名所旧跡など

福島正則像(名古屋市中区栄一丁目)

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

 新愛知新聞社が昭和二年(1927年)に「愛知県の新十名所を読者投票で決定する。」というイベントを実施します。愛知県下を狂気の投票合戦へと誘ったこのイベントへの投票総数は驚異の1400万票以上。また、100票以上の投票を集めた名所候補は67カ所にも上ります。2022年、当サイトではこの67ヵ所の名所を巡り紹介していこうと思います。

POINT

 熱田湊から名古屋城外堀まで通じる「堀川」を掘削した事で知られている「福島正則」像が名古屋市中区栄一丁目の堀川の護岸部分に建てられています。猪突猛進的なイメージのある福島正則ですが治水事業などの土木技術にも通じていた武将だったのかもしれませんね。

概要

名 称福島正則像
所在地名古屋市中区栄一丁目一番地付近(Googlemap

福島正則とは?

 現在の愛知県あま市で生まれ、豊臣秀吉に仕え清州城主となった武将。特に秀吉が柴田勝家と戦った「賤ケ岳の戦い」において特に豊臣方の武将で活躍した「賤ケ岳七本槍」の一人に数えられている事からも、豊臣家臣の中で「武」を象徴する武将といえます。
 関ヶ原の戦いにおいては、徳川家康率いる東軍に属し、先鋒として武功を挙げ、安芸広島四十九万石の大名となっています。ただ、その後の広島城の改築(修繕)についてその届けを幕府に出していないとして、信濃国川中島高井郡四万五千石へと減転封され、寛永元年(1624年)に高井郡にて死去。

愛知県あま市の福島正則生誕地に建つ石碑
愛知県あま市の菊泉院の境内に建つ福島正則供養塔

訪問記

 まさに名古屋の市街地のど真ん中を南北に流れる堀川なんですが、川といっても先にも述べたように人工的に掘削して造られた「運河」の様な物なので、殆ど川の流れというものがないみたいで、少し前まで日本で一番汚い川とまで言われていましたね。ただ、近年は堀川の環境改善が行われていて、パッと見る限りではそんなに汚いのか?と思えるくらいになっていました。なんか以前はヘドロ臭がしていたとか、いい話は聞いた記憶がなかったんですけどね。

 そんな環境改善著しい堀川の護岸部分は色々この辺りの憩いの場となる様な護岸整備も進んでいる様です。そんな護岸部分に造られた公園っぽい場所に、今回の目的である福島正則像が建てられています。

 それがこちら。なんだか福島正則の銅像はここにしかないんだとか?。実際、安芸藩は改易に近い感じで信濃に転封されていますし、その後の直系は断絶してしまい、一族が旗本として存続していた状況では銅像が作られるという事はなかったのかもしれませんね。

 猪突猛進という戦に強い武将というイメージのある福島正則ですが、ここ堀川の掘削は元より、安芸広島、転封先の高井郡でも、領内の開墾や治水に大きな功績があるという事で、文武両道の武将だったようですね。

地図で所在地を確認

名 称福島正則像
所在地名古屋市中区栄一丁目一番地付近(Googlemap

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