名古屋市中区 城跡巡り

真宗大谷派名古屋別院(名古屋市中区橘二丁目) 古渡城址・明治天皇行在所・名古屋大本営

2023年1月17日

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

 新愛知新聞社が昭和二年(1927年)に「愛知県の新十名所を読者投票で決定する。」というイベントを実施します。愛知県下を狂気の投票合戦へと誘ったこのイベントへの投票総数は驚異の1400万票以上。また、100票以上の投票を集めた名所候補は67カ所にも上ります。2022年、当サイトではこの67ヵ所の名所を巡り紹介していこうと思います。

ONE POINT

 織田信秀が築城し織田信長が元服した城として知られている「古渡城」跡に江戸時代の元禄年中に建立された真宗大谷派名古屋別院の紹介です。明治時代には五回にわたって明治天皇の行在所となり、また明治二十三年の日本陸海軍の大演習の時には大本営が置かれています。

寺院紹介

寺院概要

寺院名真宗大谷派名古屋別院
所在地愛知県名古屋市中区橘二丁目八番地五十五(Googlemap
創 建元禄三年(1690年)
宗 派浄土真宗 真宗大谷派
御本尊阿弥陀如来

霊 場

霊 場

文化財

国 宝
国指定紙本墨画淡彩四季山水図
県指定
市指定
町指定
村指定
半鐘

参拝情報

御朱印
URLhttps://www.ohigashi.net/
駐車場
参拝日2022年4月13日

御由緒

 大正四年発刊の名古屋市史・社寺編によると、
 「もとは海東郡蟹江村に天正九年建立、慶長十一年に名古屋袋町に移った泉龍寺であるという。真宗大谷派本願寺第十六世一如上人の時の貞享四年(1687年)、西願寺・慶栄寺・圓明寺・長圓寺・光蓮寺・崇学寺と九日講の川井孫右衛門と共に御坊建立を本山に請願した。さらに、元禄二年に袋町泉龍寺の祐延の同意を得て、泉龍寺を懸所とすることを請願、さらに院家にも通知した。この時、光圓寺以下二十一ヶ寺は連盟で反対したという。
 元禄三年三月法主は閑唱寺として御所建立の申し立てを行い、同月二十三日公許され、「名古屋御坊」と称し、本山堂衆の交替輪番とした。しかし、御坊とした元泉龍寺の境内が狭いこともあり、尾張藩より同年十二月三日、元古渡城跡となる現在の境内地を賜った。この時、反対していた二十一カ寺は本願寺派への改派を辞さずという姿勢だったが寺社奉行の説得によって、懸所建立に助力する旨の誓書を提出したという。

 ・元禄四年七月九日、土地が引き渡される。
 ・元禄五年三月十九日、礎築が始まる。
 ・元禄五年五月二十三日、大鐘の鋳造
 ・元禄七年二月、堂宇、表門等落成
 ・元禄十三年九月、本堂の斧始
 ・元禄十五年八月二十八日、本堂上棟
 ・元禄十五年十月二十八日、本堂落成、入佛供養
 ・享保六年、鐘楼・鼓楼落成
 ・元文年中、庫裏造営

 その後、堂宇が破損著しい事から本堂の再建が行われます。文化二年(1805年)十月十五日に斧始とし、文政六年(1823年)十一月十五日に本堂竣功、入佛供養が行われています。

明治天皇行在所

  • 明治十一年、十月二十五日より四日間御駐蹕された。
  • 明治十三年、六月十日から七月一日まで御駐蹕された。
  • 明治二十年、皇后陛下と共に二月二十一、二十二日の両日御駐蹕された。
  • 明治二十三年、皇后陛下と共に三月二十八日から四月五日まで御駐蹕された。
  • 明治二十七年、九月十三日御駐蹕された。

明治天皇名古屋大本営

 明治二十三年三月二十九日から四月二日にかけて日本初の陸海軍連合大演習が愛知県において行われ、この大演習では明治天皇を統監、有栖川宮熾仁親王を参謀総長として名古屋に行幸されています。
 陸軍省の明治二十二年通達の中で「連合大演習は天皇親臨して之を統監す。」と記しており、陸海軍連合大演習の期間は明治天皇の行幸行在所である名古屋別院に大本営が置かれた。

御朱印帳の保管に

 数年前より非常に集める方が増えた「御朱印」ですが、皆様は御朱印帳はどうやって保管していますか?神社・仏閣を廻って御朱印を受けているとあっという間に御朱印帳の冊数が増えていきますが、そのまま棚などに置いている方が多いのでは?。せっかくお受けした御朱印ですので、日本では古くから着物を始めとして大切なものを保管する為に使われていた「桐箱」に入れて保管した方がよろしいかと思います。

 ぜひ、皆様も桐箱に御朱印帳を保管されてみたらいかがですか?

