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浄海山圓龍院観音寺「荒子観音」(名古屋市中川区荒子町) 尾張四観音

2020年3月3日

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

 新愛知新聞社が昭和二年(1927年)に「愛知県の新十名所を読者投票で決定する。」というイベントを実施します。愛知県下を狂気の投票合戦へと誘ったこのイベントへの投票総数は驚異の1400万票以上。また、100票以上の投票を集めた名所候補は67カ所にも上ります。2022年、当サイトではこの67ヵ所の名所を巡り紹介していこうと思います。

ONE POINT

名古屋城を守護する鬼門鎮護の尾張四観音の一つに名を連ね、豊臣政権の五大老である「前田利家」所縁の寺院としてその名を知られる「浄海山観音寺」の紹介です。「荒子観音」という名前で知られている寺院になります。

寺院紹介

寺院概要

寺院名浄海山圓龍院観音寺
所在地愛知県名古屋市中川区荒子町宮窓一三八番
創 建天平元年(729年)
宗 派天台宗
御本尊聖観世音菩薩

霊 場

霊 場大名古屋八十八 六十二番札所
尾張観音霊場 十二番札所
尾張西国観音 十七番札所
尾張四観音
前札所霊 場次札所
六十一番:白光山如意寺大名古屋八十八六十三番:如意山常楽寺宝珠院
十一番:大悲山観音寺尾張観音霊場十三番:蟹江山常楽寺龍照院
十七番:無量山福寿院尾張西国観音十八番:(花正)観音堂

文化財

国 宝
国指定観音寺多宝塔(文化財ナビ愛知紹介ページ
県指定
市指定
町指定
村指定

参拝情報

御朱印
URL
駐車場
参拝日2019年12月25日

御由緒

 「浄海山圓龍院観音寺」という寺院名より「荒子観音」という通称の方が広く広まっている寺院です。「尾張四観音」を構成する四ヶ寺のひとつになります。

尾張四観音

徳川家康が名古屋城築城に際し、各鬼門の鎮護として四カ寺を定めたとされています。
・西南西に位置する「荒子観音」
・北北西に位置する「甚目寺観音」
・東北東に位置する「龍泉寺観音」
・南南東に位置する「笠寺観音」

 各寺院では尾張四観音の御朱印も用意されている様で、尾張四観音巡りをされている方も見える様です。また、各寺院では節分祭が行われていて、各寺院と恵方が重なった時はより盛大に節分祭が行われるようです。

 前回紹介した「如意山宝珠院/紹介記事」と同じく天平元年(729年)に「泰澄大師」によって開創された古刹になります。元々は春日井市にある「医王山薬師寺密蔵院」の末寺だったそうですが、近年天台宗系単立寺院になったそうです。
 七堂伽藍を有する一山十二坊の寺院と栄華を誇ったそうですが、他の方のHPなどを見ていると、織田信長の比叡山焼き討ちの際に、こちら観音寺も焼き討ちをされたそうです。天台宗繋がりということでしょうか。

 その後、天正四年(1576年)、前田利家により本堂が再建されています。尾張藩が設立すると、前述の様に尾張四観音に選ばれ、尾張藩の庇護の下再び寺勢を取り戻しています。
 この荒子観音から南西に直線距離で200mほど進んだ場所に、前田家の本城となった「荒子城」があります。荒子城からみると、北東の鬼門の位置に荒子観音がある訳で、もしかしたら鬼門除けとして前田一族の庇護があったのかもしれません。

 昭和二十二年(1947年)の航空写真になります。元々は荒子村の北側に観音寺があった事が分かりますね。黄色い線は名古屋市電の下之一色線になります。尾藤橋駅から下之一色そして築地口までを結んでいた路面電車になります。昭和四十四年(1969年)に廃線となっています。市電といっても、この区間は専用線だったようで、区画整理等がすすんでいる現代でも、Googlemapをよく見ると道路転換された廃線跡が今でも残っているのが分かります。

 昭和五十年(1975年)、観音寺境内にある多宝塔を清掃中、ほこりの積もった木箱の中に1020体もの円空仏が発見されていて、毎月第二土曜日の十三時から十六時の間で公開されています

