神社紹介
神社情報
神社名 | 熊野神社 |
鎮座地 | 愛知県知多郡阿久比町大字板山字川向三十八番地 (Googlemap) |
例大祭 | 四月第二日曜日 |
創 建 | 建武年間(1334-1336年) |
御祭神 | 伊弉冉命 速玉男命 事解男命 |
旧社格 | 指定村社 |
神名帳 | ー |
境内社
境内社 | 天馬駒大明神 多賀社 八幡社 秋葉社 松尾神社 天神社 御嶽社 御芳社 津島社 酒造神 松尾大明神石碑 |
文化財
国 宝 | ー |
国指定 | ー |
県指定 | ー |
市指定 町指定 村指定 | ー |
参拝情報
御朱印 | ー |
URL | ー |
駐車場 | 板山公民館駐車場を使用 |
参拝日 | 2018年5月16日 |
御由緒
社伝によると、建武年間(1334-36年)に、南朝方の武将だった楠木正成の家臣「沢田某」が湊川における戦に敗れた後、山城宇治郡にある三宝院に入り修験道の山法師となり、後にこの地を訪れた時に熊野三所権現を奉斎したのが創始であるとしています。
三宝院とは?
京都市伏見区にある真言宗醍醐派の大本山の寺院になり、門跡寺院で、総本山醍醐寺の塔頭であり、本坊的な存在になります。かつては修験道当山派を統括する本山であったとし、江戸時代までの修験道の中心の一つになります。
熊野神社は、建武年間(1334-1336)に奉祀されたと伝承されており、「伊弉冉命」、「速玉男命」、「事解男命」が祀られている。
「熊野神社境内由緒書き」より
神社文書によると、楠木正成の家臣沢田氏は湊川での敗戦後、山城宇治郡の三宝院に入り、修験道の山法師となった。その後、枳豆志庄(現在の武豊町一帯附近)の安喰が、三宝院に寄進された時、枳豆志の司役として派遣された石田某に従って当地に来て、紀州熊野三所権現を分祀したのが始まりといわれている。
この神社の宝物に「甲割りの宝剣」があるが、これは楠木正成の剣であったと伝えられている。
本殿の東丘には、酒造神の松尾大明神の石碑があり、この地より杜氏(酒を造る職人)として、多くの人が出稼ぎにいっていたことを物語っている。
社標は熱田神宮宮司の角田忠行の書である。角田忠行は幕末の勤王の志士の一人で、島崎藤村の小説「夜明け前」に暮田正香の名で登場する人物である。
創建は明らかでない。尾張志に「熊野ノ社、冨士ノ社、山神ノ社三所六社共に板山村にあり。」とある。明治五年、村社に列格し、同四十年十月二十六日、神饌幣帛料供進指定社となる。
愛知県神社庁発刊「愛知県神社名鑑」
御祭神
- 伊弉冉命
- 速玉男命
- 事解男命
御朱印帳の保管に
数年前より非常に集める方が増えた「御朱印」ですが、皆様は御朱印帳はどうやって保管していますか?神社・仏閣を廻って御朱印を受けているとあっという間に御朱印帳の冊数が増えていきますが、そのまま棚などに置いている方が多いのでは?。せっかくお受けした御朱印ですので、日本では古くから着物を始めとして大切なものを保管する為に使われていた「桐箱」に入れて保管した方がよろしいかと思います。
ぜひ、皆様も桐箱に御朱印帳を保管されてみたらいかがですか?
