矢作川神社巡り紀行

矢作川神社巡り紀行Part.4(旧一色町~吉良頭首工)

2018年1月15日

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

 新愛知新聞社が昭和二年(1927年)に「愛知県の新十名所を読者投票で決定する。」というイベントを実施します。愛知県下を狂気の投票合戦へと誘ったこのイベントへの投票総数は驚異の1400万票以上。また、100票以上の投票を集めた名所候補は67カ所にも上ります。2022年、当サイトではこの67ヵ所の名所を巡り紹介していこうと思います。

矢作古川左岸を進んできましたが、無事に河口までたどり着いたので、今回は河口から前回出発点だった吉良頭首工までの旧一色町から西尾市の矢作古川右岸を遡って行こうと思います。

スタート地点:矢作古川河口

矢作川右岸の河口の堤防の上からの景色をば。
東方を望むと、吉良温泉郷が見えます。海に飛び出していたこんもんりとした部分が蛭子社になります。

南方を望むと、佐久島の島影が見えます。
更にその奥にかすんで見える島影っぽいのが渥美半島になります。

そして、北方を望みます。
三河湾に流れ込む矢作古川です。

ここから、矢作川と矢作古川の分岐点に到達するまで、矢作古川右岸を遡上?していきます。

旧一色町エリアの神社参拝なんですが、矢作川沿いだけではなく、新田と呼ばれている江戸時代頃から始まった干拓事業によって祀られた神社なども併せて紹介していきます。

塩竈神社(西尾市一色町千間)

スタート地点からほどちかい場所に鎮座しているのが千間地区の塩竈神社になります。

写真の様な案内看板を設けている村の神社って少ないですよね。

案内看板通りに進んでいくと、塩竈神社が鎮座しています。
その昔といっても昭和40年代までは、この塩竈神社周辺は塩田が広がっていました。現代の科学的な塩もいいんですが、塩田で作られた塩ってどんな味だったんですかね。


塩竈神社(西尾市一色町千間)


塩竈神社を参拝して、本来この企画で行けば矢作川を北上して松木島地区の八幡社に向かうところですが、先に述べたように、新田と呼ばれる干拓地に鎮座する神社も紹介していきますので、矢作古川から少々離れていくことにします。

説明しにくい部分もありますので、経路図を地図を参照してください。

という事で、塩竈神社を参拝し、次なる目的地は生田地区に鎮座する生田神社を目指すことにします。

生田神社(西尾市一色町生田)

経路図を見ていただくと、生田神社周辺に水色に塗られた池らしきものが点在しているのが解ると思います。今ではかなり減りましたが、露天型の養鰻池になります。今では、養鰻池をハウスで覆っているので、それを水色で塗るとすごいことになります。
生田地区は、うなぎ生産日本一と呼ばれる一色うなぎの中でも特に生産の中心になるそうです。

あぁ~うなぎが食べたい・・・。

生田神社の周りにも養鰻池が点在というか隣接しています。

このハウスの中にはうなぎが一杯養殖されています。

そんな養鰻池に囲まれて生田神社は鎮座しています。


生田神社(西尾市一色町生田)


生田神社の参拝を終えて、次は酒手島新田と呼ばれた地区に向かう事にします。

八幡社(西尾市一色町酒手島)

生田神社から北西に向かっていくと、

左手に幟立石が畑の中にあるのが解ると思います。
これが八幡社の目印になります。すぐ左に曲がっていく路地の先に八幡社が鎮座しています。

この八幡社周辺にも養鰻池が点在しています。

目の前には、参拝時には水が抜かれていた養鰻池がありました。


八幡社(西尾市一色町酒手島)


八幡社を参拝して、次は藤江地区の神明社に向かうとします。

神明社(西尾市一色町藤江)

藤江地区に入ると、神明社周辺は田畑が広がる風景に変わってきます。

神社隣に見えるハウスも養鰻池でなくハウス栽培の畑になっています。

今まで紹介してきた三社と異なり、境内に松だけでなく様々な木々が育っています。
これだけの大木になってくると、剪定も大変ですね。


神明社(西尾市一色町藤江)


