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安祥毘沙門天(愛知県安城市東明町)

2020年7月11日

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

 新愛知新聞社が昭和二年(1927年)に「愛知県の新十名所を読者投票で決定する。」というイベントを実施します。愛知県下を狂気の投票合戦へと誘ったこのイベントへの投票総数は驚異の1400万票以上。また、100票以上の投票を集めた名所候補は67カ所にも上ります。2022年、当サイトではこの67ヵ所の名所を巡り紹介していこうと思います。

ONE POINT

 伝承では最澄が建立し、その後安祥城主だった松平清康が岡崎城を奪取改修した上で居城を岡崎城に移す際、甲山寺並びに六坊を岡崎城の鬼門守護として移設しています。江戸時代を通じて幕府や岡崎藩からの庇護を受けていましたが、明治維新を迎え、甲山寺の境内から創建の地である安城市に再度移転しています。

寺院紹介

寺院概要

寺院名安城毘沙門天(極楽坊)
所在地愛知県安城市東明町十一番九号

御由緒

 「西尾弁財天/紹介記事」の記事でも紹介していますが、平安時代の頃からこの辺りは志貴荘下條と呼ばれており、大同三年(808年)には甲山寺並びに六坊(多宝坊、東圓坊、極楽坊、華蔵坊、法壽坊、吉祥坊)が「伝教大師(最澄)」による建立されたと伝えられています。今回紹介する「安城毘沙門天」は伝教大師が建立したという六坊の中の一つ「極楽坊」の系譜を継ぐ寺院になります。
 安祥松平家四代「松平清康」が居城を「岡崎城」に移した大永四年(1524年)、甲山寺と六坊の内四坊(多宝坊、東圓坊、極楽坊、華蔵坊)を岡崎城の北東にある六供に堂宇を建立し岡崎城の鬼門守護の寺院として移設させています。岡崎に移った四坊は徐々に衰退し極楽坊を除き廃寺となり、極楽坊も甲山寺境内に移されていったといいます。そして、明治期になり、元々極楽寺があったと伝えられる場所に堂宇を建立し、岡崎から安城に再び移設されました。

案内板

安城毘沙門天の境内前に安城市教育委員会による説明板が設置されていました。この案内板には、岡崎へ移設される前の甲山寺及び六坊の境内地が示されていました。安祥城から南は沖積層の低地帯で湿地または田園が広がっていた場所であり、安祥城が建つ碧海台地部分に寺院が建てられていた事が見て取れます。

創 建不詳
宗 派天台宗
御本尊毘沙門天

 志貴庄しきのしょう時代に、荘館(安城古城か)または安城の集落の周辺の四隅(東に常福寺、西に甲山寺こうざんじ、南に多宝坊、北に極楽坊)に寺院を建てたとする説がある。この地点は、そのうちの極楽坊にあたり、住民の福徳安全を祈願してまつられたのが安祥毘沙門天とされる。

 安城城時代には北方鎮護のためまつっていたと考えられる。毘沙門天が、仏法世界の四方を守る四天王のうち北方を守る多聞天を独立させて信仰されるためである。境内にある石像は甲冑かっちゅうに身をかため、右手で塔をささえ、左手にほこを持って、邪鬼を踏みつける姿であらわされる。

 安祥毘沙門天は、1524年(大永4)に、岡崎へ移転したが、明治に入り再び現在の地へ安置された。

安城市文化財図録より

文化財

国 宝
国指定
県指定
市指定
町指定
村指定
指定史跡:安城毘沙門天

文化財

御朱印
URL
駐車場
参拝日2020年6月29日

参拝記

 県道286号安城桜井線の「東明町北交差点」を西に曲がり一つ目の十字路を右折してすぐに朱に塗られた四脚門の山門が見えてきます。この山門が今回参拝する「安祥毘沙門天」の山門になります。車で参拝される場合、山門のすぐ右手にある通用門から境内に入り車を停める形になるのかなと思います。

山門

 袖壁のあるコンクリート造りの四脚門の山門になります。上記で紹介した案内板に載っていた昭和48年当時の写真にはこの山門は無かったように見えるので、その後のこの辺りの区画整理後に作られた山門だと思われます。

寺号標

 「宗教法人極楽寺 安祥毘沙門天王」と彫られた寺号標になります。極楽寺だけでいいのに宗教法人まで彫っている寺号標は中々ないのでは?

毘沙門天像

 元々は門前に据えられており、造営工事の際境内に移された毘沙門天王の石造になります。「安祥城時代には北方鎮護のためまつっていたと考えられる。毘沙門天が、仏法世界の四方を守る四天王のうち北方を守る多聞天を独立させて信仰されるためである。境内にある石像は甲冑に身をかため、左手で塔をささえ、右手にを持って、邪鬼を踏みつける姿であらわされる。」と説明されています。

本堂

山門を潜り、真っ直ぐ正面を見ると植えられた松と本堂が何とも言えない風情を感じさせてくれます。

 入母屋造瓦葺妻入りの向拝が設けられ高覧のある濡れ縁のあるコンクリート造りの本堂になります。白塗りに柱や梁部分を朱塗り装飾された本堂は当サイトでは初見かな?

忠考塔

 「安祥山大乗寺/紹介記事」の記事の中で「義民中川覚右衛門」の「頌徳碑」と「自害の地」を紹介しています。ここ安祥毘沙門天の境内には昭和十二年に忠考碑として十三層石塔が建立されています。
 大乗寺の頌徳碑と明法寺の中川覚右衛門墓碑と合わせて訪れてほしい場所です。

若宮神社

 安祥毘沙門天の境内の一角に若宮神社が鎮座しています。この若宮神社を鎮守社と称していいのか・・・。この境内地から南に「若宮」という地名の場所があって、そこには

 若宮神社跡と彫られた石碑が据えられています。この石碑のいう若宮神社と安祥毘沙門天の境内に鎮座する若宮神社が同じかどうかはこれだけでは断言できないのですが、元々極楽坊の境内があった場所から近いという事からもしかしたら極楽坊の鎮守社として勧請され、極楽坊が岡崎に移った時若宮神社はこの地に残り、明治になって極楽坊が戻ってきた時に極楽坊(安祥毘沙門天)の境内に遷座したという事・・・なのかな?

歴史探訪

 極楽坊と呼ばれた六坊の一つであり、前回紹介した「西尾弁財天/紹介記事」が極楽坊の門前に設けられた市場の鎮守社として祀られたと伝えられています。現在の安城極楽坊の境内地が元々極楽坊の境内地だったという事と西尾弁財天が鎮座している場所を地図で見ると元々の極楽坊は中々の境内の広さを有していたのでは?と思えてきます。

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所在地を地図で確認

寺院名安祥毘沙門天(極楽寺)
所在地愛知県安城市東明町十一番地九号
最寄駅名古屋鉄道西尾線「南安城駅」徒歩6分

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少しでも巡礼の時にお役に立てる事もあるかと思います。是非一度読んでみてくださいませ。

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