豊田市

足助八幡宮(愛知県豊田市足助町)

2021年4月12日

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

 新愛知新聞社が昭和二年(1927年)に「愛知県の新十名所を読者投票で決定する。」というイベントを実施します。愛知県下を狂気の投票合戦へと誘ったこのイベントへの投票総数は驚異の1400万票以上。また、100票以上の投票を集めた名所候補は67カ所にも上ります。2022年、当サイトではこの67ヵ所の名所を巡り紹介していこうと思います。

神社紹介

神社名足助八幡宮
鎮座地愛知県豊田市足助町宮ノ後十二番地
御祭神品陀和気命、帯中日子命、息長帯比売命、
応神天皇、仲哀天皇、瀬織津比売命、
菊理比売命、日本武尊
旧社格郷社
創 建白鳳二年(673年)
神名帳
境内社津島社、御鍬社、稲荷社、塩竈社、秋葉社、
天満社、金比羅社
例祭日十月十五日
御朱印
H P

参拝日:2021年3月17日

御由緒

 由緒に出てくる「白鳳」という元号ですが、Wikipediaによると「寺社の縁起や地方の地誌や歴史書等に多数散見される私年号の一つ。」であるとしています。645年「大化」が日本初の元号として歴史の教科書にも載っていますが、飛鳥時代には新たな元号が定められていない時期が存在しています。

大化 645年ー650年
白雉 650年ー654年
 ー 654年ー686年
朱鳥 686年ー686年
 ー 686年ー701年
大宝 701年ー704年
慶雲 704年ー708年
和銅 708年ー715年

 上に示したように、654年から686年の32年間と686年から701年の15年間の合計47年間は元号が定められていません。この時期は、大化導入以前の様に、天皇の即位年を元年として在位期間で表している様なのですが、寺伝などを記する時に元号がないと不便だったのか、この元号空白の期間を中心に私元号を用いる事が多いみたいです。

 「白鳳」は私元号ですが様々な史料に用いられている元号になるのですが、この「白鳳」が西暦何年から始まったのかは史料によって時期がバラバラだったりします。白雉(650-654)の別称であるという説から、寺社の縁起でよく出てくる白鳳は672-685年前後を指しているという説まであったりします。そんな事から、白鳳〇〇年創建と出てきた場合、650年~686年の辺りだと思っていればいいのかなという感じですね。

 足助八幡宮には応永二十七年(1420年)に徳阿弥により奉納されたという大般若経1巻が現存しているそうです。徳阿弥は松平親氏の事ではないかとも考えられますが、正直な所松平親氏が本当に実在したのか?といったレベルの人物であることから、大般若経を寄贈した徳阿弥が松平親氏であると確証できる資料が発見されたら世紀の大発見になるのですが、残念ながらそういった資料がない所から徳阿弥が松平親氏であるとは断言できず、もしかしたら後年に造られた物になってしまうのかもしれません。

 足助八幡宮の縁起によると、元々足助八幡宮は飯盛山山頂に鎮座していたと伝えられています。飯盛山山頂には「磐座」がある処から、古代には飯盛山全体が御神体である山岳信仰から基礎にある神社ではないかと思います。創建当初の御祭神は磐座の所にも石碑がありましたが「山神」だったのかも。

 社伝に創建は白鳳二年(673年)二月十一日という。仁和四年(888年)七月、敦仁親王病気平癒の祈願あり。報賽に同年九月、大納言勝保を奉行として神楽・流鏑馬を奉納する。建久八年(1197年)四月、源頼朝参拝あり。帰着後、京より円範僧都を遣し祈祷を行い荘園の内より高二石九斗九升二合を祭祀料として寄進した。建仁三年(1203年)、藤原俊尚妻の病気祈願あり。報賽に回廊瑞垣を造営。承元元年(1207年)八月十五日、源頼重初めて放生会を行う。徳川の始祖松平太郎左衛門親氏(徳阿弥)自筆の大般若経を奉納する。建保年中(1213-8年)仁木左近太夫、鐘楼を寄進。宝永八年(1710年)、領主本多淡守、灯明料として足助村の内高三石八斗九升七合目を寄進。明治五年十月、郷社に列す。同四十年五月、本殿(文政元年造営)を特別保護建物に指定。同年十月二十六日、神饌幣帛料供進指定社となる。同四十四年九月十三日、大字今朝の八幡神社を合祀する。大正六年五月三十日、大字中之御所の天伯神社を本社に合祀、昭和二十七年八月三十日字岩清水の岩清水八幡社を境内神社として合祀する。

