ONE POINT
北名古屋市九之坪にある曹洞宗の大雲山平田寺の紹介です。平田城主だった平田氏により創建された寺院であることから寺号も平田寺にしたとか。雨乞いの龍神で知られており、さらに豊臣秀吉の位牌がある事でも知られています。
寺院紹介
寺院概要
寺院名 | 大雲山平田寺 |
所在地 | 愛知県北名古屋市九之坪宮前六番地 |
創 建 | 永禄七年(1564年) |
宗 派 | 曹洞宗 |
御本尊 | 阿弥陀如来像 |
霊 場
霊 場 | 西春二十一大師 二十一番札所 |
前札所 | 霊 場 | 次札所 |
---|---|---|
補陀山瑞雲寺 | 西春二十一大師 | ー |
文化財
国 宝 | ー |
国指定 | ー |
県指定 | 絹本著色釈迦三尊像並びに羅漢図 木造五劫思惟阿弥陀如来坐像 |
市指定 町指定 村指定 | 黒印状付通函 黒池龍神謡曲 木造薬師像(円空仏) 木造天神像(円空仏) 木造観音像(円空仏) |
参拝情報
御朱印 | 不明 |
URL | https://heidenji.jp/ |
駐車場 | ○ |
参拝日 | 2022年3月9日 |
御由緒
西尾市吉良町荻原にある海蔵寺所蔵の「雲版:愛知県指定文化財」の銘文に「勧進僧宗重 尾張国春日郡平田寺 暦応二年二月日」と記載されています。暦応二年は西暦1339年であり南北朝時代に当り、「尾張国春日郡平田寺」とは今回紹介している平田寺であるとしています。この事から、南北朝時代以前(少なくとも鎌倉時代)には創建された寺院であるといえます。
荻原山海蔵寺
愛知県西尾市吉良町荻原にある浄土宗西山深草派の寺院で、先に紹介した「雲版」の他に県指定文化財の阿弥陀如来坐像を所蔵しています。創建は文明二年(1470年)と伝えらえる。
三河三十三観音霊場 二十六番札所
三河海岸大師 三十三番札所
永禄七年(1564年)平田城主「平田和泉守」により天台宗の寺院として開山。
平田城の平田氏も元々は斯波氏の家臣であったとされ、斯波氏没落後は織田信長に臣従したと考えらえます。平田城は九之坪から南南西1.5km程の場所にあり、元々九之坪を治めた「簗田氏」とは斯波氏の家臣団で同僚?だったと考えらえられます。
平田寺は平田氏の香華院だったようで、現在でも平田和泉守の位牌が残されているそうです。
寺伝では慶長四年(1599年)に豊臣秀吉より三百石の社領を受領としていますが、秀吉は慶長三年(1598年)に死去している為、仮に慶長四年に社領の寄進があったとしたら豊臣秀頼からの寄進だったのではないでしょうか。
慶長九年(1904年)、現在の瀬戸市に建つ大龍山雲興寺の宗準和尚が中興開山を行い曹洞宗に改宗。
元和六年(1620年)尾張藩主「徳川義直」より黒印地五十二石を受領。
寛永三年(1626年)尾張国は大干ばつに見舞われ、日照り続きに困り果てた九之坪の民は平田寺二世快巌儀雲和尚に雨乞いを求めた。和尚は黒池に住まいし龍神に降雨を祈願し、龍神により三日三晩雨がもたされた。和尚はこの龍神を鎮守として後世まで祀る事を約束し、平田寺境内に祠を築いた。
この伝承より、平田寺は雨乞い(降雨)に御利益がある寺院として知られています。
簗田政綱ゆかりの地巡り
令和4年(2022年)3月9日(水)、豊明市と北名古屋市に点在している桶狭間の戦いで軍功一位とされた「簗田政綱」の所縁の地を巡る遠征に出かけました。桶狭間の戦い以降はしっかりとした史料が残っていなかったりしてある意味「謎の武将」の感がある簗田政綱の数少ない?足跡を辿っていきたいと思います
高畑神明社(愛知県北名古屋市九之坪)
北名古屋市九之坪地区に鎮座している「高畑神明社」の紹介です。元和三年(1617年)に勧請されたと伝えらえる神社なのですが、どういった経緯で勧請されたのかは不明となっています。
月峰山松元院(愛知県北名古屋市九之坪)
北名古屋市九之坪にある曹洞宗の寺院である「月峰山松元院」の紹介です。戦国時代の連歌師「紹巴」がこの寺院にて宿泊したと富士見道記に記しています。
花厳山観昌寺(愛知県北名古屋市九之坪)
愛知県北名古屋市九之坪の曹洞宗の寺院である「花厳山観昌寺」の紹介です。開山が平田寺四世中山元甫であるなど平田寺との関係が強かった寺院であり、平田寺末寺になっていました。現在では大相撲七月場所(名古屋場所)の際に式秀部屋が宿舎としています。
