霊場巡りの旅

令和二年(2020年)の年初めという事で、三河三弘法を遍路してきました。

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

 新愛知新聞社が昭和二年(1927年)に「愛知県の新十名所を読者投票で決定する。」というイベントを実施します。愛知県下を狂気の投票合戦へと誘ったこのイベントへの投票総数は驚異の1400万票以上。また、100票以上の投票を集めた名所候補は67カ所にも上ります。2022年、当サイトではこの67ヵ所の名所を巡り紹介していこうと思います。

 昨年(2019年)の年初め巡礼という事で「知立三弘法」を巡った記事を平成31年の1月13日付でアップさせて頂きました。非常に知名度の低い霊場を紹介するつもりで参拝記をアップさせて頂いたのですが、この記事がまさかの昨年一番人気の記事になっています。
 どうも、「知立三弘法」をGoogle先生に聞いてみても、知立三弘法と三河三弘法を混同している様子なんでよね。表示順位はおかげさまで"1位"になっていますが、比較するサイトがほぼない状態ですので、これがすごい事なのかはわかりかねますが。さらに、三河三弘法、三河新四国霊場の札所になっている「弘法山遍照院」も同時にHITします。
 試しにと「三河三弘法」で検索してみると、三河地区の検索結果とは思いますが、なぜか"2番目"に表示されてしまいます。(三河三弘法で記事を書かれている方申し訳ないです・・。)

 上記の事から、昨年の年初め巡拝記事を見た方は、「三河三弘法」を検索して訪れて頂いた方が大多数なのでは?という考察が成り立つわけです。
 せっかく当サイトに訪れてくださったのに、目的の記事が違っていたら大変申し訳ないなあ~っと思っていたので、令和の御代、最初の年明けの巡拝先は「三河三弘法」を訪れる事にしました。

三河三弘法とは

まずは、三河三弘法の由緒を紹介します。

弘法大師」が弘仁六年(815年)に関東巡錫の途中、一か月程"この地"に滞在し、その間に自らが彫り上げたとされる大師像が三体あり、それぞれ安置している三寺を「三河三弘法」と称しています。

※「この地」とは、延宝年間に現在の地に移転した「弘法山遍照院」が元々建っていた重原の地の事を指します。現在でも「三弘法御衣木霊場」の碑が建っています。

続いて、三河三弘法の札所を見ていきます。

・一番札所 「弘法山遍照院

・二番札所 「大仙山西福寺

・三番札所 「天目山密蔵院

三河三弘法の三札所はすべて「三河新四国霊場」の札所を兼ねています。。


三河新四国についてまとめた記事がこちらになります。


そして、三河三弘法の遍路で忘れてはいけないのが、弘法大師の命日である三月二十一日に因んで旧暦の毎月二十一日に当たる日を「弘法大師の御命日」として弘法山遍照院では大祭が開かれています。この大祭に合わせて、知立駅から遍照院までの道の1kmほどを歩行者天国として、多くの露店が立ち並び、非常に多くの参拝者が訪れています。そして、三弘法の札所を結ぶ臨時バスが数多く運行され、三河三弘法を遍路するにはとても好条件の日にもなっているようです。

令和二年の弘法大師の御命日は?

月日 曜日 旧暦 諸行事
1月15日 (水曜日) 12月21日  
2月14日 (金曜日) 1月21日 初弘法
3月15日 (日曜日) 2月21日  
4月13日 (月曜日) 3月21日 御祥当命日
5月13日 (水曜日) 4月21日 安産子育春季大祭
6月12日 (金曜日) 閏4月21日  
7月11日 (土曜日) 5月21日  
8月10日 (月曜日) 6月21日  
9月 8日 (火曜日) 7月21日  
10月7日 (水曜日) 8月21日 千燈供養祭
11月6日 (金曜日) 9月21日 安産子育秋季大祭
12月5日 (土曜日) 10月21日  

