名古屋市中区

那古野神社(名古屋市中区丸の内二丁目)

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

 新愛知新聞社が昭和二年(1927年)に「愛知県の新十名所を読者投票で決定する。」というイベントを実施します。愛知県下を狂気の投票合戦へと誘ったこのイベントへの投票総数は驚異の1400万票以上。また、100票以上の投票を集めた名所候補は67カ所にも上ります。2022年、当サイトではこの67ヵ所の名所を巡り紹介していこうと思います。

ONE POINT

名古屋市中区丸の内に鎮座する那古野神社の紹介です。元々は名古屋城内の三の丸に鎮座していた天王社であり、明治時代に現在の境内地に遷座し、社名を改称した神社になります。

神社情報

神社名那古野神社
鎮座地愛知県名古屋市中区丸の内二丁目三番地十七(Googlemap
例大祭七月十六日
創 建延喜十一年(911年)
御祭神建速須佐之男命
櫛稲田比売命
兵主神
八柱神
旧社格縣社
神名帳

境内社

境内社福寿稲荷社
金山神社
日進社
月進社
白山社
弥五郎社
青麻社

文化財

国 宝
国指定
県指定
市指定
町指定
村指定

参拝情報

御朱印
URL
駐車場
参拝日2022年4月13日

御由緒

 徳川家康の天下普請による名古屋城築城以前からこの地に「天王社」が鎮座していたという。当然、名古屋城の築城に際し、天王社を縄張りの外に遷座させる予定だったのですが、徳川家康は普請奉行佐久間河内守政実に命じ、天王社の遷座について神籤による神意を問わせた結果、三度神籤を引き、三度とも遷座は不可という結果であった為、天王社は名古屋城内三の丸に鎮座する事になったという。

名古屋と那古野

 名古屋城が建つ場所には熱田台地の北西角に当り、この場所には織田信長が城主を務めた「那古野城」が建っていました。この那古野城は織田信長の父である織田信秀が天文元年(1532年)に攻め落とすまで駿河・遠江を治めていた今川氏の一族であるされる那古野氏の居城であり、一説には今川義元の兄弟であるとされる今川氏豊が城主を務めていた城になります。那古野氏は今川仲秋が尾張守護となった時の代官として尾張国に封じられた今川氏の一族であると伝えられており、後に尾張守護となった斯波氏と今川氏との間で遠江を巡る争いが起こっている中でも那古野周辺を維持し続けていた事になります。

 さて、「那古野」は何と読みますか?今回紹介している那古野神社は「なごのじんじゃ」と読みますし、地名の名古屋市西区那古野も「なごの」と読むのですが、那古野とかいて「なごや」とも読む事もあるようです。江戸時代の書物では「那古野」という文字は使われておらず、「名古屋」に統一されている辺りを考慮すると、新たな尾張藩の居城として「名古屋」に意図的に統一されてきたのだと思います。それが江戸幕府から明治政府にかわって再び「那古野」の地名が復活するっていうのも歴史の揺り戻しと言えるのですかね。

 那古野城の近くに鎮座していた「天王社」は社伝によると平安時代の延喜十一年(911年)に醍醐天皇の勅命によって創建された神社になります。延喜式の編纂を命じた醍醐天皇が創建した神社ですが、延喜式神名帳にその名を見る事が出来ない辺り、当時の朝廷内にはそうした忖度はなかったようです。
 名古屋市史・社寺編の廃寺の項に安養寺について記されていて、安養寺は亀尾山安養寺華王院と号する真言宗の寺院であり、その創建は天王社と同じく延喜十一年三月十六日であるとし、僧坊十二宇が建立したとし、安養寺はこの十二坊の一つ「天王坊」であるとし、伝承では徳川家康が織田家人質となった時に天王坊に拘留されたという。江戸時代を通じて安養寺は天王社の別当を務め、常林坊、南之坊、西之坊の三坊の塔頭を有する寺院であったが、明治政府による神仏分離令によってすべて廃寺となっています。

 尾張名所図会に亀尾天王社として紹介されています。尾張造の社殿には中央に天王社の本殿、その左右に兵主社と八王子社の社が鎮座しています。そして参道の途中に別当である安養寺が描かれています。

  • 元和五年(1619年):天王社西隣に東照宮が建立される。
  • 天和六年(1620年):徳川義直より三百四十八石の社領が寄進される。
  • 寛永六年(1629年):徳川義直が摂社となる「兵主社」を建立する。
  • 明治四年(1871年):社領没収、別当安養寺は破却。
  • 明治五年(1872年):郷社に列格。
  • 明治九年(1876年):三の丸から現在の境内地へ遷座。
  • 明治九年(1876年):縣社に昇格。

「尾張志」に天王社の縁起は醍醐天皇の延喜十一年(911年)三月十六日、勅により此地に鎮座す。と天文元年(1532年)三月十一日那古野城主今川氏豊を攻めた、織田信秀の合戦の兵により炎上したが、同八年再建す。慶長十五年築城の時社廊内となるを外に遷さんとするも家康は往古の恵報を思い三度神籤を頂くも田地に案じて奉斎する。義直(源敬公)寛永六年(1629年)造営し、元和六年(1620年)九月、三百四十八石を寄進する。明暦二年(1656年)二代藩主光友も修造し代々藩主崇敬あつく大祭には五十石を奉献した。明治維新に際し須佐之男社に改め、明治五年郷社に列格し名古屋鎮台創設につき、同九年十月五日、三の丸より今の社地に遷座し同九年十一月七日、縣社に昇格する。同三十二年七月八日、那古野創始により那古野神社と改称した。昭和二十年三月の空襲により本殿、拝殿等炎上す。同三十年復興した。

