(旧)三河新四国八十八ヶ所 三河海岸大師八十八ヶ所 三河観音三十三ヶ所 西尾市

医王山 正法寺(西尾市吉良町乙川) 三河海岸大師 二十四番札所

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

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寺院情報

寺院名 医王山 正法寺
所在地 愛知県西尾市吉良町乙川西大山七番地
御本尊 聖観世音菩薩
宗 派 曹洞宗
創 建 不詳
札 所 三河海岸大師 二十四番札所
(旧)三河新四国 十四番札所
三河観音霊場 二十三番札所
御朱印
H P

参拝日:2018年10月16日

沿革・由緒

当寺創立は詳ならず。暦應三年足利氏の再建にして鳳来寺の現住玉林坊を請して当寺に住せしむ。玉林坊薬師如来阿弥陀如来十一面観音菩薩を携帯し来りて当寺に安置せり。この三尊の由来を釈するに、神亀元年甲子行基菩薩諸国行脚の時鳳来寺に駐鍚し薬師堂尊像二体を彫刻し、一体は鳳来寺に納め一体は当寺に安置するに至る。因て乙川白山神社は玉林坊が当寺鎮守として勧請せしなり。古老の諺に正法寺七本杉と称するものあり。鳳来寺七本杉と同時に栽培せしものならん。境内古色悠然として一見幾百年の老樹たるを知るも惜いかな其の一を存するのみ。斯る縁故あるか故に鳳来寺より年々正月十五日斉銅壹貫文を遣されけるか永禄年中故ありて之を止む。その後諸堂零落しけるを今川義元斯る霊場の廃せん事を嘆き、大檀那となりて御朱印を付し、堂舎再興を見るに至れり。御朱印今猶当寺にあり。当寺は元真言宗にして鳳来寺末なりしが貞享四年尊秀幡豆村曹洞宗安泰寺より留守居に来たりて曹洞宗に改宗せり。元禄十五年当地寺領主津田外記の祈願所となり。年々佛供料として十石の奉納あり、諸堂何れもこの寄進にて修繕せられたり。

「幡豆郡吉田村誌」より

足利尊氏所縁の饗庭三社三箇寺

足利尊氏が暦應二年~三年にかけて饗庭郷に鎮守社として建立した三社三箇寺の一寺となります。ほかの神社、寺院と異なる点は、ここ正法寺が足利尊氏の創建ではなく再建であるという点ですね。

三箇寺すべてが真言宗として創建されたのですが、三箇寺ともに曹洞宗に改宗しています。さらに、現在では西尾市西幡豆町にある「吉谷山 安泰寺」の門葉寺院として名前を連ねています。

足利尊氏所縁の饗庭郷三社三箇寺


三社
・饗庭:牛頭天王社(饗庭神社)
・友国:春日神社
・小山田:神明社
三箇寺
・饗庭:金蓮寺
・小山田:勝楽寺
・乙川:正法寺

医王山正法寺 所在地

参拝記

前回紹介した正法寺古墳に寄り添うように建っているのが「医王山 正法寺」になります。実際、正法寺古墳公園へ行くには正法寺の境内を横切っていく必要があります。

ストリートビューを見て頂くとわかりますが、周囲に比べて正法寺の建つ境内が高い場所にあるのがわかっていただけるかと思います。

境内入口

石柱門と参道部分が瑞垣で囲まれた境内入口にです。なんだろう・・・寺院の入口にはあまりみえず、むしろ神社の境内入口に見えてしまうなあ。

昭和二十二年と昭和二十八年の台風による高潮被害の潮位を記した高潮標になります。
ぼちぼち内陸にこの正法寺は位置しているのですが、ここまで高潮が来ているんですね。自然の力は恐ろしいです。

実際、この正法寺、正法寺古墳の近くにある白浜小学校では、地震による津波注意報などが発令された時はこの正法寺古墳に逃げる様になっているそうです。古墳山頂まで登れば10m近く高い場所になります。

手水舎・水盤

なんとなく使われている気配がまったくしない瓦葺木造四本柱タイプの手水舎になります。
手水舎周辺は綺麗な秋桜が咲き乱れています。

鐘突堂

先日の鉄製品供出で梵鐘を供出してしまったと思われる、鐘突堂になります。鐘突堂は梵鐘が吊り下げられているのが前提で建築されているので、鐘が無くなるとバランスが崩れて倒壊しやすいと聞いたのですがどうなんでしょうね。

本堂

コンクリート造りの本堂になります。
向拝部分に唐破風の様な意匠を設けていたりして寺院であることを表現しているんだと思うのですが、陸屋根になっているのもあって、本堂というより講堂の様な印象を受けます。

薬師堂

西尾市の指定文化財:建築物に指定されている薬師堂になります。


西尾市の文化財紹介

https://www.city.nishio.aichi.jp/index.cfm/8,14735,91,408,html


西尾市の文化財指定の名勝は「正法寺薬師堂拝殿」になっていますね。
こちらの薬師堂、単純に言うと神社様式で建てられている薬師堂です。当サイトでも神社の建築様式を説明することがありますが、こちらの薬師堂は、拝殿・幣殿・本殿が一体化された形になっています。

そもそも、寺院で幣帛などは使わないので、幣殿は必要ないと思うのですが、このあたりが神仏習合の時代の名残なんでしょうね。神社に寄せた造りになっている割に、屋根の形状が神社ではあまり見かけない寄棟造になっている点も面白いところですね。

正法寺の文化財

西尾市指定文化財

・薬師堂拝殿
・薬師如来坐像
・阿弥陀如来坐像
・金鼓
・今川義元朱印状など正法寺文書

が指定されています。

参拝を終えて

観音堂の脇に、岡田祠堂と灯篭に彫られた建物が建っていました。
"祠堂"は初めて聞いた言葉ですね・・・。

調べてみると・・・

"祠堂"とは・・・

仏教で,祖先の位牌を祀ってある堂のこと。寺院の位牌堂 (信徒の位牌を一堂に集めたところ) も祠堂という。

だそうです。こういった祠堂(位牌堂)って仏教のすべての宗派に存在するのかな?。

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