古墳巡り 豊田市

市塚古墳(愛知県豊田市御立町) 気入彦命の陵墓伝説

2020年8月18日

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

 新愛知新聞社が昭和二年(1927年)に「愛知県の新十名所を読者投票で決定する。」というイベントを実施します。愛知県下を狂気の投票合戦へと誘ったこのイベントへの投票総数は驚異の1400万票以上。また、100票以上の投票を集めた名所候補は67カ所にも上ります。2022年、当サイトではこの67ヵ所の名所を巡り紹介していこうと思います。

 豊田市御立町に鎮座する「鷲取神社/紹介記事」の御祭神「木入彦命」は気入彦命と同一視されており、気入彦命が館を建てたという鷲取神社の境内から北側にある古墳群の一つ「市塚古墳」の埋葬者が「気入彦命」であると伝承されています。

市塚古墳の概要

史跡名市塚古墳
所在地愛知県豊田市御立町三丁目地内
形状円墳
規模直径26m、高さ4.6m
指定・種別

訪問日:2020年8月16日

由緒・沿革

 豊田市御立町に鎮座する「感応山極楽寺」の北側にある墓地の一角にこんもりとした丘の様になっている場所が今回紹介する「市塚古墳」になります。南山大学によって昭和39年に発掘調査が行われ、形状が円墳である事と、鉄製の鉾、鉄鏃が出土し、鉄鉾は現在「鷲取神社」に奉納され社宝となっています。

 大正十五年発刊されている西加茂郡誌によると、

大圓墳石槨不明景行天皇の皇子「気入彦命」の墳墓とて宝刀石棺等の埋没しありと言い傳ふ、またこれに触れると病に罹ると伝えている。

と市塚古墳ついての伝承が紹介されています。

 また、平成二十三年三月、豊田市教育委員会による範囲確認調査が行われています。この調査により、直径26m、高さ4.6mの円墳であり、葺石と周溝が確認されたそうです。出土品から古墳時代中期の五世紀前半に築造された古墳であると推定されています。

歴史探訪

 岡崎市西本郷町の「和志取古墳/紹介記事」と共に気入彦命の陵墓という伝承がある古墳になります。明治時代、宮内省によって行われた調査により、気入彦命の陵墓は和志取古墳と比定される事になりましたが、気入彦皇子陵墓伝説の地であることは今も変わらないのかなと思います。

訪問記

 Googlemapのストリートビュー撮影班の方は何故ここまで来ようと思ったのかは不明ですが、おかげで極楽寺の北側にある墓地の一角にある「市塚古墳」を確認する事ができます。撮影する車を運転していた人も、「うわ、行き止まりで更に墓地じゃん。」と思ったに違いないかと。

 ストリートビューがいつ頃撮影されたのかは不明ですが、現在は墳丘上にあった木も伐採されてます。8月に伺ったので草に覆われていますが。因みに、手元の温度計では43℃ありました・・・。バイクで走行中でも暑いって感じるってあまりない事なんですがこの日は肌に当たる風すら熱かったですね。

 この市塚古墳は豊田市の指定史跡にはなっていないかと思うのですが、豊田市による石碑が据えられていました。

 さらに、ここ最近設置された教育委員会による現地説明板です。市塚古墳についての情報がほとんどなかったので、この案内板は非常にありがたいですね。

地図で所在地を確認

古墳名市塚古墳
所在地愛知県豊田市御立町三丁目地内
最寄駅名鉄バス、おいでんばす「御立町バス停」徒歩3分

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