神社紹介
神社名 | 饗庭神社 |
鎮座地 | 愛知県西尾市吉良町饗庭七度ヶ入七番地 |
御祭神 | 建速須佐之男命,大山咋神、木花佐久夜毘売命 |
旧社格 | 指定村社 |
創 建 | 暦應ニ年(1339年) |
神名帳 | - |
境内社 | 日吉社、子安社 |
例祭日 | 十月二十日 |
御朱印 | - |
H P | - |
参拝日:2019年2月4日
御由緒
社伝に、暦應元年(1338年)、足利尊氏荒川に在城の際、饗庭御厨新田を造営し鎮守の神として一の宮、二の宮、三の宮の三社を祀る。加賀塚の地に二の宮として、尾張甚三郎、尊氏の命により山城国祇園八坂神社の分霊を請け祀る。暦應二年三月三日鎮座のことなり。御供田三町三反歩を寄進する。甚三郎神主を命じられ代々世襲して明治維新に到る。明治五年十月十二日、村社に列し、同四十二年九月一日神饌幣帛料供進指定をうける。
「愛知県神社名鑑」より
末社の日吉社、子安社は至徳元年六月饗庭城主妙鶴丸夫人守護神として勧請せしものなり。
「幡豆郡横須賀村誌」より
饗庭神社鎮座地地図
参拝記
「青龍山 金蓮寺」から東に50mほど進むと、「白山公園」とう看板が立っている幟立石が左右に設けられている取り付け道路が出てきます。この取り付け道路が饗庭神社への参道と共用となっています。鳥居のある境内入口から取り付け道路は分岐して「白山公園」の方に登っていきます。※白山公園は別記事で紹介させて頂きます。
境内入口
石灯篭、社号標、鳥居、土地改良碑などが据えられている境内入口になります。
境内に向けて石階段が伸びています。ちょっと段数がありますね。
社号標
旧社格も彫られた社号標になります。比較的スリムな社号標だとおもいます。
参道・石段
真っ直ぐ石段の参道が社殿に向かって伸びていますね。
写真手前に斜めに伸びている木は、初めから横に伸びたというより途中で倒れかかった感じですねえ。
手水舎・水盤
瓦葺木造四本柱タイプの手水社になります。
比較的シンプルな造形ながら、バランスが取れている手水舎かなとおもいます。
狛犬
生年月日は調べ忘れてしまいましたが、子乗り玉乗りの狛犬一対になります。
社殿
切妻瓦葺平入の拝殿になります。
幅は三間幅しっかりと取られているのですが、造り全体を見ると小型拝殿標準型に準じた造りです。
例祭の等の時には、拝殿前面の三間分の扉や填め戸を取り払うことになります。特に日ごろ締め切っている拝殿のイメージを持たれていると、祭りなどの時の拝殿は違って見えますね。
本殿は、資料によると流造の本殿が鎮座しているそうなのですが、造りを見ていると流造の屋根ではないので、覆殿の中に本殿が鎮座しているのかな?と思います。
あと、本殿が鎮座しているであろう中央から左右に軒が伸びているので、もしかしたらここに境内社が鎮座しているのかな?と思っています。境内を見渡しても資料にあった境内社がどこにも鎮座してなかったので・・・。
野外舞台跡
ここ饗庭神社の社殿向かって左手には、足利尊氏も狂言を鑑賞したと伝えられている屋外舞台跡が残っています。
この看板の裏側の一段高くなっている所が舞台跡かなと思われます。
解りにくいですが、石組を用いられていて、比較的平らな場所になっています。
どこが舞台なのか分かりにくい説明板ですが、やぱりここが舞台跡かな。
舞台跡脇から社殿を望むとこんな感じに広場が広がっています。
例祭などの余興などでの演劇や狂言などの鑑賞に使用されたんでしょうね。
こういった舞台が用意されているのも足利氏、饗庭氏などの庇護を受けた神社だからなのかな?と想像してしまいますね。
参拝を終えて
この饗庭神社が鎮座している場所からさらに山頂を目指して登っていくと、白山公園が現れます。次は、この白山神社にむかって山を登っていこうと思います。
ご自宅にお札は祀られていますか?
実家には神棚はあっても、今お住いの所には神棚がない方も多いかと思います。神棚には、日本の氏神である"天照大御神"とご自身がお住いの氏神様のお札を掲げると御神徳が宿るとされています。
賃貸住宅などに住まわれて簡単に神棚を掲げられないという方もお勧めなのが、
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南向き、もしくは東向きになる様に、そして目線の高さより上になる様に、棚などの上において頂くとよいかと思います。是非、皆様もご自宅に神棚をご用意いただき、御札を納めてほしいなと思います。