一宮市

石刀神社(愛知県一宮市今伊勢町)延喜式内社

2022年6月29日

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

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ONE POINT

 一宮市今伊勢町馬寄に鎮座し、創建は伝承では第十歳崇神天皇の御代にまで遡り、平安時代には延喜式内社となる古社石刀神社の紹介です。木曽川を始めとする木曾三川の氾濫の度に境内地を遷座したと考えられ、旧社地と伝えられる場所が岐阜県羽島市の八剱神社の境内にその碑が建てられています。

神社情報

神社名石刀神社
鎮座地 愛知県一宮市今伊勢町馬寄石刀二番地 (Googlemap
例大祭四月十九日
創 建伝:崇神天皇の御代
御祭神手力雄命
豊斟渟尊
国常立尊
国狹槌尊
旧社格県社
神名帳延喜式神名帳:尾張国中島郡 石刀神社
尾張国神名帳:中島郡従三位 石門天神

境内社

境内社御霊神
稲荷社
龍神社

文化財

国 宝
国指定
県指定石刀祭
市指定
町指定
村指定
石刀神社祭礼用山車
経筒
懸仏
釣灯籠

参拝情報

御朱印
URL
駐車場
参拝日2022年3月23日

御由緒

 伝承では第十代崇神天皇の御代に尾張国中島郡四条と呼ばれる場所に創建されたと伝えられている。(現在、四条と呼ばれる地名は存在しないが、一宮市には三条という地名が残っている事からこの周辺に在った・・三条北部から羽島市周辺・・・のではないかと考えられている。)一宮市とは木曽川を挟んだ羽島市桑原町には八剱神社が鎮座しているがその境内には「式内石刀神社旧社地」の碑が残っており、八剱神社の式内社「石刀神社」の論社となっている。

 ただ、木曾三川があつまるこの地は古来より氾濫を繰り返している場所であり、その川の流れも大きく変化しています。実際それまでは中島郡の西側を流れていた木曽川が天正十四年(1586年)に中島郡の中央を流れるようになってしまい、この新しい木曽川の流れが美濃国と尾張国の国境となり、二か国を跨ぐ群となっています。その為、石刀神社と八剱神社は古来は同じ尾張国中島郡に鎮座していたが、中世以降は尾張国中島郡の石刀神社、美濃国中島郡の八剱神社となっています。

式内社:石刀神社論社

今回紹介している今伊勢に鎮座する石刀神社の他に、

羽島市桑原町に鎮座する八剱神社
一宮町浅井町に鎮座する石刀神社

の合計三社が論社とされている。

 一説には、石刀神社の社殿が西向きに鎮座しているのは、旧社地の方向を向いているとも伝えられています。この旧社地が八剱神社を指すのかは不明・・・。
 平安時代、第五十二代嵯峨天皇の皇后「檀林皇后」によって社地を遷座したとされるが、現在の境内地へ遷座されたのは十四世紀の南北朝時代になってからという説(応永二年(1395年)の棟札あり。)もあり、何度か遷座を行った後に南北朝時代に現在の境内地に鎮座したのではないでしょうか。洪水の度に遷座を繰り返していたのかもしれません。

 往古にはこの地は伊勢神宮の神戸出会った事から郡内に伊勢内宮並びに外宮が勧請され祭祀されてきたが、永禄年中(1558-70年)に伊勢両宮が兵火に罹り、石刀神社に遷座された。その後、享保三年(1718年)に三明明神と改称されたのも、石刀神社に遷座していた伊勢両宮を合祀した為であるという。

 慶長五年(1600年)、関ヶ原の合戦に向かう徳川家康が参拝、本陣を境内に置いたため、境内の一部が取り壊されてしまうが、慶長十三年(1608年)に再建された。この再建を祝して行われた祭が現在まで続いており「石刀祭」と称される。

