寺院紹介
寺院概要
寺院名 | 板嶺山安楽寺 |
所在地 | 愛知県知多郡阿久比町大字板山字川向二十一番地 (GoogleMap) |
創 建 | 文禄二年(1593年) |
宗 派 | 曹洞宗 |
御本尊 | 無量寿如来 |
霊 場
知多四国霊場
日本三大新四国霊場の一つに数えられる愛知県の知多半島全域を霊場とする八十八ヶ所の札所を遍路する弘法大師霊場になります。
当サイトの知多新四国霊場の紹介ページは「こちら」から
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知多四国霊場
霊場情報 霊場名知多四国霊場開創年文化六年(1809年)札所数番所:88 番外:7 開山所:3 (合計:98) 霊場域名古屋市、豊明市、大府市、東浦町、半田市、阿久比町、武豊町、美浜町、南知多町、常滑 ...
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【参考】知多四国霊場 公式HPは「こちら」から
Topics
令和五年(2023年)は「弘法大師生誕千二百五十年記念」という事で知多四国霊場では令和五年一月一日~令和六年六月三十日までの期間において記念宝印を授与して頂けるようです。
また、記念の納経帳も併せて発刊されるようです。
是非、この期間に遍路されてみては如何でしょうか?
文化財
国 宝 | ー |
国指定 | ー |
県指定 | ー |
市指定 町指定 村指定 | ー |
参拝情報
御朱印 | ○ |
URL | ー |
駐車場 | ○ |
参拝日 | 2018年5月16日 |
沿革・由緒
寺伝によると、文禄二年(1593年)に洞雲院二世久山昌察大和尚を開山として創建されたと伝える。その後、慶安元(1648)年現在地に堂宇を移し、天保八年(1837年)に玉峯層山和尚が再建・中興した。
- 文禄二年(1593年):創建
- 開山:久山昌察大和尚(洞雲院二世)
- 慶安元年(1648年):現在地に堂宇を移転。
- 天保八年(1837年):再建中興する
文禄二年(1593年)の建立で、以後玉峯層山和尚が天保八年(1837年)に再建、中興となる。
「知多四国めぐり」より
さらに大正十年(1921年)に天柱石門和尚により伽藍諸堂が整備され復興された。
本尊無量寿如来は恵心僧都の作と伝えられている。観音堂に奉安する聖観音は行基の作と伝えられており、立像木像三尺三寸、九年目ごとの開帳の秘仏であり、又、経蔵には大正新修大蔵経を蔵している。
御朱印帳の保管に
数年前より非常に集める方が増えた「御朱印」ですが、皆様は御朱印帳はどうやって保管していますか?神社・仏閣を廻って御朱印を受けているとあっという間に御朱印帳の冊数が増えていきますが、そのまま棚などに置いている方が多いのでは?。せっかくお受けした御朱印ですので、日本では古くから着物を始めとして大切なものを保管する為に使われていた「桐箱」に入れて保管した方がよろしいかと思います。
ぜひ、皆様も桐箱に御朱印帳を保管されてみたらいかがですか?
知多四国霊場を行く
知多新四国霊場十二番札所「徳応山福住寺/紹介記事」を後にして、一路十三番札所の「板嶺山安楽寺」を目指します。この安楽寺から阿久比町にある札所を巡っていく事になります。
福住寺を出て、衣浦大橋から阿久比方面に走っている県道46号線を西に向かって走り、「阿久比板山」交差点を左折します。そして、川と並走するように200mほど走ると、川の対岸にある「安楽寺」が見えてきます。
知多四国霊場を巡るツアーなど
最寄駅から歩いて巡礼するのが辛い方は、名古屋駅発着のバスツアーがお勧めです。これまた、人気の知多四国霊場という事もあり、多数の旅行会社から知多四国霊場巡礼バスツアーが企画されていたります。こんな中、当サイトではクラブツーリズムの巡礼ツアーをお勧めします。
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※中部東海版を選択して頂き、キーワード検索で"知多四国"で検索すると、知多四国巡礼バスツアーが出てきます。
実際自分が巡礼している時にこのクラブツーリズムの巡礼ツアーに遭遇しまして、こっそり添乗員として説明されていた先達さんの説明を聞いていた事があります。巡礼自体はせわしないのは否定できませんが、先達さんの札所などの説明が聞けるのは貴重な経験ではないかなと思います。
参拝記