愛知県神社庁発刊「愛知県神社名鑑」

御祭神

  • 建速須佐之男命
  • 櫛稲田比売命
  • 兵主神
  • 八柱神

御朱印帳の保管に

 数年前より非常に集める方が増えた「御朱印」ですが、皆様は御朱印帳はどうやって保管していますか?神社・仏閣を廻って御朱印を受けているとあっという間に御朱印帳の冊数が増えていきますが、そのまま棚などに置いている方が多いのでは?。せっかくお受けした御朱印ですので、日本では古くから着物を始めとして大切なものを保管する為に使われていた「桐箱」に入れて保管した方がよろしいかと思います。

 ぜひ、皆様も桐箱に御朱印帳を保管されてみたらいかがですか?

愛知県下新十名所を巡る

 2022年のメインの企画「愛知県下新十名所」ですが、今回から第六弾の遠征となる今回は名古屋城近くにある「京町薬祖神」を目指してバイクを走らせていきます。

 名古屋市西区に鎮座する「冨士浅間神社/紹介記事」の参拝を終えて、名古屋城南側の丸の内に鎮座する「那古野神社」を参拝します。那古野神社は名古屋城三の丸に鎮座しており、元々は天王社と称していた神社になります。

 愛知県下新十名所と名古屋新十名所巡り
ー京町薬祖神・闇之森・榎ノ権現・久屋金刀比羅社ー

参拝記

 名古屋城に陸軍名古屋鎮台が置かれるまで那古野神社が鎮座していた三の丸は現在官庁街となっているのですが、その三の丸とは空堀跡を挟んで南側に那古野神社は鎮座しています。現在の那古野神社の境内地がある場所は、名古屋城が築城当時から碁盤の目のような都市開発が行われていた場所で、丸の内と呼ばれる地区になります。そんな場所ですので、那古野神社には参拝者用の駐車場は用意されていないみたいですので、車で参拝される際はコインパーキングなどを利用してください。

境内入口

 那古野神社と次回紹介しますが名古屋東照宮とは境内が隣同士というか一にしている形になっていて、長者町通に面する側に設けられた境内入口には那古野神社の社号標が設けられた石造神明鳥居が設けられています。

 那古野神社の境内は

 この鳥居から真っ直ぐ進んでいくと・・

 長島町通に面している境内入口へと通じています。こちら側は東照宮の社号標と青銅製明神鳥居が据えられた境内入口となっています。まぁ、写真を見直しててあれ?それぞれ社号標が違ってたんだなと気付いたぐらいで、正直参拝している時は別の神社に参拝しているという感じはまったくしませんでしたね。それくらい自然な形で境内が分けられているそんな神社になります。

手水舎

 木造銅板葺四本柱タイプの手水舎になります。手水舎を囲むように跳水対策なんだろう衝立が設けられているのが特徴でしょうか。

境内

 手水を終え、参道から社殿を望みます。幅広く設けられた石畳の参道がまっすぐ社殿に向かって伸びています。

狛犬

 参道の途中に鎮座する狛犬一対です。狛犬の表面に傷がついているのは空襲の影響なのでしょうか。

 切妻銅板葺妻入りの向拝が設けられた拝殿を有する社殿になります。拝殿の全体的な雰囲気は神明造を意識しているような感じがします。

境内社

 境内、社殿向かって左手に日進社、月進社、白山社、弥五郎社、青麻社の五社の社が基壇上に並んで鎮座しています。

 社殿向かって左手、東照宮との間の境界近くに鎮座する稲荷社になります。やはり稲荷社といば主塗りの連続した鳥居ですよね。

 何時頃から那古野神社の境内社になっているのかは不明ですが、社殿を囲む瑞垣が設けられている金山神社になります。美濃国垂井に鎮座する「南宮神社」から勧請創建されたと由緒書きに書かれています。

明倫堂跡

 由緒でも出ていますが、那古野神社と名古屋東照宮の境内は尾張藩の藩校である「明倫堂」の跡地に遷座されています。天明三年(1783年)に細井平洲を初代総裁として開校したそうです。

鎮座地を神社で確認

神社名 那古野神社
鎮座地愛知県名古屋市中区丸の内二丁目三番地十七(Googlemap
最寄駅電車:名古屋市営地下鉄・鶴舞線「丸の内駅」徒歩4分
バス:名古屋市営バス・名駅14系統他「外堀通バス停」徒歩3分

ご自宅にお札は祀られていますか?

実家には神棚はあっても、今お住いの所には神棚がない方も多いかと思います。神棚には、日本の氏神である"天照大御神"とご自身がお住いの氏神様のお札を掲げると御神徳が宿るとされています。
賃貸住宅などに住まわれて簡単に神棚を掲げられないという方もお勧めなのが、

南向き、もしくは東向きになる様に、そして目線の高さより上になる様に、棚などの上において頂くとよいかと思います。是非、皆様もご自宅に神棚をご用意いただき、御札を納めてほしいなと思います。

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