知多四国八十八ヶ所 知多郡美浜町 野間開運霊場

護国山 吉祥寺(美浜町野間) 知多四国霊場 四十九番札所

2019年3月21日

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

 新愛知新聞社が昭和二年(1927年)に「愛知県の新十名所を読者投票で決定する。」というイベントを実施します。愛知県下を狂気の投票合戦へと誘ったこのイベントへの投票総数は驚異の1400万票以上。また、100票以上の投票を集めた名所候補は67カ所にも上ります。2022年、当サイトではこの67ヵ所の名所を巡り紹介していこうと思います。

寺院情報

寺院名 護国山 吉祥寺
所在地 愛知県知多郡美浜町野間桑名前二十四番地
御本尊 釈迦牟尼如来
宗 派 曹洞宗
創 建 慶長十年(1605年)
札 所 知多四国霊場 四十九番札所
野間開運霊場 四番札所
御朱印
H P

参拝日:2018年10月3日

知多新四国霊場公式ホームページのご紹介


http://chita88.jp/

沿革・由緒

慶長十年(1605年)開創の吉祥寺は本尊釈迦如来と秘仏毘沙門天王を奉安しています。特に毘沙門天は行基の作で、一木で三体を刻み、その一体を野間細目の御堂ヶ丘に祀ってありましたが、文安三年(1446年)当時に移し祀ったのです。
吉祥寺の毘沙門天は目の大きさから「細目の毘沙門さん」と呼ばれ、常滑市の広目寺の「広目の毘沙門さん」とは一対なんだとか。一木三体のうち残る一体は碧南市棚尾の毘沙門天であると言われています。

「知多四国めぐり」より

慶長十年(1605年)関嶺元通首座が一宇を建立とある。享保年間(1716-1736年)内海の性海寺十三世・五雲眼瑞和尚が中興開山したようだ。当初は背後の山に堂宇を構えていたと言われ、寛永年間(1624-1664年)二世法嗣・東嶽龍淵和尚の代に現在の地に移転したそうな。
寛政四年火災にて焼失した後は、仁州海寛和尚が本堂の再建に努力したという。

「知多四国めぐり礼所案内」より

創立慶長十年。開基関嶺玄通首座。本尊釈迦如来。別堂に秘仏毘沙門天王。知多四国第四十九番札所弘法大師。往古源平合戦の落人が当時部落の屋敷という所に毘沙門天王を背負って隠れ住んでいたという。落人の名字を七名字という。「中村、片岡、千賀、榊原、奥村、森岡、森田」その子孫が今も受け継がれている。ある信者により七武士をまつるために毘沙門天王の命により、諸願成就塔が建立された。その塔をさすって拝めば後利益があるという。

境内前「曹洞宗護国山吉祥寺沿革」より

知多四国霊場を行く

知多四国霊場四十八番札所「禅林山 良参寺」から国道247号線を北上し、途中「野間灯台」を左手に臨みつつ野間地区に入っていきます。海に沿って国道が右カーブし、すぐに富具神社の看板が見えてきます。看板を超えるとすぐに国道は左にカーブし河を渡河していきますが、吉祥寺は渡河せずに、川沿いを進んでいくとたどり着けます。

駐車場は広めに用意されているので、安心して車で参拝できます。


管理人が行く知多四国霊場巡礼の旅

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参拝記

地図とストリートビューを見て頂くとわかるかな?と思うのですが、石柱門のある参道入口と山門のある境内入口の間には冨具崎川が流れていて、橋でつながれた形になっています。境内の対岸にはご覧の通り駐車場が整備されています。