愛知県下新十名所を巡る

 2022年のメインの企画「愛知県下新十名所」ですが、今回から第六弾の遠征となる今回は名古屋城近くにある「京町薬祖神」を目指してバイクを走らせていきます。

 名古屋市中区正木一丁目に鎮座する「稲荷神社/参拝記事」の参拝を終えて、山王通に沿う様に建っている真宗大谷派の名古屋別院に向かう事にします。この名古屋別院は「御幸山公園/紹介記事」でも紹介した明治二十三年の大演習の際の大本営が置かれた場所になります。

 愛知県下新十名所と名古屋新十名所巡り
ー京町薬祖神・闇之森・榎ノ権現・久屋金刀比羅社ー

参拝記

 頭上を名古屋市高速の高架が覆っている山王通の北側に楼門の山門が非常に目を引く真宗大谷派名古屋別院の境内があります。駐車場はかなり広く用意されているので参拝される際も安心して向かう事が出来るかと思います。

楼門

 真宗大谷派本願寺別院は太平洋戦争の空襲により焼失してしまっている為、大半の伽藍は昭和41年に建て直された物になります。当然この楼門も戦後の再建となります。
 二階部分には釈迦如来像、弥勒菩薩像、阿難尊者像を安置しています。

手水舎

 基本は木造瓦葺四本柱タイプの手水舎と言えるかと思いますが、横に庇の様に屋根が飛び出ています。しかも横に飛び出ている部分は二本柱タイプの様な造りで柱一本で支えている非常に変わった造りになっています。

本殿、対面所

 手前の瓦葺の重層屋根を有する建物が本堂、奥側の入母屋造緑っぽい瓦屋根の建物が対面所になります。こちらの本堂や対面所も昭和41年に再建されています。

名古屋空襲の様子

 昭和二十二年(1947年)に米軍によって撮影された名古屋地区の航空写真に名古屋別院周辺も撮影されていました。この写真を見ていると、あたり一帯が焼け野原となっているわけですが、所々類焼を逃れた一帯があるんだなと気付きます。自分が次に訪れた「清涼山栄国寺/紹介記事」は名古屋別院北西に位置する場所にあって、写真を見る限り消失は免れたように見えます。

明治天皇行在所石碑

 合計五回ほどこの名古屋別院を行在所として明治天皇が宿泊された事を記念して建立された石碑になります。

明治天皇大本営石碑

 昭和九年に建立された明治二十三年に初の陸海軍連合大演習の際にこの地に大本営が置かれた事を記念して建立された石碑になります。昭和八年に史蹟名勝天然紀念物保存法に基づき、史蹟として文部大臣の指定を受けた事を契機に混流されたようです。

古渡城址

城郭名古渡城
所在地愛知県名古屋市中区橘二丁目八番地五十五 名古屋別院境内
築城主織田信秀
築城年天文三年(1534年)
城形状平城
規 模東西140m × 南北100m
廃城年天文十七年(1548年)
遺 構

 天文三年(1534年)に織田信秀が築城。織田信長が十三才の時この城で元服されたと伝えられている。信秀は天文十七年(1548年)に末森城を築城した為、わずか十四年で廃城となった。

御城印の保管に

 御朱印ブームの柳の下のどじょうではないですが、ある時まさに彗星の如く登場した感のある「御城印」。各神社や寺院で押印してきた御朱印と異なり、各地方自治体が観光PRも兼ねて発行している事もあり、御城印を用意する城址の数がまさに「うなぎ上り」の如く増加しています。
 御朱印帳に記入していただく御朱印と異なり、御城印は基本書置きの物になり、またそのサイズも統一されているわけではないようです。そんな御城印を管理される場合、ポケット型の御城印帳が非常に役に立ちます。御城印を集められる方は是非用意してほしい一冊です。

 


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所在地を地図で確認

寺院名真宗大谷派名古屋別院
所在地愛知県名古屋市中区橘二丁目八番地五十五(Googlemap
最寄駅鉄道:名古屋市営地下鉄・名城線「東別院駅」徒歩3分
バス:名古屋市営バス・金山26系統「東別院バス停」徒歩3分

寺院・霊場巡りの際のバイブルに

 元々、当サイトは神社巡りを通じて、皆様の住んでいる所にある"村の鎮守の神様"と呼ばれる神社を紹介してくサイトを目指していたんです。むしろ寺院については、縁遠いものとおもっていたんですよね。しかし、ちょっとした御縁で弘法大師霊場に出会い、そして愛知県では一番活動が盛んな"知多四国霊場"を巡礼、結願する事になりました。でも、神社の事はある程度知識があっても、寺院については未知の世界だったので、少しでも巡礼の時に役に立てばと思い、こちらの本を読ませて頂いております。

少しでも巡礼の時にお役に立てる事もあるかと思います。是非一度読んでみてくださいませ。

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