境内の木々が遠くからでも目立つので、神社の場所はすぐにわかると思います。

そんな木々に囲まれた神明社の参拝を終えて、再び海沿いというか入江っぽい場所の脇に鎮座している坂田神社に向かうとします。

坂田神社(西尾市一色町坂田新田)

まさに海沿いに鎮座する神社なんですが、海側を堤防で囲まれてしまっている為、厳島神社のような雰囲気ではないですね。この辺りは干拓地の宿命なのか水害との闘いの歴史でかなり堤防も高く設けられています。

入江らしき場所には漁船が多数停泊してました。

社殿の後ろは堤防が迫ってくる雰囲気の坂田神社になります。
旧社格制度で村社に列格していた割には、かなり社殿がこぶりな感じがします。この辺りも水害の影響なんでしょうか。


坂田神社(西尾市一色町坂田新田)


坂田神社の参拝を終えて、本来でしたら矢作古川方面に戻っていくところなんですが、ここから少し北に行ったところに、大提灯祭で有名な諏訪神社が鎮座していますので、そちらに向かおうと思います。

諏訪神社(西尾市一色町一色)

元々は諏訪神社の周辺の道路は非常に狭かったんですが、近年拡幅工事が行われていて、諏訪神社も社殿の移動を含めた大規模な造営工事も行われて社殿配置も変わり、神社の雰囲気も一変しています。

この諏訪神社はやはり外せない祭が「大提灯祭」になります。愛知県を中心とするローカルテレビでは祭の時中継が入るほどの祭なんです。

画像提供元:トラベル.JP様

非常に有名な神社なんですが、国道247号線など主要道路から住宅地の中に入ったところに鎮座しているのでは非常に分かりにくい場所に鎮座しています。


諏訪神社(西尾市一色町一色)


諏訪神社の参拝を終えて、ここから国道247号線沿いを矢作古川方面に向かっていこうと思います。

三河一色駅跡

諏訪神社を後にして国道247号線を東に向かっていくと、途中廃線となった三河線の踏切があった場所を過ぎていきます。

道路の左右にあるフェンスが三河線の線路跡になります。本当にストリートビューは便利ですね。

ここから三河一色駅跡が近いので寄り道をしていきましょう。

非常に寂しい雰囲気の三河一色駅跡になります。
駅舎も壊されてしまっていますが、まだ、ホームは残っています。

このホームもいずれは無くなってしまうんでしょうか。
ちなみに、三河一色駅を出発すると次の停車駅は、吉良吉田方面は松木島駅へ、碧南方面は西一色駅になります。

丁度松木島方面に向かっている所ですので、松木島八幡社を紹介した時に松木島駅も訪れていこうと思います。

白山神社(西尾市一色町野田)

三河一色駅を後に、再び国道247号線を東に向かうと、白山神社の境内社になる天満宮の看板が見えてきます。

神社名を知っている状態でこの看板を見ると違和感がありますが、神社を探している時には非常に助かります。

看板の場所から振り向くと、写真の様に神社に向かって道路がまっすぐに伸びています。
道路わきには幟立石が並んでいて、例大祭の時には雰囲気が一変しそうですね。

境内の関係上、車入れが正面側しかなく、車が鳥居の下をくぐらないと中に入れないみたいです。なんとなく気になる部分ですね。


白山神社(西尾市一色町野田)


白山神社の参拝を終えて、惣五郎地区に新座する神明社に向かいます。

神明社(西尾市一色町惣五郎)

さて、国道247号線を西に向かい、すぐにある野田交差点を右折して真っすぐ行くと左手に神社が見えてきます。
神社の裏側が見えてきますが、裏側から回り込むように境内入口に向かいます。

ぐるっと回り込むと、南入りの境内が見えます。

灯篭の火袋部分なんですが、ただの四角い石になっています・・・献灯できないんですが・・・。


神明社(西尾市一色町惣五郎)


