神社情報
神社名:神明社
鎮座地:西尾市一色町中外沢一町割一番地
御祭神:天照大御神、建速須佐之男命、文徳天皇、譽田別尊、
御祭神:豊宇気昆売神、大名牟運命、迦具土命
旧社格:神饌幣帛料供進指定村社
創 建:寛文八年(1668年)
境内社:御鋤社、秋葉社
例大祭:十月十五日
御朱印:ー
H P:ー
参拝日:2017年12月13日
御由緒
社伝に、寛文年中西尾の外山甚重、知多郡小川村の沢田彦重、同村の中の治郎右ヱ門ら海面を埋めて新田を開発する。寛文八年(1668年)功なり三人の頭文字をとり中外沢新田と称して、それぞれの守護神を祀る。天照大御神を中野氏、建速須佐之男命は外山氏、譽田別尊を沢田氏の守護を合せ祀ると、明治五年十月十二日、村社に列格した。同四十年十月二十六日、神饌幣帛料供進指定をうける。同四十四年十一月二十二日、字自休の伊文神社、八幡社、秋葉社を本社に合祀する。
愛知県神社庁 発刊
「愛知県神社名鑑」より
・平成十年、社殿を立て替える大規模造営工事を催行
参拝記
国道247号線の赤羽南の交差点を西方面に曲がって900mほど進み、集落を北側に抜けた場所に鎮座するのが中外沢地区の神明社になります。
神明社からまっすぐに参道が伸びていて、赤羽南からすすできた市道とぶつかります。
遠くに、突き当りに鳥居が見えます。この鳥居が中外沢地区の神明社になります。
もうしばらく進んでいくと、田んぼの中に神社の境内があります。
集落の北のはずれに鎮座していて、まさに集落の安全を見守っている形になっています。
中外沢地区の集落の北側の田んぼの中に鎮座する神明社。
この辺り、大字が入り組んでいまして、中外沢の神明社から見まわすと、隣の大字に鎮座する神社が遠くに確認することが出来ます。
境内入口
境内入口から社殿を望みます。
目が行く紅白の柵の囲まれているのが、明治十一年建立の三社橋。
正面からでは解りにくいんですが、横から見ると、三社橋の下に暗渠になっている水路があるのがわかります。暗渠になる前は、きちんと橋として使われていたんだと思いますが、今となっては、暗渠の蓋になっているようで、ちょっと残念。
非常にしっかしとした石橋ですね。
橋名がしっかりよめるのは、平成十年の造営工事の祭修復、色付けされているからです。
社号標
平成十年の造営工事の祭新調された社号標になります。
新しく作られる社号標の場合、ここの神明社の様に町名、地区名を頭につけて彫られている所がおおいですね。その方が分かりやすいですしね。
神社の裏手側に、大正五年十月に建立された旧社号標が残っていました。
鳥居
平成十年建立の神明鳥居がお出迎え。
鳥居を潜って、社殿を望みます。
参道がまっすぐに社殿に向かって伸びています。
参道から右手に分かれている石畳は手水舎に伸びています。
手水舎・水盤
瓦葺のコンクリート造りの四本柱タイプの手水舎になります。
狛犬
昭和二年生まれ、平成十年修復の狛犬一対。
しっかりと朱色が塗られています。平成生まれの狛犬に朱色の装飾は見慣れてますが、こういった昭和生まれの狛犬に装飾はあまりないので、似合ってるかと言われると・・・?
社殿
改めて、正面から社殿を望みます。
入母屋造、瓦葺、平入のコンクリート造りの拝殿になっています。
社務所も造営工事の祭建て替えられた様で、社殿と社務所が一体となっています。
なんかぼやけてしまいましたが、ここの社殿には、大棟部分に龍の化粧瓦が設置されています。
隣地区の養ヶ島の神明社にも龍の化粧が施されており、やはり海に近いという事から龍が用いられているのでしょうか。
ここの神明社の本殿部分の造りは、瓦葺の切妻造となっています。
資料によると、流造の本殿が鎮座していたそうですので、もしかしたら、覆殿かも。
いまいち写真からは分かりにくいですが、拝殿、本殿、玉垣の屋根の上に、狛犬、波、鯉の飾り瓦が据えられています。よく見ると、境内社の屋根にも飾り瓦がありますね。
境内社
社殿向かって右手に鎮座する御鋤社、秋葉社合殿になります。
祭神は、御鋤社が伊邪那美命、玉柱屋姫命 秋葉社が迦具土命となります。
秋葉社の社号標が鎮座していますが、なぜに内向きなんでしょうか。
懸魚・鬼瓦
鰭付きの蕪懸魚です。蕪懸魚の模様が葉の筋のように見えますね。
参拝を終えて
参道の石畳脇にある鉄板の蓋。実物を見たわけではないですが、一色町と言えば大提灯。例大祭の時にここに提灯を掲げているんだと思います。例大祭の頃、再拝して確かめてみたいと思います。