店の定休日だった1月15日が丁度「弘法大師の御命日」と重なったのもあって、2020年最初の巡拝を「三河三弘法」にした訳です。

参拝記

 さて、三河三弘法を遍路するために、知立駅近くにある駐輪場にバイクを止めて歩行者天国を歩いて遍照院に向かってみたいと思います。

現在、知立駅周辺は駅も含めた高架化工事が進められています。しかも、名古屋本線と三河線が平面分岐だった所を、2階を名古屋本線、3階を三河線という様に立体分岐の知立駅に生まれ変わるようです。・・・そうなると知立駅構内にあった遍照院の遥拝所はどうなってしまうのか・・・今回は確認してませんが、近いうちにこちらの遥拝所も見ておこうと思います。

そういえば、駅自体の写真を撮影し忘れてしまいました・・・。やはり、遥拝所を確認がてら知立駅に行かねば・・・

歩道の柵の部分に設けられた「弘法様」の透かし絵?。こんな所にも弘法信仰が熱心な場所だという事がわかります。

更に進んでいくと、こちらの追分に行き当たります。撮影している後方は、三河線の踏切があり、すぐ近くが三河知立駅になります。左側が遍照院に向かう弘法通りという名称の市道で、自動車侵入禁止の標識がでていますね。ここから遍照院までが歩行者天国になっている様です。

弘法通りにはいってすぐ左手にみえてくる弘法堂になります。
普段は閉められている御堂で、弘法大師御命日の縁日がある日のみ開かれているようです。

「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」・・・

朱印もあるようで、建物の入口脇には「知立弘法堂」という板が掲げられていました。

弘法堂を過ぎ暫くすると、徐々に露店が出始めてきました。
追分から遍照院までの間にある唯一の交差点「弘法通り」があって、今回はこの交差点から遍照院側に露店が集中して出店しているようでした。この辺は時期によって変わるのかも?。

再び、弘法堂が現れます。
奥の建物の中央には弘法大師像が奉安されていて、向かって右側には本四国霊場の御砂踏み場になっているようです。
手前の鉄塔?はどういった物なのかな?提灯を掲げる柱なのかな?

実は、この弘法堂は、(旧)三河新四国霊場の中札所だったようです。中札所がどういった物かわかりませんが、古くからある弘法堂であることがわかりますね。

中札所を超えると、徐々に露店が増えてきて、非常に多い参拝者が露天を除きながら遍照院にむかっていました。遍照院の境内にも露天が立ち並んでいて、日頃の雰囲気とはがらっと趣きが変わっています。

「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」・・・

納経を終え、知立駅方面に向かうのですが、遍照院に向かうときは露天を素通りしてきたので、露店を見ながらバイクが止めてある駐輪場に向かう事にします。

二番札所である「大仙山西福寺」になります。
遍照院に比べると、参拝者も少ないですね。露店も少しながらでていましたが、御堂、弘法堂が開いている他は日ごろとさほど雰囲気が変わらない感じがします。

「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」・・・

三番札所である「天目山密蔵院」です。
12時をまわってしまったため、露天の団子屋さん?は閉店作業されていました。

訪れた時間の問題なのか、本堂、弘法堂が開いている以外、こちらも普段とさほど変わった感じがしないですねえ。もう少し早い時間に訪れると、もっと参拝者の方がみえるのでしょうかね。

次回の弘法命日は2月14日(金)ですね。その前後の日も縁日と祭日となっていますね。

今回参拝した三箇寺は三河新四国霊場を遍路した時に一度納経しているので、場所に迷う事もなく、順調に巡ることができました。自分の様に露店をのんびりと見ながらでも、バイクや臨時バスなどを利用すると半日もあればゆっくりと納経に巡れるので、是非皆様も訪れてみてください。

弘法御命日となっている3月15日は2020年唯一の日曜日となっているので、暖かくなってきている時期ですので、この日は非常に賑やかな縁日になるのではないかな?と思います。

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