補陀山瑞雲寺(愛知県北名古屋市九之坪)
北名古屋市九之坪に建つ曹洞宗の補陀山瑞雲寺の紹介です。以前は平田寺の末寺だったとか。この瑞雲寺に九之坪城主であり桶狭間の戦いで軍功をあげた簗田出羽守の位牌が安置されています。
大雲山平田寺(愛知県北名古屋市九之坪)
北名古屋市九之坪にある曹洞宗の大雲山平田寺の紹介です。平田城主だった平田氏により創建された寺院であることから寺号も平田寺にしたとか。雨乞いの龍神で知られており、さらに豊臣秀吉の位牌がある事でも知られています。
御朱印帳の保管に
数年前より非常に集める方が増えた「御朱印」ですが、皆様は御朱印帳はどうやって保管していますか?神社・仏閣を廻って御朱印を受けているとあっという間に御朱印帳の冊数が増えていきますが、そのまま棚などに置いている方が多いのでは?。せっかくお受けした御朱印ですので、日本では古くから着物を始めとして大切なものを保管する為に使われていた「桐箱」に入れて保管した方がよろしいかと思います。
ぜひ、皆様も桐箱に御朱印帳を保管されてみたらいかがですか?
参拝記
十所社の参道脇に平田寺が鎮座しています。十所社の手水舎の所から平田寺本堂の裏手にアクセスする事が出来る様なのですが、平田寺山門側は上記の場所から十所社参道から西側にそれて向かう事ができます。
参道
平田寺の参道は、名古屋鉄道犬山線の線路に平行な感じで設けられています。参道の脇には寺号標と黒池龍神王と彫られた石碑が据えられています。
すぐ隣には犬山線
結構運行本数が多い犬山線がすぐ隣を走っているので、参拝中にも何本も列車が走り抜けていきました。
山門
潜り戸が設けられた塀と薬医門の山門になります。
本堂
切妻瓦葺平入に切妻破風の向拝が設けられた本堂というより方丈になります。
本堂の向かって左端には弘法堂が申し訳なさげに設けられています。ここ平田寺は「西春二十一大師霊場」の二十一番札所(結願寺)となっている事もあって弘法堂は外から参拝できるようになっている感じですね。
黒池龍神
雨乞いで名が知られている平田寺の黒池龍神の祠が境内の中に造られた池の中に据えられています。
西春二十一大師
結願寺ということもあるのか西春二十一大師順拝の石碑に据えられています。もしかしたらほかの札所も彫られているかな?って思ったのですが残念ながら記載されておらず・・・。
売買秇術制境内の碑
平田寺の山門前に「売買秇術制境内」と彫られた石柱が据えられています。境内で売買が行われていた事を示す碑でしょうか。で、何が売買されていたのか・・・・。秇は「げい」と読み、「布の単位」であるといいます。ということは、平田寺の境内では布の売買が行われていたという事なのかな?
御朱印
御朱印をされているのかは確認していないため不明です。
参拝を終えて
雑誌・マンガに加えて旅行雑誌の定番"るるぶ"も月額500円(税抜)で読み放題!
やはり、旅先の情報はネット検索もいいですが、るるぶなどの旅行ガイド雑誌が一番ではないかなと思います。ネット情報はどうしてもディープになりがちで、いざ旅行に行こうと思っても、俯瞰的な情報が不足しがちな気がします。 やっぱり、"るるぶ"を見ながら、旅の予定表を作っていくのも、旅行の醍醐味ですよね。
所在地を地図で確認
寺院名 | 大雲山平田寺 |
所在地 | 愛知県北名古屋市九之坪宮前六番地 |
最寄駅 | 鉄道:名古屋鉄道犬山線「西春駅」徒歩10分 バス: |
寺院・霊場巡りの際のバイブルに
元々、当サイトは神社巡りを通じて、皆様の住んでいる所にある"村の鎮守の神様"と呼ばれる神社を紹介してくサイトを目指していたんです。むしろ寺院については、縁遠いものとおもっていたんですよね。しかし、ちょっとした御縁で弘法大師霊場に出会い、そして愛知県では一番活動が盛んな"知多四国霊場"を巡礼、結願する事になりました。でも、神社の事はある程度知識があっても、寺院については未知の世界だったので、少しでも巡礼の時に役に立てばと思い、こちらの本を読ませて頂いております。
少しでも巡礼の時にお役に立てる事もあるかと思います。是非一度読んでみてくださいませ。