神社情報
神社名 | 熊野神社 |
鎮座地 | 常滑市金山屋敷二十四番地 |
御祭神 | 伊邪那美命、熊野加夫呂命 |
旧社格 | 村社 |
創 建 | 不明 |
神名帳 | - |
境内社 | 山神社、秋葉社 |
例祭日 | 不明 |
御朱印 | - |
H P | - |
参拝日:2018年7月25日
御由緒
社伝によれば、暦年は詳かではないが、その昔紀伊国熊野三社を金山村字大屋敷へ勧請し村内の氏神とした。享保十一年(1726)の記録には、長禄参己卯年(1459)社殿修覆の棟札が存在する。その後、文久二年(1862)今の地に遷社した。明治五年に村社に列格し、昭和七年に指定社となった。昭和五十九年改修が行われたことが、境内の石柱に記されている。棟札は、長禄三年(1459)、正徳五年、文久二年、文化七年を所蔵している。末社は 山神社、秋葉社である。
「大野谷文化圏HP」より
知多新四国霊場を行く
知多四国霊場六十六番札所「八景山 中之坊寺」のすぐ隣・・・というか同じ敷地内じゃないの?と思ってしまうくらい寺院と神社の間を仕切るものは何もないです。これが、寺院の鎮守社だとかなら解らないでもないのですが、神饌幣帛料供進指定の村社ですからねえ・・・。なかなか不思議な空間を味わえますよ。
そんな札所の隣に鎮座する神社を参拝しない訳にはいかないので、一旦寺院の境内からでて、熊野神社参道から再び境内に入りなおす事にします。
参拝記
航空写真を。熊野権現とマーカーが打たれているのが熊野神社で、そのすぐ隣の建物が中之坊寺の本堂になります。上空からの写真をみるとより一層、寺院と神社が一体となっているのが解っていただけると思います。
境内入口
熊野神社への参道はすこしわかりにくいのですが、中之坊寺の参道から細い道が分岐しているのでそちらに進むと熊野神社の境内入口にたどり着くことができます。
熊野神社の境内入口の場所に、新四国霊場六十六番札所を示す石柱が立っています。
明治以前は、もしかしたら中之坊寺の入口もここだったのかもしれませんね。
社号標
旧社格が彫られた社号標になります。
石柱下部には宮司名板をはめる枠が彫られていますね。この辺りは、すべての神社という訳ではないですが尾張地区と三河地区では共通性が感じられます。もしかしたら、全国的に宮司板をはめる枠が彫られているのかもしれませんね。
由緒板
数年後には墨がかすれて読みにくくなってしまうと思いますが、これだけはっきりと読める由緒書きが置かれているのは非常に助かります。
鳥居
参道の石段を登っていくと、昭和四十二年建立された明神鳥居がお出迎え。
手水舎・水盤
木造銅葺二本柱タイプの手水舎になります。
境内の隅に置かれていて、仮に水が張られていたとしても非常に手水しにくい場所なんですよね・・・。実際、日ごろ水もなく手水することはないにしても、もうちょっと手水しやすい場所においてほしいなあと思うんですけどね。
狛犬
昭和七年生まれの玉乗り子乗りの狛犬一対になります。
社殿
寄棟造瓦葺妻入りの拝殿になります。
非常に個性的な拝殿でして、拝殿全体が腰壁とガラス窓で囲まれた造りになっていて、拝殿の中が丸見えです。
まぁ、場所によっては壁のない開放型の拝殿も存在するので、こういった拝殿もありなんでしょうけど、壁がある分、すぐに中に物を置いてしまいがちで、拝殿の中が物置になってしまっている神社も見かけることが少ないですがありますので、丸見えになっている分、そういった所にも気を配る必要がでてくるので氏子総代さんや年行事(宮係)さんは大変だと思います。
非常に変わった本殿になります。
左右に雨除けの板が張られてしまっているので全体のシルエットがつかみにくいのですが、屋根の形状から春日造の本殿の様な感じを受けます。本殿の裏側の屋根の形状がわからないので何とも言えませんが・・・。
春日造
春日造の本殿は一間社で、基本は切妻妻入りの形状になりますが、正面側のみ庇が設けられます。この庇を向拝と呼びます。さらに、屋根は湾曲し反っているいるのが特徴になります。
境内社
本殿右側(向かって左側)に鎮座する境内社の山神社、秋葉社になります。
どちらがどの境内社なのかが解らなかったのが残念です。
参拝を終えて
開放的な拝殿と春日造であろう本殿は今まで自分が参拝してきた神社の中でも非常に特徴的な社殿様式でして、是非四国霊場を巡礼の際は、中之坊寺の納経だけではなく、隣の熊野神社へ参拝してほしいなと思います。
次の目的地は
知多四国霊場六十六番札所「八景山 中之坊寺」と「熊野神社」の参拝を終えて、次は六十七番札所「松尾山 三光院」を目指します。