ONE POINT
北名古屋市九之坪地区に鎮座する十所社の紹介です。御祭神が十柱となっている所から社名を「十所社」となっており、永禄二年に簗田政綱により造営が行われたという棟札が残っている神社になります。
神社情報
神社名 | 十所社 |
鎮座地 | 愛知県北名古屋市九之坪市場十七番地(Googlemap) |
例大祭 | 十月十九日 |
創 建 | 不詳 |
御祭神 | 大日霊尊 誉田別尊 八剣神 阿遇突穴命 宮酢姫命 神功皇后 大山祇神 日本武尊 天児屋根命 稚足彦命 大郎姫女命 乎止与命 応神天皇 |
旧社格 | 指定村社 |
神名帳 | ー |
境内社
境内社 | 市木嶋社(御祭神:市杵嶋姫命) |
文化財
国 宝 | ー |
国指定 | ー |
県指定 | ー |
市指定 町指定 村指定 | ー |
参拝情報
御朱印 | ー |
URL | 公式ブログ:https://kunotuboju.exblog.jp/ |
駐車場 | ○ |
参拝日 | 2022年3月9日 |
御由緒
十所社には「永禄二年(1559年)に九之坪城主「簗田出羽守」が社殿を造営した。」という旨が記載された棟札が現存しているそうです。
簗田出羽守とは
現在「簗田出羽守」と言えば桶狭間の戦いで軍功をあげて沓掛城を与えられた「簗田政綱」であるというのが通説になっています。(ただ、簗田出羽守の名が政綱であるとするのはかなり後年になって編纂さえた「改正三河後風土記」のみだとか。)
この棟札に書かれている永禄二年の造営が、新たに十所社を創建したというより社殿を改築したのではないかとされ、十所社の創建は永禄二年以前であるとしています。
その後、天正十年(1582年)に簗田弥次右衛門なる人物が社殿を寄進とありますが、この簗田弥次右衛門と簗田出羽守との関係はよくわかっていません。まあ、親子とかではないにしろ簗田一族には間違いないかと思いますが。
創建は明らかではない。棟札によると、永禄二年(1559年)この地の城主簗田出羽守、社殿を造営。天正十年(1582年)、簗田弥次右衛門、社殿を寄進したとある。明治五年、村社に列し、同四十年十月二十六日、神饌幣帛料供進指定社となる。大正九年二月二十四日、同字新羅八幡社(簗田出羽守の妻が難産の時、祈願し安産したので社殿を寄進する。以来安産社の称あり。)また、山神社を本社に合祀した。
愛知県神社庁発刊「愛知県神社名鑑」
御祭神
社頭の案内板に、十所社の御祭神は「日本武尊・神功皇后・応神天皇他十柱の神々が祀られている。」と記載されています。社名から考えると元々は十柱の御祭神を祀る神社だった所、大正九年に八幡社と山神社を合祀した為、現在では十三柱の御祭神を祀っているのだと思われます。
江戸時代に書かれた「尾張誌」によると、御祭神は「熱田の七社に伊勢八幡春日の三社を廃して合わせて十神を祀る。」としています。この内容から「元々は十所社ではなく「七所社」でここに神明(天照大御神)、八幡「誉田別尊」、春日「天児屋根命」の三柱が合祀された。」という事になります。
そこで、愛知県神社名鑑に記載されている御祭神を見ていくと、
熱田七社
- 日本武尊
- 八劔神(御神体:草薙剣)
- 稚足彦命(第十三代成務天皇:日本武尊異母弟)
- 阿遇突穴命(火の神)
- 宮酢姫命(尾張国造:建稲種命の妹、日本武尊妃)
- 乎止与命(尾張国造祖、宮酢姫命父)
- 大郎姫女命(景行天皇皇后、日本武尊母)
神明
- 大日霊尊
八幡
- 誉田別尊
- 応神天皇
春日
- 天児屋根命
山神社
- 大山祇神
この様に考える事が出来るかと思います。
熱田神宮の以前の御祭神は?
