岡崎市 岡崎西国観音

瑞生山総持寺(愛知県岡崎市中町) 岡崎西国観音二番札所

2021年9月12日

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

 新愛知新聞社が昭和二年(1927年)に「愛知県の新十名所を読者投票で決定する。」というイベントを実施します。愛知県下を狂気の投票合戦へと誘ったこのイベントへの投票総数は驚異の1400万票以上。また、100票以上の投票を集めた名所候補は67カ所にも上ります。2022年、当サイトではこの67ヵ所の名所を巡り紹介していこうと思います。

寺院情報

寺院名瑞生山総持寺
所在地愛知県岡崎市中町小猿塚三十七番地
御本尊大日如来
宗 派曹洞宗
創 建伝:建保二年(1214年)
札 所岡崎西国観音 二番札所
御朱印不明
H P

参拝日:2020年11月25日

沿革・由緒

 大正時代まで現在の籠田公園の南、現在の「無量山西岸寺/紹介記事」やNTTのビルが建つ辺りに境内を有する尼寺だったそうです。岡崎郵便局の移転計画があり、ほぼ廃寺寸前だった総持尼寺を現在の境内地に移転させ、旧境内地に岡崎郵便局が結果移転しましたが、歴史のある総持寺を移転させる事への反対運動が起こり、岡崎市や岡崎商工会議所、更には地元の有力企業を巻き込んでの騒動となったみたいですが、最後は反対派を押し切って総持寺の境内を収用、その代金で総持寺は移転となったようです。当時の総持寺は無住だった様で、檀家の総意では移転に前向きだったそうなので、落ち着くところに落ち着いたのかなとも思います。

 籠田公園から南に延びる道路沿いのNTTの建物が建つ辺りが総持寺の境内地だったそうです。少し前までは中央緑地と呼ばれる中央分離帯に植樹がされている場所だったのですが、岡崎市中心部の再開発事業によってその雰囲気は一変してなんだか、しゃれおつなコンコースへと生まれ変わっています。

 寺伝によると、総持寺は建保二年(1214年)に創建された寺院であると伝えられていますが、この寺伝は現在は江戸時代に総持寺の目代(檀家)であった本間蔵人家などによって創作された物であるとされています。この伝承が昭和四年発刊の「岡崎市史」の総持寺の記事に書かれていました。

 初めは天台宗にして、順徳天皇の御代、建保二年(1214年)、本間三郎重光の創立、皇女利慶徳善大比丘尼の開基であると云ふ。(その墳墓は岡崎天満宮の西南中町の地に在り。されど新しきものである。)

昭和四年発刊 岡崎市史第七巻

 ここで登場する「本間三郎重光」は、おかまいり岡崎十二社三番札所となっている「恵比寿神社/紹介記事」の由緒でも登場している人物になります。
 この本間三郎重光という人物は、「順徳天皇の御代、皇女様に野狐がついて御悩み重く、これを除く為「蟇目(ひきめ)の法」の使い手の土佐の国勤王の武士「本間三郎源重光」が都に召されて野狐を退治した。皇女様の御平癒は帝の御祝一方ならず今は亡き野狐の霊を祭らむとの仰せに日本六十余州の土を集めて築山稲荷として建立し、本間家が島町に本宅を構えて仕えた。」と伝承されている人物になります。で、野狐が憑いたとする皇女様というのが、総持寺の開基となる「利慶徳善大比丘尼」になるそうです。
 六十余州の国々の土を集めて気付いた築山に野狐の霊を祭る為に創建された「築山稲荷」。そして、この築山稲荷を鎮守として創建された寺院が「瑞生山総持寺」になるとするのが、総持寺に伝わる寺伝になるようです。

 この伝承に対し、現在、新編岡崎市史などを見ると、総持寺の創建については、室町時代の文和四年(1355年)頃の創建であるとしています。鎌倉幕府滅亡から建武の新政、室町幕府開幕にかけて、菅生郷は足利家の家臣団である「高氏」の所領となったようです。高氏は足利尊氏の副将格として活躍した高師直を初め、足利家臣団の中核を担った一族になりますが、観応の擾乱において足利尊氏と足利直義の戦いにおいて、高師直を始めとする高氏一族のほとんどが討ち死にしてしまいます。この騒乱が治まった文和四年(1355年)に高氏一族である高師冬の妻だった明阿が一族の菩提を弔うために、幕府より創建を認められた寺院になります。

 元々は尼寺であり、現在でも総持寺の庫裏に掲げられている表札には「総持尼寺」と書かれていますが、現在は男性の住職となっていて、総持寺と称している様ですが、まだまだ総持尼寺と紹介される事が多いとか。

参拝記

 国道1号線の朝日町3丁目の交差点から小呂町方面に抜け竜頭メーンロードに繋がる「小呂通り」の中で一番標高が高い場所辺りに総持寺の境内地があります。総持寺の境内のすぐ隣には岡崎市立甲山中学校の敷地があって、総持寺の境内から甲山中学校の体育館を見上げるような感じで立っています。

 入母屋造瓦葺妻入りの唐破風が設けられた向拝と高覧のある濡れ縁がある本堂になります。本堂から向かって左手には、写真では赤い鳥居と幟が見え隠れしていますが、こちらが岡崎十二社に名を連ねる「築山稲荷社」が鎮座しています。

 こんな感じで総持寺の境内に石造りの鳥居が据えられ、その奥に、深紅の鳥居と社殿が鎮座しています。六十余州の土を集めて作られた築山の上に鎮座する稲荷社が築山稲荷社の社名の由来であり、社殿が一段高い場所に鎮座しているのは、この「築山」をイメージしたものなのか、中町に鎮座していた時の社殿がこんな感じで一段高くなっていて、伝承もあって山となっていた部分をこちらに移したのか。。。この辺りは不明です。

 総持寺の本堂の中央に本尊が奉安され、その向かって左側には「築山稲荷荼枳尼天」が安置されています。この荼枳尼天と、先ほど紹介した本堂の外に鎮座する「築山稲荷社」とはどういった関係なんでしょうか・・・。神仏分離令の中で稲荷神と荼枳尼天を分離したのでしょうかね。

 境内に総持寺を創建したと伝えられている「明阿」の特集記事が掲げられていました。

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所在地を地図で確認

寺院名瑞生山総持寺
所在地愛知県岡崎市中町小猿塚37
最寄駅名鉄バス「中本町バス停」徒歩7分

寺院・霊場巡りの際のバイブルに

元々、当サイトは神社巡りを通じて、皆様の住んでいる所にある"村の鎮守の神様"と呼ばれる神社を紹介してくサイトを目指していたんです。むしろ寺院については、縁遠いものとおもっていたんですよね。しかし、ちょっとした御縁で弘法大師霊場に出会い、そして愛知県では一番活動が盛んな"知多四国霊場"を巡礼、結願する事になりました。でも、神社の事はある程度知識があっても、寺院については未知の世界だったので、少しでも巡礼の時に役に立てばと思い、こちらの本を読ませて頂いております。

少しでも巡礼の時にお役に立てる事もあるかと思います。是非一度読んでみてくださいませ。

-岡崎市, 岡崎西国観音