観音と神明社の参拝を終え、前田家の尾張での本城となった「荒子城」とその城跡に鎮座する「富士天満社」を参拝していこうと思います。

名古屋二一大師霊場を行く

 十二番札所、または名古屋三弘法二番札所でもある「宝生山弁天寺/参拝記事」を目指します。

名古屋二一大師霊場を行く-寄道遍-

 「荒子城址」に鎮座する「富士天満社/紹介記事」を参拝していきます。

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