熱田七社について、現在の熱田神宮の御祭神は熱田大神であり、御神体「草薙剣」を通じて天照大御神を祀っているとしていますが、室町時代の頃の熱田神宮の御祭神は御神体を草薙剣として「日本武尊」を祀っていたと考えられるかと思います。
これは、尾張国の各地に七所社、十所社といった熱田七社を勧請し創建された神社が点在しているのですが、こうした神社の勧請時期によって熱田七社とする御祭神に変化が生じている点からも時代が流れていく中で御祭神に変化が生じていた事を示していると思います。各地の熱田神宮より勧請されたという神社を見て御祭神を確認してみるのも歴史の流れを感じられて楽しいかもしれませんね。
簗田政綱ゆかりの地巡り
令和4年(2022年)3月9日(水)、豊明市と北名古屋市に点在している桶狭間の戦いで軍功一位とされた「簗田政綱」の所縁の地を巡る遠征に出かけました。桶狭間の戦い以降はしっかりとした史料が残っていなかったりしてある意味「謎の武将」の感がある簗田政綱の数少ない?足跡を辿っていきたいと思います。
高畑神明社(愛知県北名古屋市九之坪)
北名古屋市九之坪地区に鎮座している「高畑神明社」の紹介です。元和三年(1617年)に勧請されたと伝えらえる神社なのですが、どういった経緯で勧請されたのかは不明となっています。
月峰山松元院(愛知県北名古屋市九之坪)
北名古屋市九之坪にある曹洞宗の寺院である「月峰山松元院」の紹介です。戦国時代の連歌師「紹巴」がこの寺院にて宿泊したと富士見道記に記しています。
花厳山観昌寺(愛知県北名古屋市九之坪)
愛知県北名古屋市九之坪の曹洞宗の寺院である「花厳山観昌寺」の紹介です。開山が平田寺四世中山元甫であるなど平田寺との関係が強かった寺院であり、平田寺末寺になっていました。現在では大相撲七月場所(名古屋場所)の際に式秀部屋が宿舎としています。
補陀山瑞雲寺(愛知県北名古屋市九之坪)
北名古屋市九之坪に建つ曹洞宗の補陀山瑞雲寺の紹介です。以前は平田寺の末寺だったとか。この瑞雲寺に九之坪城主であり桶狭間の戦いで軍功をあげた簗田出羽守の位牌が安置されています。
大雲山平田寺(愛知県北名古屋市九之坪)
北名古屋市九之坪にある曹洞宗の大雲山平田寺の紹介です。平田城主だった平田氏により創建された寺院であることから寺号も平田寺にしたとか。雨乞いの龍神で知られており、さらに豊臣秀吉の位牌がある事でも知られています。
御朱印帳の保管に
数年前より非常に集める方が増えた「御朱印」ですが、皆様は御朱印帳はどうやって保管していますか?神社・仏閣を廻って御朱印を受けているとあっという間に御朱印帳の冊数が増えていきますが、そのまま棚などに置いている方が多いのでは?。せっかくお受けした御朱印ですので、日本では古くから着物を始めとして大切なものを保管する為に使われていた「桐箱」に入れて保管した方がよろしいかと思います。
ぜひ、皆様も桐箱に御朱印帳を保管されてみたらいかがですか?
