
大府市新東町に建つ四国直伝弘法、尾州大府の札所となっている曹洞宗の寺院になります。現在は無住となっている様で、方丈については雨戸が閉じられており非常にもの悲しい雰囲気となっています。
寺院情報
寺院名 | 八代山一如寺 |
所在地 | 愛知県大府市新東町五丁目一八七番地 |
御本尊 | 薬師如来 |
宗 派 | 曹洞宗 |
創 建 | 宝暦九年(1759年) |
札 所 | 四国直伝弘法 八番札所 尾州大府霊場 十一番札所 |
御朱印 | ○ |
H P | ー |
参拝日:2020年10月21日
沿革・由緒
大府市誌によると
大府市森岡町にある「正法山長沢寺」の末寺であり、宝暦九年(1759年)に長沢寺の弟子岸応が譲り受けたという薬師如来を祀り薬師堂と称したのが草創であるとされています。その後、文政二年(1819年)に恵苗により再興され、明治十三年に一如庵と改称しています。昭和十七年に寺格を有し一如寺と改号しています。
と記されています。
本寺となる「正法山長沢寺」は梅花観音霊場十番札所、尾州大府霊場二十二番札所になっている寺院になりますが、比較的知多半島でメジャーと思われる霊場の札所にはなっていないので、中々参拝される方は少ない寺院なのかもしれませんね。
参拝記
上記ストリートビューでは、中央左手になにやら手作り感満載の納経所が見えるかと思います。今では一如寺周囲も宅地化が進み、周囲は畑からアパートなどの集合賃貸住宅と新規分譲住宅などが混ざっているまさに新興住宅地に変貌しつつあります。その為、令和二年時点では納経所の場所は上記場所から移動して、一如寺の石柱門脇に据えられています。

正直、管理される方の目が届かないような納経所なのですが、自分が納経した時も朱肉ではなくスタンプだったといえしっかりと朱印を押すことが出来ていました。印もしっかりしていましたね。悪戯されて印が紛失したり、朱肉などが綺麗におせないとかになっていそうですが、この辺りはやっぱりよく聞くような日本だからなんでしょうか。
前回紹介した「藤井神社/紹介記事」から大体1km程北に進んだ場所に今回紹介する「八代山一如寺」があります。四国直伝弘法の札所の中でも中々のインパクトを残す納経所ではないでしょうか。札所が無住になってしまった為、近くの寺院が朱印を管理しているという事は聞いた事がありますが、こういった感じの納経所は正直他では見かける事は非常に少ないと思います。

納経所から境内入口方面を望むと、「四国直伝弘法大師第八番札所」と彫られた札所案内石柱が建てられています。昭和になってから寺号を称するようになったわけですから、大正時代は当然住職がいた寺院だったんでしょうね。

本堂というより方丈といった方が良い感じがします。庫裏と一体となっているのですが、無住の為すべての窓に雨戸が閉じられています。御賽銭を入れる場所であろう個所が一ヶ所空いているのですが、中を覗いても本尊や弘法大師像はよく見えません。いくら無住といっても、まるで廃寺となったかのような現状では、霊場の札所としての役目は終わっているのではないのかな?
近いうちに、元々本寺であった「正法山長沢寺」と合併してしまっても不思議じゃないですね。
御朱印
先ほど紹介した納経所にてセルフ朱印になります。
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所在地を地図で確認
寺院名 | 八代山一如寺 |
所在地 | 愛知県大府市新東町五丁目一八七番地 |
最寄駅 | 大府市循環バス 「東新町四丁目バス停」徒歩6分 |
寺院・霊場巡りの際のバイブルに
元々、当サイトは神社巡りを通じて、皆様の住んでいる所にある"村の鎮守の神様"と呼ばれる神社を紹介してくサイトを目指していたんです。むしろ寺院については、縁遠いものとおもっていたんですよね。しかし、ちょっとした御縁で弘法大師霊場に出会い、そして愛知県では一番活動が盛んな"知多四国霊場"を巡礼、結願する事になりました。でも、神社の事はある程度知識があっても、寺院については未知の世界だったので、少しでも巡礼の時に役に立てばと思い、こちらの本を読ませて頂いております。
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