三河海岸大師八十八ヶ所 東条吉良観音三十三ヶ所 西尾市

白峰山 圓通院【廃寺】(西尾市吉良町富好新田) 三河海岸大師 二十七番札所

2019年2月16日

令和四年新企画のお知らせ

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寺院情報

寺院名 白峰山 圓通院【廃寺】
所在地 西尾市吉良町富好新田上川並九十番地
御本尊 不詳
宗 派 曹洞宗
創 建 至徳元年
札 所 三河海岸大師 二十七番札所
東条吉良観音 十四番札所
御朱印
H P

参拝日:2018年9月24日

沿革・由緒

当寺は至徳元年饗庭妙鶴丸の開基にして元饗庭村白ヶ峰という山の麓にありしが、永禄年間心円徳公の時山間の不便を思いm現在の地(この由緒が書かれた時には吉良町小山田羽城)に移傳せり。当院に妙鶴丸の位牌あり。
妙鶴丸は高義親王の末孫にして加州石川郡石川村の人なり。官饌職の家にて加州においては石川妙鶴丸と称し、当国においては饗庭妙鶴丸と称せり。永徳三年後小松院の勅宣により饗庭七郷を賜り、移りて饗庭城に居る。寛正元年より文正元年に至るまで新田七郷を築けり。文明七年春当国の太守松平和泉守信光公を討ち以て他日将軍職に任せんとこと謀り、金蓮寺の本坊不動尊に於いて信光公を哭咀せる事発覚し、饗庭に於いて自殺せり。

「幡豆郡吉田村誌」より


永禄年間に饗庭城があった白ヶ峰というところから、松井氏が居城としていた波城の近くの羽城という地名に遷座したと由緒に残っています。この永禄年間・・・桶狭間の合戦から松平氏vs吉良氏の戦い、更には三河一向一揆と松平氏とこの地方にとって激動の永禄時代だと言えます。

そんな激動の中、饗庭城があった場所から波城下に饗庭氏所縁の寺院を移動させる事に何か意味がありそうな気がしてしかたありません。しかし、いつ移動したのかは分かりませんが、現在では小山田羽城から富好新田上川並に再度移動しています。この富好新田は吉良上野介義央が新田開発した場所として当ブログでも以前取り上げていますね。

圓通院所在地

参拝記

饗庭妙鶴丸所縁の寺院と三河海岸大師の札所という事で訪れてみたのですが、ご覧の通り本堂、庫裏などは残っていません。聞くところによると本堂、庫裏など火事によって消失してしまったそうです。

現在では、これまた以前紹介した西尾市西幡豆町にある安泰寺にて管理されているそうです。

三河海岸大師 札所石柱

廃寺となってしまっても、三河海岸大師の札所を示す石柱が残されているのは嬉しいですね。
札所の番号と札所の位置関係を考えると、二十七番札所に選ばれた後にこの地に移転したんだと思われます。

なにか当時の遺構なんかないかなと探していると・・

水盤が残されています。なんとなく彫られている紋が稲荷社などでよく見かける神紋に見えてしまいます。なんだろうと思っていると・・・

おや、狛犬ならぬ狛狐が残されていました。
円通院の鎮守社として稲荷社が鎮座していたんでしょうね。

参拝を終えて

当ブログの企画 小紀行「酒井氏発祥の地と金蓮寺」の中で、色々と巡っていくなかで、饗庭地区で非常にその名前を聞く「饗庭妙鶴丸」なんですが、いまいちはっきりした事が解らないのですが、その位牌があるという事で訪れてみたのですが・・・、残念ながら、廃寺となってしまっていて追跡断念となってしまいました。

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