名古屋西区

冨士浅間神社(名古屋市西区浅間一丁目)

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

 新愛知新聞社が昭和二年(1927年)に「愛知県の新十名所を読者投票で決定する。」というイベントを実施します。愛知県下を狂気の投票合戦へと誘ったこのイベントへの投票総数は驚異の1400万票以上。また、100票以上の投票を集めた名所候補は67カ所にも上ります。2022年、当サイトではこの67ヵ所の名所を巡り紹介していこうと思います。

ONE POINT

名古屋市西区浅間に鎮座する冨士浅間神社の紹介です。元々は今の東区富士塚三丁目の冨士社が建つ場所に鎮座していたそうですが、名古屋城の築城に際し、普請場となった為、現在の境内地に遷座した歴史をもつ神社になります。

神社情報

神社名冨士浅間神社
鎮座地名古屋市西区浅間一丁目三十二番地二(Googlemap
例大祭十月四日・五日
創 建応永五年(1398年)
御祭神木花開耶姫命
瓊瓊杵尊
大山祇命
天照大御神
彦火々出見命
旧社格郷社
神名帳

境内社

境内社稲荷社(御祭神:宇迦之御魂神)
神明社(御祭神:天照大御神)
疱瘡社(御祭神:大穴牟遅神)
白山社(御祭神:菊理比売命)
八幡社(御祭神:応神天皇)
津島社(御祭神:須佐之男命)
秋葉社(御祭神:加具土命)
天神社(御祭神:菅原道真)
金刀比羅社(御祭神:大国主命)
宗像社(御祭神:市杵嶋比売命)

文化財

国 宝
国指定
県指定
市指定
町指定
村指定

参拝情報

御朱印
URL
駐車場
参拝日2022年4月13日

御由緒

 名古屋市史・寺社編によると、
 『もとは浅間社といい、俗に巾下浅間という。勧請の年月詳ならず。往古は今の東区富士塚町三丁目富士社の地にありしを、慶長十五年、築城の際今の地に假遷座し、終に鎮座の地となれり。』
と書かれています。

 しかし、愛知県神社名鑑には創建は室町幕府書紀の応永五年(1398年)であるとし、筑前国の宗像神社の社家である三谷家十九代の孫三谷源太夫によって創建されたと記しています。

三谷氏とは?

 「尾張群書系図部集」によると、後醍醐天皇の家臣に三谷六郎左衛門尉行氏という者が筑前権守に任ぜられており、筑前宗像社と何らかの関りがあった可能性があり、三谷源太夫はこの三谷六左衛門行氏の末裔なのではないかと紹介しています。

 また、富士浅間神社の旧社地である名古屋市東区富士塚町周辺は元々「前山」と呼ばれていた場所になり、この地に居を構えていた三谷氏は前山姓を称していた様で、名古屋市史の中でも歴代宮司として「前山源太夫(応永年中の神主)」と三谷姓ではなく前山姓で書かれています。

 名古屋市東区上名古屋二丁目に鎮座する「宗像神社」の由緒には、『創建は不詳だが応永五年(1398年)三月の棟札が伝わる。」とし、歴代宮司の中に「前山源太夫(応永五年在任)」と富士浅間神社の宮司と同じ名を見る事ができます。

 この事から、前山源太夫は、熱田台地の北西側の当時入江が広がっていたであろう海沿いの場所に宗像神社を創建し、自らの居を構えた前山の地には富士浅間神社を創建したのでしょう。想像ですが前山あたりから東を望むとうっすらとみえる雪山を富士山と思い、富士浅間神社を勧請したのかも・・?。

 実際の所は、名古屋市内からだと南アルプス山脈が邪魔をして富士山を望むことは不可能なんだそうですが、名古屋市内でも富士見という地名や江戸時代の葛飾北斎の富岳三十六景の中で尾州不二見坂で桶の中から見える富士山が描かれていますが、これ何なのか?結論から申し上げると、どうやら南アルプス山脈の聖岳を富士山と見誤っていたというのが有力っぽいです。前山源太夫ももしかしたら聖岳を富士山と見誤ったのかもしれませんね。