東西に走る県道46号線と東浦町石浜から伸びてくる県道469号線が交差する「阿久比板山」交差点からほど近い場所に安楽寺はあります。安楽寺のすぐ隣には、板山の鎮守社「熊野神社」が鎮座しています。
駐車場はかなり広くとられているので、とても駐車しやすいと思います。
境内入口
川沿いに建つ札所で、現役?の橋を渡って山門に向かう所は、ここ「安楽寺」だけじゃなかったかな・・・。
参道の石段脇には、知多四国霊場十三番札所の石碑と庚申様の石像、鎮守社、地蔵菩薩が鎮座しています。
山門
扉の無い四脚門になります。
斗供が用いられた重厚感のある四脚門ですね。
山門から正面にみえるのが、観音堂になります。
本堂が正面ではないんですね。
山門に掲げられた山号の扁額です。
金色が輝いて見えますね。
この山門も由緒にはでてないですが、近年建て替えられた物になります。
手水舎
切妻瓦葺四本柱タイプの手水舎になります。
柱が太く、比較的柱間の感覚が狭いので安定感は非常に感じる手水舎ですね。
給水口が普通の蛇口なのが、「あ~っ、惜しい!」って感じですかね。
実用面では全く問題ないのですが、見た目も大切ですからねえ。
本堂
コンクリート造入母屋造瓦葺平入向拝の設けらた昭和五十七年に落成した本堂になります。
こちらに本尊が安置されている様ですので、安心して本堂と言えます。
さて、こちらの本堂はコンクリート造りという事で、そういえば、昭和後期から平成初めにかけ、寺社の建て替えの際はコンクリート造りを選択された所がかなり多かったと記憶しています。耐震基準などの面から木造では広い広間が作れなかったという理由が大きかったと・・。
それが、この平成20年頃から再び木造の寺社建築が増えてきた感があります。耐震技術の向上とやっぱり木じゃなければという檀家、氏子の方々の思いが木造づくりへと回帰させているのかもしれませんね。
ここ安楽寺の様に極力木像に似せた造りをしていれば、参拝に来られる方々のお寺に対するイメージと遜色ないので安心して参拝できると思うのですが、たまに「え?これお寺?」という造りをしている寺院に出会うことがあるのですが、やはりそういった寺院は奇抜な寺院だと記憶されてしまっているんじゃないのかな~って思ってます。
観音堂
木造入母屋造平入向拝の設けらた観音堂になります。
山門からみると正面に位置しているが本堂ではなくこちらの観音堂になります。
観音堂には、由緒で出てきた行基作と伝えられている「聖観音像」が安置されています。
この観音像、秘仏とされ、九年に一度の開帳時以外は厨子の中に安置されています。
知多西国三十三観音霊場の札所になりますね。
弘法堂
入母屋造妻入りの弘法堂になります。
昭和四十六年再建になります。
中央には地蔵菩薩、弘法大師像、左側には不動明王、右側には薬師如来が安置されています。
弘法堂の懸魚と鬼瓦になります。
少数派の三葉懸魚とさらに少数派の花弁型の六葉になります。
御朱印
参拝を終えて
この安楽寺には、昭和初期頃の知多新四国霊場の案内図が掲げられています。
JR(当時は国鉄)の武豊線、名鉄の常滑線、河和線が描かれていますが、昭和55年開通の知多新線は書かれていないです。さらに昭和31年開通の衣浦大橋も描かれていない事から、昭和10年から31年の間に描かれた絵図だと推定します。
大正五年に書かれた知多新四国開創由緒書き。大正時代の頃も知多新四国巡礼が盛んだったんでしょうねえ。
次の目的地は?
十三番札所「板嶺山 安楽寺」の参拝を終えて、次の札所に向かう前に、すぐ隣に鎮座している「熊野神社」を参拝に伺う事にします。
所在地を地図で確認
寺院名 | 板嶺山安楽寺 |
所在地 | 愛知県知多郡阿久比町大字板山字川向二十一番地 (GoogleMap) |
最寄駅 | 電車:名古屋鉄道・河和線「坂部駅」徒歩19分 バス:阿久比町コミュニティバス「板山公民館バス停」徒歩1分 |
寺院・霊場巡りの際のバイブルに
元々、当サイトは神社巡りを通じて、皆様の住んでいる所にある"村の鎮守の神様"と呼ばれる神社を紹介してくサイトを目指していたんです。むしろ寺院については、縁遠いものとおもっていたんですよね。しかし、ちょっとした御縁で弘法大師霊場に出会い、そして愛知県では一番活動が盛んな"知多四国霊場"を巡礼、結願する事になりました。でも、神社の事はある程度知識があっても、寺院については未知の世界だったので、少しでも巡礼の時に役に立てばと思い、こちらの本を読ませて頂いております。
少しでも巡礼の時にお役に立てる事もあるかと思います。是非一度読んでみてくださいませ。