神明社の参拝を終え、松木島の八幡社に向かいます。その前に、名鉄三河線の松木島駅跡を通るのでそこも紹介していきます。

松木島駅跡

惣五郎の神明社を後にして一色東部小学校の脇を抜けて、三河線廃線跡を沿う様に東に向かいます。

バラストもそのままの廃線跡を見ながら進みます。すると・・・

今は駅舎も取り壊された松木島駅跡が見えてきます。
正面側から撮影してきました。

この松木島駅なんですが・・・初代駅舎ってのが

こんなモダンな駅舎だったんです。昭和53年に解体されてしまったそうですが・・・。今も残っていれば産業遺産になっていたかも?なんですけどね。残念です。

そしてこの松木島駅の正面からまっすぐ北に延びる道路と国道247号線の交差点近くに鎮座するのが松木島地区の八幡社になります。

八幡宮(西尾市一色町松木島)

松木島郵便局の対面に、八幡社の灯篭が見えてきます。

青銅製の両部鳥居が非常に目を引く八幡社です。
郷社に列格していた為か非常に広い境内であり、玉垣なども角には灯篭を配備して非常に立派に見えます。


八幡社(西尾市一色町松木島)


やっと、矢作川沿いに鎮座する松木島の八幡社まで戻ってきました。
塩竈神社からスタートした矢作川紀行Part4ですが、ここまでで既に九社紹介してきましたが、寄り道が過ぎた為か、まだ一色町すら脱出できてません・・・。(寄り道しなければ2社目が松木島の八幡社でしたね・・。)
247号線を横断して干拓エリアから徐々に元地の場所に入っていきます。

これからの予定はちょっと縦長ですがこんな感じで進んでいきます。
オレンジの円が神社、緑色の円は城跡を示しています。

途中、横手町の神明社から天竹町の天竹神社の間、悠紀斎田関連の神社がありましたので、そちらを寄り道しながら進んでいきます。

築籠神社(西尾市一色町対米)

はずみやこ幼稚園から西に進んだ田園の中にあるのが築籠神社になります。

鳥居脇の白い柵が印象的ですね。車止めですかね。

築籠神社(西尾市一色町対米)

対籠村屋敷跡

築籠神社から北西に進んだところに、惣五郎新田を開拓した鈴木惣五郎が住んでいた屋敷跡(対米屋敷跡があります。

現在では、屋敷跡と推定されるところには浄土真宗真宗大谷派の長壽寺があります。

こういった歴史の一つ一つが繋がっていくのはとても面白いですよね。


対米屋敷跡


神明社(西尾市一色町大塚)

対米屋敷跡を後にして、西尾ゴルフクラブ近くに鎮座している大塚地区の神明社を目指します。

境内に向かう参道兼農道の脇には幟立石が並んでいます。

非常にまとまった神社だと思います。

この神社の社殿はコンクリート造りなんですが、非常に細かい彫刻が掲げられています。


神明社(西尾市一色町大塚)


神明社の参拝を終えて、次は池田地区の神明社へ向かう事にします。

中田陣屋跡(西尾市一色町池田地内)

神明社に向かう途中、赤い門の長久院が目に留まり、写真をとっておいたのですが、あとで調べてみると、榊原家の代官陣屋跡地だということでした。

この赤い門は、陣屋の門を移築したものと言われ、中田陣屋唯一の遺構です。


中田陣屋(西尾市一色町池田)


神明社(西尾市一色町池田)

一色町池田の交差点近くに鎮座しているのが次に参拝に向かう神明社になります。

交差点の画像を・・・。
もしかしたら、この交差点の角に立っているイカ焼きのお店をご存知の方も多いのでは?このお店の裏側に神明社は鎮座しています。

境内の形状が簡単に言えば三角形になっているので、社殿に向かって広がりのある形になっている独特な雰囲気を持っている神社です。

地頭神明社跡(西尾市一色町池田)

明治二十二年に神明社に合祀されて廃社となった地頭神明社の碑になります。
廃社跡地は転用されていてこういった記念碑が建っている所は非常に少ないですね。


神明社(西尾市一色町池田)


神明社の参拝を終えて次は山上神社に向かうことにします。
旧一色町の矢作古川河口からスタートしましたが、いよいよ旧一色町を後にして西尾市に突入していきます。

 

 

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