 江戸時代になると(富士浅間神社が前山から現在の地に遷座してから?)前山姓から三谷姓に復姓し、尾張藩十社家のひとつに数えられるようになっていきます。

遷座

 慶長十五年(1610年)、天下普請として名古屋城の築城が始められると、前山の地は浅野行長の普請場となった為、現在の境内地に假遷座となります。假遷座としていた事から、名古屋城が完成した後、前山に復座する予定だったのでしょうが、結局この地に遷座しており、前山には新たに富士浅間神社が勧請され富士社が創建されています。

社伝に筑前宗像神社の社家三谷家第十九代の孫三谷源太夫応永五年(1398年)六月、駿河冨士浅間神社の神璽を請け、前山(東区富士塚町)の社地に創祀する。慶長十五年(1610年)名古屋城築城の際社地附近が普請場となり、源敬公の命により今の境内地に遷座す享保九年(1724年)五月十三日、城下の大火により焼失、元治元年(1864年)改築あり、明治八年一月十五日、村社に列格し、明治四十年十月二十六日、指定社となる。昭和十七年四月一日、郷社に昇格する

愛知県神社庁発刊「愛知県神社名鑑」

御祭神

  • 木花開耶姫命

御朱印帳の保管に

 数年前より非常に集める方が増えた「御朱印」ですが、皆様は御朱印帳はどうやって保管していますか?神社・仏閣を廻って御朱印を受けているとあっという間に御朱印帳の冊数が増えていきますが、そのまま棚などに置いている方が多いのでは?。せっかくお受けした御朱印ですので、日本では古くから着物を始めとして大切なものを保管する為に使われていた「桐箱」に入れて保管した方がよろしいかと思います。

 ぜひ、皆様も桐箱に御朱印帳を保管されてみたらいかがですか?

参拝記

 美濃路と国道22号線に挟まれた住宅地の真ん中に冨士浅間神社は鎮座しています。周囲は一方通行となっている道路が多いので、注意してください。また、参拝者用の駐車場もないので、参拝の際は駐車する場所には気を付けてください。

境内入口

 冨士浅間神社の境内を囲むように石造瑞垣が設けられ、社殿正面となる南側には社号標、石造神明鳥居が瑞垣外に設けられて、幟立石が瑞垣内に設置されている境内入口になります。

 郷社に昇格後に設けられた社号標になります。昭和十七年十一月四日の建立・・・隠されていたとはいえ太平洋戦争の転換期となったとも言われるミッドウェイ海戦後の建立・・・・正直まだこの頃まではこうした石柱を作る余裕があったんですね。

 境内東側にも境内入口が設けられており、こちらには郷社昇格前の村社時代の社号標が据えられています。

手水舎

 RC造瓦葺四本柱タイプの手水舎になります。

神楽殿

 入母屋造瓦葺妻入りの周囲に高覧付きの濡れ縁が設けられた神楽殿になります。

社殿

 入母屋造銅板葺平入の拝殿を有する社殿で、平成八年に社殿の増改築が行われています。参拝していた時にも感じたのですが、改めて写真を見てても、冨士浅間神社の社殿には尾張地方特の雰囲気は感じられないのが逆に名古屋地区の神社を巡っていて新鮮だったりします。

境内社

 社殿向かって右側に境内社である稲荷社の鳥居が据えられています。

 その先に、稲荷社の社殿の他に六社相殿や天神社が鎮座しています。

 昭和七年に埋め立てられ現在ではその姿を見る事は出来ませんが、それまでは冨士浅間神社の境内西側に「江川」が流れていたそうで、その江川に架かっていた「江川橋」の親柱と欄干の一部が移設されています。

鎮座地を神社で確認

神社名 冨士浅間神社
鎮座地名古屋市西区浅間一丁目三十二番地二(Googlemap
最寄駅電車:名古屋市営地下鉄・鶴舞線「浅間町駅」徒歩2分
バス:

ご自宅にお札は祀られていますか?

実家には神棚はあっても、今お住いの所には神棚がない方も多いかと思います。神棚には、日本の氏神である"天照大御神"とご自身がお住いの氏神様のお札を掲げると御神徳が宿るとされています。
賃貸住宅などに住まわれて簡単に神棚を掲げられないという方もお勧めなのが、

南向き、もしくは東向きになる様に、そして目線の高さより上になる様に、棚などの上において頂くとよいかと思います。是非、皆様もご自宅に神棚をご用意いただき、御札を納めてほしいなと思います。

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