知多四国八十八ヶ所 知多郡美浜町

天竜山 禅林堂(美浜町古布) 知多新四国霊場開山所

2018年12月14日

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

 新愛知新聞社が昭和二年(1927年)に「愛知県の新十名所を読者投票で決定する。」というイベントを実施します。愛知県下を狂気の投票合戦へと誘ったこのイベントへの投票総数は驚異の1400万票以上。また、100票以上の投票を集めた名所候補は67カ所にも上ります。2022年、当サイトではこの67ヵ所の名所を巡り紹介していこうと思います。

寺院情報

寺院名 天竜山 禅林堂
所在地 愛知県知多郡美浜町古布字善切二十番地
御本尊 子安観音
宗 派 曹洞宗
創 建 弘治元年(1555年)
札 所 知多四国霊場 開山所
御朱印
H P

参拝日:2018年5月16日

知多新四国霊場公式ホームページのご紹介


http://chita88.jp/

沿革・由緒

知多四国霊場三開祖の一人「岡田半蔵行者」の偉業を讃え、ここ禅林堂に祀っています。
文政二年(1819年)半蔵行者は志を同じくする亮山和尚と値遇し、家屋田畑を売却して資金に充当し、霊場作りに全力を傾注した。大願成就した文政七年、半蔵行者は誓海寺で七十三才で没した。

知多四国めぐり」より

知多四国霊場を行く

知多四国霊場二十七番札所「天竜山 誓海寺」の境内に開山所となる「天竜山 誓海寺 禅林堂」が建っています。文政七年、この禅林堂で半蔵行者は亡くなりその偉業を讃えて開山所となったといいます。

以前紹介した、十四番札所「円通山 興昌寺」には、岡戸半蔵行者が生れた地域であり、半蔵行者を祀った「半蔵行者堂」が建てられていますね。

田畑屋敷をすべて売却して、福住村を飛び出した岡戸半蔵行者は、知多四国霊場を開創した後も福住村に戻ることもなく、古布の誓海寺の禅林堂にて最後を迎えています。


管理人が行く知多四国霊場巡礼の旅

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参拝記

誓海寺の境内には、開山所と二十七番札所への案内板が置かれています。
←に行くと開山所 →に行くと二十七番札所 のようです。

禅林堂

二十七番札所「誓海寺」の弘法堂と並ぶように禅林堂は建っています。
昭和十六年から十九年くらいにかけて、河和海軍飛行隊の基地開設の為、現在地に移転してしまった為、半蔵行者が亡くなった時とは場所は大きく異なっていますが、一つ一つ部材をこの地に運び移築したそうです。現在では改築されているようですが。

中央には、厨子が置かれています。禅林堂本尊は子安観音となっているので、もしかしたら中央の厨子の中に子安観音像が安置されているのかも。そして厨子の左側(向かって右)に半蔵行者像、右側(向かって左)には弘法大師像が安置されています。

大乗妙典六十六部供養塔

最初、半蔵行者のお墓かな?と思っていたんですが、調べてみると、半蔵行者が六十五才の時、建立した大乗妙典六十六部供養塔という物なんだそう。石塔の隣に建つ像は、半蔵行者を模した石像かな?

他にも半蔵行者所縁の品々が誓海寺には多数所蔵されているそうです。

半蔵行者の墓地がどこにあるのか解らず、もしかしたら、墓地も兼ねているのかしら・・・。

御朱印

参拝を終えて

生れた場所と死去した場所両方に半蔵行者として今もなお大切に祀られているんですね。知多四国霊場にどれだけ貢献したのかが解りますね。元の境内はどんな雰囲気だったんでしょうね。

次の目的地は

二十七番札所「天竜山 誓海寺」と開山所の「天竜山 禅林堂」を後に、次は二十八番札所「浄光山 永寿寺」を目指します。

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