  • 延喜元年(905年):延喜式神名帳に「尾張国中島郡 石刀神社」と記載。
  • 時期不明:尾張国神名帳に「中島郡従三位 石門名神」と記載。

創建は明らかではないが、社伝によれば人皇十代崇神天皇の御宇御鎮座と伝えられている。神社明細帳に手力雄命是延喜式神名帳曰く尾張国中島郡石刀神社と有之当村に鎮座村民の伝に古昔木曽川塘切込候節社殿水流御正体は今高見と相し候処に止り賜ひしとあり。御鎮座地馬寄は古称石刀里、天慶年中(938-46年)伊勢神宮の神戸として貢献せられた所で、今寄の庄と伝い、伊勢との神縁あり郷内に伊勢両宮を斎祀したが永禄年中戦火に遭い、石刀神社に遷座、享保三年(1718年)神祇管領の宗源宣旨により三明神と尊称正一位の神階に進む。応永年代頃国衛領内に既に所領を有しており、文明十八年(1486年)斯波氏採地を寄せ奉り、降って織田氏も毎年灯油料を寄進した。慶長五年(1600年)関ヶ原の役後、家康の命により奉行吉田伊豆守社殿を主福。以後尾張徳川家より祈祷料永代寄進をうけ明治維新まで続く。応永二年(1395年)以来の棟札を蔵す。昭和二十年七月二十二日空襲により神饌所、直会所(境外)炎上、神橋破損、同三十四年九月二十六日、伊勢湾台風により幣殿、透塀大破。同三十五年十月三十日修復す。明治九年村社に列格。同四十年五月十四日、字子守二十七番地無格社子守社、字若宮四番地無格社若宮社、字西更屋敷二十八番無格社西宮社、字西更屋敷二十二番地無格社天神社、字中屋敷十七番地無格社白山社、字上町屋無格社秋葉社許可を得て合祀。明治四十年十月二十六日神饌幣帛料供進指定社となる、昭和七年九月二十日郷社に昇格。同十三年六月二十九日石刀神社と社名を改称。同十五年九月十二日縣社に昇格。

愛知県神社庁発刊「愛知県神社名鑑」

御祭神

  • 手力雄命
  • 豊斟渟尊
  • 国常立尊
  • 国狹槌尊

手力雄命

 天岩戸にこもってしまった天照大御神が天鈿女命が踊り神々が笑った時に、岩戸を少し開いてその様子を覗いた時に、引っ張り出した神として知られている。
 天孫降臨の際、天照大御神から瓊瓊杵尊に与えられた三種の神器と共に瓊瓊杵尊に仕え、その後伊勢の佐那県に鎮まったと伝えれている。

豊斟渟尊

 日本書記:豊斟渟尊とよくものみこと、古事記:豊雲野神とよくものかみ

 日本書紀では天地開闢の三番目、古事記では神代七代の二番目に出現する神であり、天と地が作られていく中で出現し、「恵の雨が降る豊かな実りを与えてくれる大地」を意味する神名をもつ非常に重要な位置付けの神であるといえる。

国常立尊

 日本書紀:国常立尊くにのとこたちのみこと、古事記:国之常立神くにのとこたちのかみ

 日本書紀の天地開闢、古事記の神代七代の記述の名かで共に一番最初に出現する神と書かれており、天と地が作られていく中で大地が出現した事を表す神と考えられています。

国狹槌尊

 日本書紀:国狹槌尊、古事記:登場せず

 日本書紀の本文において、天地開闢の時に出現した三柱の神の内二番目に出現した神としています。
 古事記では似たような神名で大山津見神の子に「国之狭土神」が登場するが、同一神とは考えられていない様です。

 また、江戸時代から大正時代にかけて合祀された神社の御祭神は御配神として本殿に祀られています。

  • 天照大御神
  • 豊宇気毘売神
  • 軻遇突智神
  • 大鷦鷯尊
  • 菅原道真
  • 中筒男命
  • 事代主命
  • 伊弉冉尊
  • 菊理媛命
  • 大己貴命
  • 倉稲魂命

 江戸時代に合祀された神功両宮の御祭神である天照大御神と豊宇気毘売神を始め、大正時代に同じ地区に鎮座していた神社を合祀した九柱の神が祀られています。

御朱印帳の保管に

 数年前より非常に集める方が増えた「御朱印」ですが、皆様は御朱印帳はどうやって保管していますか?神社・仏閣を廻って御朱印を受けているとあっという間に御朱印帳の冊数が増えていきますが、そのまま棚などに置いている方が多いのでは?。せっかくお受けした御朱印ですので、日本では古くから着物を始めとして大切なものを保管する為に使われていた「桐箱」に入れて保管した方がよろしいかと思います。

 ぜひ、皆様も桐箱に御朱印帳を保管されてみたらいかがですか?

