ONE POINT
愛知県江南市小折町にある桜雲山常観寺の紹介です。久昌寺の末寺であり、明治時代には般若寺と輪番で久昌寺の住職を務めていました。境内にある地蔵堂で奉安されている鋳鉄地蔵菩薩立像は御釜地蔵尊とも呼ばれ、尾張国六地蔵の札所本尊にもなっています。
寺院紹介
寺院概要
寺院名 | 桜雲山常観寺 |
所在地 | 江南市小折町八竜一一四番地 |
創 建 | 創建 |
宗 派 | 曹洞宗 |
御本尊 | 釈迦牟尼仏 |
霊 場
霊 場 | 布袋二十一大師 二番札所 尾張国六地蔵 二番札所 |
所 | 霊 場 | 次札所 |
---|---|---|
宝蔵院 | 布袋二十一大師 | 久昌寺 |
大徳山剣光寺 | 尾張六地蔵 | 大悲山観聴寺 |
尾張国六地蔵とは?
江戸時代には開創されたとされる「尾張六地蔵霊場」の他に、尾張国で一番古いのではないのかという説のある「尾張国六地蔵霊場」が存在しています。昭和初期の資料には「中島郡一宮彼岸畷の地蔵から始まり中島郡六角堂まで」と書かれているそうです。
- 剣光寺:一宮市木曽川町黒田寺東9
- 常観寺:江南市小折町八竜114
- 観聴寺:名古屋市熱田区金山町1-10-8
- 真長寺:犬山市向山7
- 釜地蔵寺:愛西市根高町堤己新田126
- 長光寺:稲沢市市六角堂東町3-2-8
文化財
国 宝 | ー |
国指定 | ー |
県指定 | 鋳鉄地蔵菩薩立像 |
市指定 町指定 村指定 | 鰐口 |
参拝情報
御朱印 | 不明 |
URL | ー |
駐車場 | 〇 |
参拝日 | 2022年2月9日 |
御由緒
常観寺の創建年については不詳。
江南市史によると、「嘉祥(848-51年)・仁寿(851-54年)年間に参議篁が地蔵菩薩を鋳てまつり、桜雲山常観寺と名付けたのが起こりと伝えられている。」と書かれています。
応永(1394-1428年)の頃、本尊が盗まれ讃岐国へと運ばれたが無事戻ってきたとされる。
鋳鉄地蔵菩薩
常観寺の地蔵菩薩は国家に災い事があるときは汗をだすと伝えられている。
応永の頃、この地蔵菩薩が盗み出され讃岐国に運ばれたが、恐ろしき奇譚を示し夜々怪奇なことあればその土地の者は怖れ、地蔵菩薩を返したという。この時、高原天神の祠官が奇瑞を感じ鰐口一口をこの地蔵に添えておくったといい、この鰐口は現在も常観寺に存在す。
現在では地蔵菩薩像は愛知県の指定文化財、鰐口は江南市の指定文化財となっている。
永禄元年、中興開基「大広」が寺の廃絶を憂いて再興。
延宝・天和・貞享年間に生駒家五代「生駒利豊」が寺院の大造営を行う。その後、久昌寺の住職「慎亮果飲」が常観寺に入り開山、久昌寺の末寺となる。
御朱印帳の保管に
数年前より非常に集める方が増えた「御朱印」ですが、皆様は御朱印帳はどうやって保管していますか?神社・仏閣を廻って御朱印を受けているとあっという間に御朱印帳の冊数が増えていきますが、そのまま棚などに置いている方が多いのでは?。せっかくお受けした御朱印ですので、日本では古くから着物を始めとして大切なものを保管する為に使われていた「桐箱」に入れて保管した方がよろしいかと思います。
ぜひ、皆様も桐箱に御朱印帳を補完されてみたらいかがですか?