愛知県神社庁発刊「愛知県神社名鑑」より

参拝記

 足助八幡宮の境内は元足助町役場(現在の豊田市足助支所)の西隣にあります。丁度鳥居前が香嵐渓駐車場入口なるT字交差点となっていて、香嵐渓を訪れた事がる方の大半はこの神社の前を通った事があるのでは?。

境内入口

 国道420号線の足助八幡宮前のT字交差点の交差点名はささに・・「足助八幡宮交差点」でした。参拝した令和三年三月は丁度鳥居の建て替え工事が行われていて、正面から入る事ができませんでした。

 先代の鳥居と同様の木製の両部鳥居になるようです。徐々に色が変化していく木製の鳥居は非常に趣きがあります。
 ちなみに、ここ足助八幡宮は三河地方では非常に珍しく鳥居をくぐった先に蕃塀(ばんぺい)が据えられています。尾張地方では比較的メジャーな神社構成物なのですが、三河地方では足助八幡宮以外どこかにあったっけ?と思い浮かべられないほど希少な神社構成物のひとつになります。

蕃塀

 鳥居が工事中の為、蕃塀を表側から見る事ができなかったので、境内の中から見た蕃塀がこちら。

蕃塀とは? 
蕃塀とは、神社の構造物の一つで、その多くは参道上で拝殿の前に設けられる短い塀になります。一般には「不浄除け」、「透垣」、「籬」などとも呼ばれるそうです。蕃塀が設ける目的は、正殿を直視できない様にするとか、不浄なものの侵入を防ぐために造られたと思われるが、正確な目的は不明。尾張国地方に多く分布しています。

 ただ、足助八幡宮の社殿配置は特殊で、鳥居・蕃塀と直線状には本殿を始めとする社殿はなかったりします。元々は本殿と直線状の所に鳥居があったんだろうと思うので、国道420号線を敷設する際、足助八幡宮の境内を横切る形になった為、鳥居や蕃塀を移設したのかなと思っています。

社殿

 切妻銅葺平入に唐破風が設けられた向拝がある拝殿になります。
 足助八幡宮の本殿は文正元年(1466年)に建造されたで檜皮葺の三間社流造になります。国の重要文化財に指定されています。

 足助八幡宮の本殿周囲を囲む瑞垣は比較的低く設けられているのとかなり大型な本殿であることが重なってハッキリと本殿を見る事ができます。役所もわかっているようで、写真を撮影している場所に重要文化財となっている本殿の案内看板が設置されていたりします。

境内社

 社殿を挟んで左右に境内社が鎮座しています。向かって左手には、金比羅社、塩竈社、秋葉社、天満社が、向かって右手には津島社、御鍬社、稲荷社がそれぞれ鎮座しています。

地図で鎮座地を確認

神社名足助八幡宮
鎮座地愛知県豊田市足助町宮ノ後十二番地
最寄駅名鉄バス足助線「香嵐渓バス停」徒歩1分

ご自宅にお札は祀られていますか?

実家には神棚はあっても、今お住いの所には神棚がない方も多いかと思います。神棚には、日本の氏神である"天照大御神"とご自身がお住いの氏神様のお札を掲げると御神徳が宿るとされています。
賃貸住宅などに住まわれて簡単に神棚を掲げられないという方もお勧めなのが、

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南向き、もしくは東向きになる様に、そして目線の高さより上になる様に、棚などの上において頂くとよいかと思います。是非、皆様もご自宅に神棚をご用意いただき、御札を納めてほしいなと思います。

神社誌作成プロジェクト

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