知多新四国霊場を行く
知多四国霊場十三番札所「板嶺山安楽寺/参拝記事」を後に、すぐ隣に鎮座している「熊野神社」に参拝に伺いました。
安楽寺と熊野神社の位置関係は上記グーグルマップを見て頂くとまさに境内を接するように並び立っているのが解って頂けるかと思います。安楽寺と熊野神社の間には境内前を流れる緒川沿いに歩道が整備されていて、車が行き飼う市道に出なくても行き来する事ができます。
この並び立っている境内を眺めていると、元々は、安楽寺は熊野神社の別当を務めていたのではないかと想像してしまいます。江戸時代まではお寺の住職が神社の宮司を兼ねている所が多かったと聞きます。これを別当というのですが、明治政府の神仏分離策によって寺院と神社の関係をスパッと分けてしまった為、現在の様な並び立つ境内になったのかなと思うわけです。
参拝記
ストリートビューを見て頂いても安楽寺と熊野神社が並び立っているのが解って頂けるかと思います。
境内入口
川を渡る太鼓橋の上から境内、社殿方面を望みます。
道路沿いにある神社と趣きを異にして、独特の雰囲気を持った神社ですね。
独特の雰囲気を醸し出している一つの要因は、鳥居がかなり奥まった場所に据えられている所ですね。手水舎、祓所などより奥に鳥居が位置しています。こういった配置も少数派だと思います。
社号標
旧社格が彫られた明治四十一年建立の社号標になります。
明治四十年に神饌幣帛料供進指定を受けたことまで側面に彫られていたりします。
祓所
社号標裏に据えられている祓所になります。
ここで大祭などを行う際、修祓という儀式を行うのですが、ちょっと場所的に狭いかなと思いますね。
手水舎・水盤
木造瓦葺四本柱タイプの手水舎になります。
水盤がかなりおおきな物になっていて、手水舎も大きくなっています。
鳥居
木製の神明鳥居になります。
石製の鳥居に慣れすぎているせいか、鳥居の大きさに対し柱とか貫が細く感じてしまいますね。
鳥居から社殿を望みます。
真新しい拝殿が目を引きますね。
舞台
社殿左側に木造の舞台がありました。
社殿
2009年に再建された入母屋造木造平入の拝殿になります。
近年再建された拝殿では珍しく、低床型の拝殿ではなく、高床式の拝殿となっています。が、廻縁が設けられていないなど、低床型と高床式のハイブリッドの様な造りになっていますね。
実は、2009年の造営工事の際、偶然参拝に伺っており、その時の写真が残っていました。
自分が伺った時は、すでに旧拝殿が解体され、新拝殿を建築するための足場が組まれていて、もうすぐ建築が始まるというタイミングでした。
ふだんなら中々見ることのできない、本殿の雰囲気も感じ取ることができますね。
造営工事の時は、正面から見ることができた本殿も、現在では瑞垣の外からしか見られません。
境内社
本殿の右側(向かって左手)に境内社が鎮座しています。
八幡社、秋葉社、松尾神社、天神社、御嶽社、御芳社の合殿、津島社、多賀社の境内社の他に、酒造神、松尾大明神石碑、天馬駒大明神が鎮座しています。
上記写真は、左から、酒造神、松尾大明神石碑、天馬駒大明神の順で鎮座しています。特に、酒造神、松尾大明神石碑については、由緒にも本殿の東丘に鎮座していると書かれているのですが、現在では境内社が並んでいる一角に鎮座しています。
2009年の時点では東丘にあったのを確認していますので、その後遷座されたんですね。
2009年参拝時の酒造神、松尾大明神石碑
やっぱり、以前の場所に鎮座していた方が雰囲気はありますねえ。
参拝を終えて
舞台の正面に、四角く石が敷き詰められた意味あり気な場所がありました。
これは一体何なんでしょうね・・・。
次の目的地は
熊野神社の参拝を終え、次は知多新四国霊場十四番札所「円通山 興昌寺」を目指します。といっても、安楽寺、熊野神社からは川に沿って走ればすぐの場所になります。
境内地を地図で確認
神社名 | 熊野神社 |
鎮座地 | 愛知県知多郡阿久比町大字板山字川向三十八番地 (Googlemap) |
最寄駅 | 電車:名古屋鉄道・河和線「坂部駅」徒歩19分 バス:阿久比町コミュニティバス「板山公民館バス停」徒歩1分 |
ご自宅にお札は祀られていますか?
実家には神棚はあっても、今お住いの所には神棚がない方も多いかと思います。神棚には、日本の氏神である"天照大御神"とご自身がお住いの氏神様のお札を掲げると御神徳が宿るとされています。
賃貸住宅などに住まわれて簡単に神棚を掲げられないという方もお勧めなのが、
南向き、もしくは東向きになる様に、そして目線の高さより上になる様に、棚などの上において頂くとよいかと思います。是非、皆様もご自宅に神棚をご用意いただき、御札を納めてほしいなと思います。