参拝記
久昌寺参参拝の旅
2022年中にも解体されてしまうという久昌寺を参拝すべく2022年2月9日に江南市に遠征した模様をお届けしておます。前回紹介した「龍神社」に続いて今回は久昌寺の末寺であり、生駒利豊が造営工事を行ったと伝わる常観寺に向かいます。
村基山薬師寺(愛知県江南市北山町)
江南市北山町にある曹洞宗の寺院である「村基山薬師寺」の紹介になります。江南市史では、江戸時代の創建の寺院であるとし、現在本堂前には切支丹石灯籠が据えられているとしています。布袋二十一大師、尾張国四郡大師
丹羽山本曽寺(愛知県江南市曽本町)
江南市曽本町に建つ曹洞宗の「丹羽山本曽寺」の紹介です。江戸時代に創建された寺院であり、境内入口には「足止め六部さん」の看板が設置されています。布袋二十一大師、尾張国四郡大師
神明社(愛知県江南市曽本町)
江南市曽本町に鎮座する神明社の紹介です。詳細は不詳なんですが、江戸時代には曽本の集落には神明社の他に天神社が鎮座していた様で、現在では天神社は神明社の境内社となっています。
八剱社(愛知県江南市北山町)
名鉄布袋駅近くに鎮座する「八剣社」の紹介です。創建時期は不詳ですが、元々は石作神社という尾張国造の祖「火明命」を御祭神とする神社だった様ですが室町時代に八剣社に改称したみたいです。
仙境山松岩寺(愛知県江南市布袋町)
名古屋鉄道犬山線の布袋駅から北に2~3分歩いた場所に建つ曹洞宗の仙境山松岩寺の紹介です。明治七年に緝煕義学校がおかれ、児童教育の場となった寺でもあります。布袋二十一大師霊場
桜雲山常観寺は本寺となっていた「嫩桂山久昌寺」の北側に位置する場所にあります。県道172号線から参道分かれています。最初寺号標かな?っておもっていた石柱ですが、よく見ると「御釜地蔵尊」と彫られていました。愛知県指定文化財になっている地蔵菩薩像ですが、尾張国六地蔵霊場の札所本尊にもなっている事からも古くからこの地蔵菩薩を参拝される方が多くみえたという証左になるのかもしれません。
参道入口
先にも述べました「御釜地蔵尊」と彫られた石柱になります。この石柱が建っている三角形の敷地も常観寺の敷地なのかな。参拝者駐車場とは書いてませんでしたが、こちらにバイクを停めて参拝させて頂きます。
石柱門の設けられた参道になります。まさに参拝者専用といった感じの参道です。
山門
参道の突き当りには楼門の山門があります。左右それぞれの間に仁王像が安置されているのかな?って思っていたら何やら独特な像が安置されていました。
写真を見返してて分かったのですが、この一対の像は地蔵堂に安置されている御釜地蔵尊の脇侍として安置されている仏像と同じお姿をしていました。こんな所からも常観寺は御釜地蔵尊をいかに大切に奉安しているかがわかります。
本堂
入母屋造瓦葺平入の本堂になります。禅宗の寺院でよく見る濡れ縁が設けられていない様式の御堂で非常に素朴な感じがします。
地藏堂
こちらが地蔵堂になります。入母屋造瓦葺妻入りの御堂になります。一間分外壁が内側に食い込んでいる形(説明が難しい)になっていて、雨が降っていてもゆっくり参拝ができるようになっています。
地蔵堂を少し横から。外壁が一間分内側に食い込んでいると書いている部分が解って頂けるでしょうか。こうした造りは寺院だけでなく神社の拝殿でもたまに出会う事のある建築様式なのですが、いまだにこの造りをなんと表現していいのかがわかりません・・・・。
地蔵堂の前には、尾張第二御釜親地蔵尊と彫られた石柱が据えあれています。この尾張第二というのが尾張国六地蔵霊場二番札所を示しているらしいです。尾張国六地蔵の札所は寺院情報の中で紹介しています。
地蔵堂に「尾張名勝」と書かれた額が掲げられています。かなり風化が進んでいて全文は読み取れませんが、「尾張名勝」とするくらい参拝者を集めていた地蔵堂なのでしょう。
こちらが御釜地蔵尊になります。頭部は何らかの原因で欠落してしまった様で後年に新たに取り付けられたものらしいです。この部分の造りが本体と異なる点がおしいと県の説明では書いてありましたが・・・それ以上に・・・お顔の大きさが・・・・小さすぎない?もう二回りは大きい方が違和感を感じないと思うのですが。そのあたりは修繕した当時の住職や職人の方々の意匠でしょうから難しいところですね。
あと、地蔵尊の脇に安置されている仏像が楼門に安置されている像とそっくりなわけです。
そういえば、楼門の脇に御釜地蔵尊の説明板が江南市観光協会により設置されています。この案内板を見ると、ここ御釜地蔵は尾張国六地蔵の他に、名鉄沿線の尾張三地蔵にもなっているようです。
名鉄沿線尾張三地蔵とは何ぞや?
また新たな霊場が登場してきました。名鉄の前身である「名岐鉄道」が沿線の乗客数を増やすために作った霊場の一つでしょうか。ただ、この霊場名が分からないのでこの辺りの三地蔵霊場を探していこうと思います。
参拝を終えて
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やはり、旅先の情報はネット検索もいいですが、るるぶなどの旅行ガイド雑誌が一番ではないかなと思います。ネット情報はどうしてもディープになりがちで、いざ旅行に行こうと思っても、俯瞰的な情報が不足しがちな気がします。 やっぱり、"るるぶ"を見ながら、旅の予定表を作っていくのも、旅行の醍醐味ですよね。
所在地を地図で確認
寺院名 | 桜雲山常観寺 |
所在地 | 江南市小折町八竜一一四番地 |
最寄駅 | 鉄道:名古屋鉄道犬山線「布袋駅」徒歩15分 バス: |
寺院・霊場巡りの際のバイブルに
元々、当サイトは神社巡りを通じて、皆様の住んでいる所にある"村の鎮守の神様"と呼ばれる神社を紹介してくサイトを目指していたんです。むしろ寺院については、縁遠いものとおもっていたんですよね。しかし、ちょっとした御縁で弘法大師霊場に出会い、そして愛知県では一番活動が盛んな"知多四国霊場"を巡礼、結願する事になりました。でも、神社の事はある程度知識があっても、寺院については未知の世界だったので、少しでも巡礼の時に役に立てばと思い、こちらの本を読ませて頂いております。
少しでも巡礼の時にお役に立てる事もあるかと思います。是非一度読んでみてくださいませ。