参道入口

参道入口脇には、「新四国第四十九番、福住毘沙門天王 霊場」と彫られた石柱が据えられています。

福住毘沙門天王は、由緒にも出てくる行基菩薩の作と伝えられている「細目の毘沙門さん」の事かな?と思います。
一木三体の毘沙門天という事で、残る二体の内、一体は常滑市広目にある広目寺に安置されている毘沙門天であり、もう一体は、碧南市棚尾にある妙福寺に安置されている毘沙門天の事だとは思うのですが、妙福寺の毘沙門天については、妙福寺の由緒を見ると、「聖徳太子作の毘沙門天であり日本三体毘沙門天王の一体」であるとされています。行基作からさらに時代が遡って聖徳太子作になっていて、もしかして違う毘沙門天だったかな?とGoogle先生で調べてみても、棚尾にある毘沙門天でhitするのは妙福寺の毘沙門天でのみなので、あっていると思うのですが・・・。

ところで、日本三体毘沙門天とは?日本三大毘沙門天ではなく、日本三体毘沙門天です。調べてみたところによると・・・、

日本三体毘沙門天


鞍馬寺[京都府]
朝護孫子寺[奈良県]
妙福寺[愛知県]

上記三ヶ寺に安置されている毘沙門天を指すようです。鞍馬寺、朝護孫子寺の二ヶ寺と妙福寺との寺格が違いすぎるきもしますが・・・。

広目寺は四国直伝弘法六十一番札所
妙福寺は三河新四国七十三番、七十四番札所

と今回行基作の一木三体毘沙門天王が祀られている寺院はすべて弘法大師霊場の札所に選ばれていますので、近々それぞれ参拝する時が来ると思いますので、その時は紹介させて頂きます。

山門

冨具崎川を渡る石橋の向うに潜戸を有する袖壁が設けられた薬医門の山門があります。
このアングルは非常に吉祥寺を表しているとおもうんですけどね。

手水舎・水盤

瓦葺木造四本柱タイプの手水舎になります。
ここ吉祥寺の手水舎は軒高が非常に高いのですが、屋根が簡素に作られている為かそこまで腰高には感じないのですが、貫が上部にしか施されていない為、地震の際、支え柱が二本だけでは心もとないかな?と思います。

本堂

切妻屋根に四方に垂れる屋根(もしくは庇)が設けられている屋根の形状を「錣(しころ)屋根」と言います。ここ吉祥寺の本堂は錣屋根瓦葺平入の本堂ということになります。

こちらには、本尊である釈迦牟尼如来が中央に安置されています。本堂の写真で向かって左側の窓の中から仏像が見えていますが、たぶん吉祥天が安置されているんだとおもいます。毘沙門天と吉祥天は夫婦の神様になっているので、毘沙門天が祀られている事から寺名を吉祥寺にしたんだろうと思うのですが。

毘沙門堂

秘仏である毘沙門天王が安置されている入母屋造妻入りの向拝が設けられた毘沙門堂になります。
かなり大きい毘沙門堂になりますね。昭和十二年に一宮の信者の発起により十万信徒の寄付を得て再建されたんだとか。

大師堂

宝形屋根の唐破風の向拝が設けられた大師堂になります。

ここの大師堂の向拝の屋根には

なかなか趣きのある絵が掲げられています。ついつい見入ってしまいます。

「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」・・・

御朱印

参拝を終えて

山門を潜り一番最初に目に入ってくるたぬきの焼き物になります。
何故たぬきなのか・・・。そのあたりはよくわかりませんが、深く印象に残るお姿だと思います。

次の目的地は

知多四国巡礼七日目もここ吉祥寺でタイプアップとなってしまいました。次回八日目はいよいよ野間地区の札所を巡る処からスタートします。平成三十年四月十八日に野間を訪れ、五十三番札所「鶴林山 安養寺」を参拝した時に住職さんから進めれて「知多四国霊場」と出会ってから早くも半年が経過してしまいましたが、やっと野間地区に戻ることになりました。あの時に野間を訪れなければ知多四国霊場を廻る事もなかった訳で、少しの切っ掛けで大きく人生って変わるわけです。

これも大師様のお導き・・・なのかも?

八日目最初の参拝は五十二番札所「鶴林山 密蔵院」になります。

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