参拝記

 酒見神社から県道190号線を北上し、馬寄交差点を右折、県道193号線を東進し「今伊勢町馬寄交差点」を左折します。どうやらここから鎌倉街道跡になるようで、すこし進むとこの鎌倉街道に接する感じに石刀神社の参道入口が見えてきます。
 駐車場は境内に用意されているので鳥居を潜り参道を進んで境内に向かってください。

参道入口

 ストリートビューとほぼ同じアングルとなっていますが、写真の左右を旧鎌倉街道が走り、街道に接続するように石刀神社の参道入口が設けられています。現在では石刀神社の境内までの間は一般道路と共用化されており、車も鳥居を潜って往来できるようになっています。木製の明神鳥居の一の鳥居と社号標が据えられています。

境内社:龍神社

 参道入口近くには境内社となっている龍神社の旧社地の碑が建てられています。これは周囲が宅地化される中で遷座されたのであろうと思われます。

 現在の龍神社は、一の鳥居を潜った少し先に瑞垣に囲まれた境内に鎮座しています。西向きの石刀神社の社殿に相対するような形で東向きで鎮座しているのも特徴でしょうか。

境内入口

 参道を進んでいくと、石刀神社の社号標が据えられた境内入口があります。かなり間口が広くとらえた境内入口です。

石造太鼓橋

 実用性はかなり低いだろうなと思わせる太鼓橋が据えられています。通行不可とはなっていませんが、実際・・・・これは渡れないよなあ・・。

二の鳥居

 太鼓橋を渡った先に、再び社号標が据えられ、石造の神明鳥居による二の鳥居、その先に蕃塀が据えられています。ここから社殿配置から太鼓橋を渡った先からが境内と考える事が出来そうですね。

手水舎

 木造瓦葺四本柱タイプの手水舎になります。

蕃塀

 石造の簡素な造りの尾張国の神社様式の特徴のひとつである蕃塀です。

蝋燭台

 蕃塀と社殿の流れから離れた所に据えられている石造の蝋燭台になります。この蝋燭台が元々ここにあったのか、ほかの尾張造の社殿の神社と同じく蕃塀と拝殿の間に据えられていたのか不明ですが、蕃塀と同じく簡素な造形の蝋燭台になります。

狛犬

 蕃塀と社殿の間には四対の狛犬が並んで鎮座しています。その中で一番手前?蕃塀側の狛犬を(阿吽の大きさがあっていませんが・・・)をば。

社殿

 ここ石刀神社の社殿は妻入りの拝殿を有する尾張造の社殿になるかと思います。拝殿向かって右側に設けられた建物(造り的に祭祀の時にここから出入りする場所なのかな?とも思うのですがどうなんでしょうかね。)があるのでこのアングルからだと尾張造の社殿に見えませんね。

境内社

 どちらかが祖霊社になるかと思います。もう一社紹介していない稲荷社は今回参拝した時はまったく気が付かなかったのですが本殿の裏手側に鎮座しているようなので、もう一社の境内社は詳細不明になります。

鎮座地を神社で確認

神社名 石刀神社
鎮座地 愛知県一宮市今伊勢町馬寄石刀二番地 (Googlemap
最寄駅電車:
バス:名鉄バス「馬寄バス停」徒歩12分

ご自宅にお札は祀られていますか?

実家には神棚はあっても、今お住いの所には神棚がない方も多いかと思います。神棚には、日本の氏神である"天照大御神"とご自身がお住いの氏神様のお札を掲げると御神徳が宿るとされています。
賃貸住宅などに住まわれて簡単に神棚を掲げられないという方もお勧めなのが、

南向き、もしくは東向きになる様に、そして目線の高さより上になる様に、棚などの上において頂くとよいかと思います。是非、皆様もご自宅に神棚をご用意いただき、御札を納めてほしいなと思います。

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