観音寺多宝塔

観音寺は浄海山円龍院と号し天平元年(729年)泰澄の草創と伝えられる。
 多宝塔は天文五年(1536年)五月当時の住僧常佳院賢俊の再建で、大工棟梁は熱田の岡部甚四郎といわれる。三間多宝塔、屋根は杮葺で、室町時代末期の特色をよく表しており、市内最古の建築で国の重要文化財にしてされており、平成十三年に解体修理が完成した。
 尾張四観音の一つで、俗に荒子観音の名で親しまれている。

名古屋市教育委員会

御朱印帳の保管に

 数年前より非常に集める方が増えた「御朱印」ですが、皆様は御朱印帳はどうやって保管していますか?神社・仏閣を廻って御朱印を受けているとあっという間に御朱印帳の冊数が増えていきますが、そのまま棚などに置いている方が多いのでは?。せっかくお受けした御朱印ですので、日本では古くから着物を始めとして大切なものを保管する為に使われていた「桐箱」に入れて保管した方がよろしいかと思います。

 ぜひ、皆様も桐箱に御朱印帳を保管されてみたらいかがですか?

名古屋二十一大師霊場を行く-寄り道遍-

 名古屋二十一大師霊場十一番札所「如意山宝珠院」の納経を終え、前田家所縁の地である「荒子」を巡っていこうと思います。前田家は中川区西前田にある「前田城/紹介記事」から新たに受領した荒子に「荒子城/紹介記事」を築城し本拠を移したと言われています。まずは、荒子城に行く前に、「前田利家」が本堂を再建したと言われている「荒子観音」をまずは見ていこうと思います。

参拝記

 荒子の街を南北に抜ける元々のメインストリートの北側に建つ「荒子観音」になります。この写真からも、荒子町は荒子観音の門前町として発展した事が何となくわかります。

仁王門

 大正五年(1926年)に再建された仁王門になります。

延宝四年(1676年)円空作と伝えられる仁王像になります。数ある円空仏なのなかでも最大の円空仏になるんだとか。阿像は高さ321.3cm、吽像は高さ305.7cmという大きさです。

寺号標

山門の脇に据えられた「尾張国四観音 浄海山観音寺」と彫られた寺号標になります。

手水舎・水盤

 木像銅葺二本柱タイプの手水舎になります。手水舎・水盤とも砂利敷きの所に据えられていて、あまり手水舎としては使われていない印象ですね。


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本堂

 荒子観音は度々火事に見舞われていて、現在の本堂も平成六年(1994年)に焼失し、三年後の平成九年に落成した新しい本堂になります。
 重層屋根で重層部分の屋根は入母屋造になっている本堂で、かなり大きな唐屋根の向拝が設けられています。低層の本堂になっているのも特徴なのですが、本来正面中央にあるであろう本堂入口の掃き出し扉がかなりずれた場所に設けられていて、本尊などは窓越しでの参拝という様式になっています。

 中央の厨子の中に本尊である「聖観世音菩薩像」が奉安されています。尾張三十三観音霊場の札所本尊でもあります。

多宝塔

 国の重要文化財の「多宝塔」になります。昭和五十年にこの多宝塔の中のあった木箱の中から千体を超える円空仏が発見されたということなんですが、こういう建物の中って基本住職でも入らないものなんですかね・・・。清掃していたら見つかったなんで記述もあるのですが・・・ってことはあまり掃除しないってことなのかな?

地図で所在地を確認

寺院名浄海山圓龍院観音寺
所在地愛知県名古屋市中川区荒子町宮窓一三八番
最寄駅あおなみ線 「荒子駅」徒歩8分

寺院・霊場巡りの際のバイブルに

 元々、当サイトは神社巡りを通じて、皆様の住んでいる所にある"村の鎮守の神様"と呼ばれる神社を紹介してくサイトを目指していたんです。むしろ寺院については、縁遠いものとおもっていたんですよね。しかし、ちょっとした御縁で弘法大師霊場に出会い、そして愛知県では一番活動が盛んな"知多四国霊場"を巡礼、結願する事になりました。でも、神社の事はある程度知識があっても、寺院については未知の世界だったので、少しでも巡礼の時に役に立てばと思い、こちらの本を読ませて頂いております。

少しでも巡礼の時にお役に立てる事もあるかと思います。是非一度読んでみてくださいませ。

次の目的地は?

名古屋二一大師を行く

  十二番札所、または名古屋三弘法二番札所でもある「宝生山弁天寺/紹介記事」を目指します。

名古屋二一大師を行く-寄道遍-

 荒子観音のすぐ隣に鎮座する「神明社/紹介記事」を参拝していきます。

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