参拝記
名古屋鉄道の犬山線「西春駅」東口から真っ直ぐ南に延びる道路を道なりに進む事550m。右手に十所社の社殿が見えてきます。十所社脇の市道から北を望むと突き当りに西春駅の昇降階段が見える程の距離です。
参道入口
西春駅から南に真っ直ぐ伸びる市道を進んで、途中十所社の社殿を望みつつ更に南に250m程進んだ場所に、旧社格が合わせて彫られた社号標、石柱門、幟立てポール、石灯籠一対、扁額の無い明神鳥居が据えられた参道入口になります。十所社境内から真っ直ぐ南に延びたこの市道が元々参道だったのか、昭和四十七年に撮影された航空写真と現在の航空写真を見比べてみましょう。
名鉄犬山線の線路をしっかりと移っているのでこれを基準に見比べてもらうと、線路の西側に蛇行しながら南北に延び、その両側に家屋が建っているのが古くからの街道になります。この街道と見比べても十所社の境内から南に延びる参道が非常に幅広に設けられているのが見て取れるかと思います。
参考で九之坪城址の場所も示したのですが、歴史の中で城域は田圃に変わってしまっていた事がわかるかと思います。
境内全景
先に紹介した航空写真を見てもわかるかと思いますが、名鉄西春駅から十所社の境内を横切って十所社の参道に市道が接続された為、十所社の境内は写真で見て頂いてわかる様に非常に他の神社では見かけない社殿のすぐ隣を市道が横切っている境内となっています。この市道は昭和38年の航空写真には写っているのでこの頃に敷設されたようです。
蕃塀
十所社は尾張地方に鎮座する神社特有の構造物の一つである石造の「蕃塀」が設置されています。前後左右に支柱が設けられたかなり背が高い蕃塀になるかと思います。
手水舎・水盤
木造銅板葺き四本柱タイプの手水舎です。
狛犬
拝殿前に据えらえている非常に独特な装飾・・・特に「髭」が・・な子乗り玉乗りの狛犬一対です。
拝殿と祭文殿の間に据えられている狛犬一対になります。こちらの狛犬には角?宝珠?が設けられていますね。
社殿
切妻造銅板葺妻入の開放型拝殿を有する尾張造の社殿になります。そして見切れてしまいましたが拝殿の前には蝋燭台が設けられています。
基壇上には本殿、祭文殿、瑞垣が設けられています。尾張造の社殿では開放型妻入りの拝殿に目が行きがちですが、祭祀を執り行うこの本殿・祭文殿の造りが尾張造の特徴です。
境内社
十所社の境内社である「市木嶋社(御祭神:市杵嶋姫命)」になります。境内由緒板には「市寸嶋社」と書かれていました。
伊勢神宮遥拝所
社殿とは市道を挟んだ東側の場所に、大神宮とほられた神宮常夜燈が据えられ、伊勢神宮遥拝所となっています。
御嶽教
また、社殿東側には様々な石碑や石像が並べられた御嶽教の・・・これなんて言えばいいですかね・・・石造物が据えらえた場所があります。
石碑を見ていると、色々な神名が彫られています。○○霊神・・一つ一つが御嶽教で信仰されている神の名なのでしょうか・・・。盛土の頂上部分に不動明王を祀り、様々な神の名が刻まれた石碑や石像が並べられた御嶽教の施設なんですが、尾張地方の神社を参拝していくと、色々な神社の境内に据えられていたり、街角だったり、里山なんかに設けらています。しかし、私の本拠である三河地方ではこうした御嶽教の施設ってまず見かけないんですよね。(自宅のすぐ近くには基礎御嶽教の教会があるのですが、こんな感じの盛土に石碑が設けらえた施設は設けられていません。)尾張地方は御嶽教信仰が盛んだった場所ということなのでしょうか・・・。
東参道
昭和五年に社殿を建て替える造営工事が行われそれまで東向きだった社殿を現在の南向きの社殿にしたそうです。伝承では元々九之坪城の方を向いていた為、東向きの社殿だったとも伝えられている様ですが・・・。
鎮座地を神社で確認
神社名 | 十所社 |
鎮座地 | 愛知県北名古屋市九之坪市場十七番地(Googlemap) |
最寄駅 | 電車:名古屋鉄道犬山線「西春駅」徒歩7分 バス: |
ご自宅にお札は祀られていますか?
実家には神棚はあっても、今お住いの所には神棚がない方も多いかと思います。神棚には、日本の氏神である"天照大御神"とご自身がお住いの氏神様のお札を掲げると御神徳が宿るとされています。
賃貸住宅などに住まわれて簡単に神棚を掲げられないという方もお勧めなのが、
南向き、もしくは東向きになる様に、そして目線の高さより上になる様に、棚などの上において頂くとよいかと思います。是非、皆様もご自宅に神棚をご用意いただき、御札を納めてほしいなと思います。