多気郡

鳥墓神社(三重県多気郡明和町)

2016年12月13日

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

 新愛知新聞社が昭和二年(1927年)に「愛知県の新十名所を読者投票で決定する。」というイベントを実施します。愛知県下を狂気の投票合戦へと誘ったこのイベントへの投票総数は驚異の1400万票以上。また、100票以上の投票を集めた名所候補は67カ所にも上ります。2022年、当サイトではこの67ヵ所の名所を巡り紹介していこうと思います。

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神社紹介

神社名:鳥墓神社(とつかじんじゃ)
鎮座地:三重県多気郡明和町蓑村834−1
御祭神:須佐之男命、倉稲魂神、埴安神
  :天之忍穂耳命 天之菩卑能命 天津日子根命 活津日子根命
あ  :熊野久須毘命 多紀理毘売命 市寸島比売命 田寸津比売命
旧社格:不明
式内社:伊勢國多氣郡 國生神社
式内社:合祀 伊勢國多氣郡 宇尓神社
創 建:不明

参拝日:2014年5月5日

御由緒

式内国生神社 祭神 倉稲魂命 須佐之男命
式内宇爾神社 祭神 埴安神
人皇第十一代垂神天皇ノ御宇天照皇大神五十鈴川上ニ御鎮座ニナリ宇爾郷鳥墓村ニ神ガ置レ度會多氣ノ神郡ノ正税(稲穂)ノ徴収ガコノ地ニテ行ワレタ
孝徳天皇ノ御代ニ神ガ山田原ニ遷サレタノデソノ遺址趾ニ国生神社及ビ宇爾神社ガ創建サレタ
何レモ延喜の儀式帳ニノセラレタ古社デアル後時代ハ不明デアルガ両社ノ名称ハコノ由緒アル地名ヲトツテ鳥墓神社ト改メラレタ
明治十四年ニハ世古村ノ八柱神社ヲ當社ニ合祀セラレテ今日ニ至ツタ
昭和45年9月吉日

社内御由緒板より

参拝記

県道37号線の明和町と玉城町の町境近くに鎮座するのが鳥墓神社になります。
県道を走っている時にナビ上にこの神社が表示され、県道脇にあるという事で、急遽寄り道して参拝。

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県道37号線を伊勢方面から進んでいくと蓑村東の交差点を左折して左手に参道が見えてくるので、近くに駐車できそうな場所を見つけて参拝します。

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右手に社号標、左手に大神宮神庤跡の碑になります。

大神宮神庤跡とは

神庤(かんだち)とは、神宮の役所の事をいいます。
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この地は、垂仁天皇の御代、紀元前6年内宮が伊勢の五十鈴川の川上、現在の地におまつりされたときから伊勢神宮の神痔の置かれたところであります。神痔とは神宮の役所であり、孝徳天皇の大化5年(649)まで続いた。


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延喜式内社の表号が右手にありますね。

この神庤の跡地に国生神社(祭神:倉稲魂命、須佐之男命)と有爾神社(祭神:埴安神)の二社が建ち、この二社はその後合祀して鳥墓神社と改称、明治に世古村の八柱神社を合祀して今に至るという。
国生神社・有爾神社の二社は、『延喜式』神名式の伊勢国多気郡条に名がみえる式内社であり、同じく斎宮寮式にも、斎宮の祈年祭において祭る神社に名を連ねている。

totuka_meiwa5参道を進んでいくと、手水舎が現れます。2本柱タイプの小ぶりなスタイルですね。

totuka_meiwa6参道突当りにあるのが、庚申堂(中に青面金剛の石仏)

totuka_meiwa12上の写真の立ち位置から左を向くと、階段を上った先に社殿が鎮座しています。
この小高い場所に神庤があったんですかね。

祓所

totuka_meiwa11階段上った右手には、祓所があります。
こういった場所でも、岡崎周辺の祓所と造りが違いますね。

社殿全景

totuka_meiwa7こういった神明造の本殿といい、拝殿の作りといい、岡崎市の神社とは作りが違いますね。


ちなみに、この鳥墓神社なんですが、明治41年6月、明和町明星の素盞鳴命神社(明星神社)に合祀され、一旦廃社されているんですが、昭和21年6月分祀されて当地に再び遷座する事になります。そんな経緯もあって旧社格は指定されていません。


地図で所在地を確認

三重県多気郡明和町蓑村834−1

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