名所旧跡など

正法寺古墳(西尾市吉良町乙川)と姫山陣屋稲荷

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

 新愛知新聞社が昭和二年(1927年)に「愛知県の新十名所を読者投票で決定する。」というイベントを実施します。愛知県下を狂気の投票合戦へと誘ったこのイベントへの投票総数は驚異の1400万票以上。また、100票以上の投票を集めた名所候補は67カ所にも上ります。2022年、当サイトではこの67ヵ所の名所を巡り紹介していこうと思います。

正法寺古墳

名称 正法寺古墳
形状 前方後円墳 全長94m
時代 古墳時代中期
所在地 吉良町乙川西大山「正法寺古墳公園内」
指定・種別 国指定・史跡

西三河最大の前方後円墳になるそうです。築かれた時代は凡そ五世紀初頭の古墳時代中期頃と推定され、全長は94mにも及びます。昭和11年、国の史跡に指定されています。

平成13・14年の発掘調査によって三段の階段状の葺石や島状遺構が確認され、円筒埴輪のほか、家や蓋などの形象埴輪が出土したそうです。

古墳を少し上った場所から海沿いを見ると、遠く知多半島を越しに鳥羽、伊勢の山々と望むことができます。この地を拠点に海洋交易で力を持った豪族の墓なんでしょうね。

正法寺古墳 地図

訪問記

国道247号線「吉良温泉入口」交差点を南に向かっていくと、こんもりとした丘の様なものが見えてきます。これが「正法寺古墳」になります。一見、山の様にしか見えないのですが、前方後円墳なんだそう。

この正法寺古墳には、現在「医王山 正法寺」「城山神社」「陣屋稲荷」がそれぞれ鎮座しています。古墳の上に神社の社が建っていたり、寺院の境内の一部に古墳があったりと、古墳というのは昔から人を集める力があるんですかね。

正法寺古墳を訪れる際、周囲に駐車場らしい場所はなく、古墳の東側にある乙川公民館の駐車場を利用する形になるのかなと思います。

駐車場から、白山神社か正法寺の境内を経由する形になりますが、進んでいくと、古墳公園に入っていく事ができます。

なんでも、伊勢湾台風の時に、この正法寺古墳も被害が出たそうなのですが、そのままになっていたそうです。そこで「ふるさと創生事業」でこの正法寺古墳も再整備されたんだとか。(旧)吉良町はこのふるさと創生事業を史蹟整備に充てていた事がよくわかりますね。

文部省史跡説明文ですね。戦前の物を復興したものだと思われます。

さすがに、宮内庁が管理している古墳程には瑞垣などで囲まれているわけではないですが、写真の様に周囲を瑞垣で囲まれていると、なんとなく歩を進めるのをためらってしまいます。

桜の枝などが邪魔して見えにくいですが、正法寺古墳から三河湾方面を望みます。眼下に広がる田園風景も干拓される前は遠浅の海が広がっており、この正法寺古墳のある場所や吉良温泉がある場所なんかは海に突き出た半島の様なかんじだったんだと思われます。正法寺古墳の北側は入江の様になっていて、天然の湊として機能していて、この地を納めていた長が海洋交易で力をつけ、この地方を納める豪族となっていったのかなと勝手に想像してしまいますね。自らの基盤だった港を望む場所に古墳をつくったのかなあ~って思っているんですが、どうですかね。

姫山陣屋稲荷

高家吉良氏の姫山陣屋に鎮守社として祀られていた稲荷社を明治維新後「正法寺古墳」の山頂に移していたそうですが、近年破損が進み、祠を新しく造営すると共に山頂から現在の場所に遷座したそうです。

吉良上野介義央が赤穂浪士に討入された元禄赤穂事件により吉良家が断絶され、吉良氏の領地大半を宝永二年(1705年)に旗本・津田正房が継承します。この際、姫山陣屋は岡山陣屋に統合されたという話もあります。石高は3000石。津田氏は正明―正春―正安-正良―正応―正信―桂次郎と続きます。

この姫山陣屋稲荷は、吉良町指定文化財を受け継ぎ、西尾市指定文化財になっています。
今回は、姫山陣屋跡に伺っていないのですが、近々訪れて記事にしていきたいと思います。

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