名所旧跡など

白山神社・白山公園(西尾市吉良町饗庭)

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

 新愛知新聞社が昭和二年(1927年)に「愛知県の新十名所を読者投票で決定する。」というイベントを実施します。愛知県下を狂気の投票合戦へと誘ったこのイベントへの投票総数は驚異の1400万票以上。また、100票以上の投票を集めた名所候補は67カ所にも上ります。2022年、当サイトではこの67ヵ所の名所を巡り紹介していこうと思います。

西尾市吉良町饗庭に鎮座する饗庭神社からさらに山頂方面に歩を進めていくと、白山公園が整備されています。この公園の一部に、白山神社と八幡社が鎮座しています。その昔、饗庭氏がこの地を納めていた時の所縁の神社なんだとか。

石柱標が建っていまして、「御大典記念饗庭白山公園」と彫られています。昭和三年の昭和天皇即位の礼と大嘗祭の一連の儀式を合わせた御大典が行われ、その御大典を記念して作られたのこの白山公園なようです。

昭和三年は西暦1928年になるので、作られて90年になるわけですね。なかなかの歴史のある公園の様です。
そんな白山公園には、前述しましたが、八幡社と白山神社が鎮座していますので、両社とも参拝していく事にしましょう。

八幡社

一枚目の石柱標を紹介した写真にもよく見ると八幡社が写っているのですが、白山公園の桜が一面に植えられている場所の一番高台になっている場所に八幡社が鎮座しています。

切妻妻入りの祠の中に本殿が鎮座しています。南向きに鎮座していて、三河湾を遠くに望んでいる形になります。

饗庭神社や金蓮寺でも紹介してきている由緒の内容がここにも登場してきていますね。
この地を足利尊氏から賜った饗庭妙鶴丸は、饗庭城を建立し鎮守社として八幡社を勧請したとされ、ここに鎮座している八幡社もこの流れを汲む社なんだとか。

石川妙鶴丸とか饗庭妙鶴丸と案内板にでてきていて、同じ「妙鶴丸」なので混乱してしまいますが、当然年代も含めてわかっていらっしゃると思いますが別人物です。最初に出てくる石川妙鶴丸は、足利尊氏の寵臣である饗庭命鶴丸の事を指しているのかなと思い、そうなると足利尊氏の側近として活躍した饗庭尊宣の事になるのだろうと思います。尊氏は長らく命鶴丸の元服を許さなかったそうで、かなり成長し、尊氏の晩年に元服できたんだそうです。

白山神社

白山公園から少し高台に通じる道を登っていくと白山神社が鎮座しています。

こちらの白山神社も饗庭(石川)妙鶴丸が勧請して建立した神社のようです。
加賀の白山神社から勧請したとされていますが、この加賀の白山神社とは、白山神社の総本社にある白山比咩神社を指すのだろうと思われます。この白山公園も白山神社から名付けられたんでしょう。

白山比咩神社公式ホームページのご紹介


http://www.shirayama.or.jp/

白山公園からの眺望

この白山神社のすぐわきには、展望台が作られていて、なかなかの絶景を楽しめます。

ちょっと高圧電線が邪魔なのが玉にきずなんですが、かなり遠くまで見渡すことができます。
こちらは南方向を望んだ風景になります。

三河湾の先に、佐久島、日間賀島、篠島が見え、知多半島も一望できます。

う~ん、鉄塔がじゃま!

知多半島の先端にあるチッタナポリから武豊あたりまでを一望できます。
知多四国巡りではあの衣浦湾の向うに浮いている様に見える知多半島を右から左にむかって巡礼をしたわけですね。

白山神社から戻り、八幡社の近くに、こんな石碑を見付けました。

あゝ古里

どんな意味が込められているんでしょうね。
この石碑の裏側が整地されていて、これまた鉄柱が邪魔なんですが北側の眺望を望むことができます。

北西方面を望んでみます。縮小した写真なので分りにくいかと思いますが、遠くに、名古屋駅周辺のビル群も移っていますし、伊勢湾岸道路の名港トリトンも望むことができます。

こうやってみると、知多半島って展望台から見ると近くにみえるんですけどねえ・・・・。

戦争遺蹟(陣地壕跡)

これだけ眺望がいい場所なので、太平洋戦争中には陣地壕が彫られていたようです。
陣地というか防空壕のような二メートル四方くらいのトンネルだったようですね。対空砲が設置されていたというわけではなく、米軍の上陸に対応するための基地だったようです。

今では、注意と比べると天井が落ちて凹っとなった地形が陣地壕があったのかな?と思わせる地形になっています。実際こんな陣地が活用される様な自体になっていた場合、日本はとんでもない状況になっていたんだろうなあと。三河湾に米軍が上陸しているわけですからね・・・。想像するだけでも怖いですねえ・・・。やっぱり戦争はよろしくないです。

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