伊勢市

二見輿玉神社(三重県伊勢市)

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

 新愛知新聞社が昭和二年(1927年)に「愛知県の新十名所を読者投票で決定する。」というイベントを実施します。愛知県下を狂気の投票合戦へと誘ったこのイベントへの投票総数は驚異の1400万票以上。また、100票以上の投票を集めた名所候補は67カ所にも上ります。2022年、当サイトではこの67ヵ所の名所を巡り紹介していこうと思います。

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神社情報

神社名:二見興玉神社
鎮座地:三重県伊勢市二見町江五七五番地
御祭神:猿田彦神・宇迦之御魂神
旧社格:村社
創 建:天平年間
境内社:龍宮社(大綿津見神)

参拝日:2014年5月5日

御由緒

祭神 猿田彦大神 宇迦御魂大神
垂仁天皇の御代皇女倭姫命 天照皇大神の神霊を奉載して此の二見浦に御船を停め神縁深き猿田彦大神出現の神跡である海上の興玉神石を敬拝し給う 即ち夫婦岩に注連縄を 張り拝所を設けたが其后天平 年間僧行基興玉社を創建す
明治に至り宇迦御魂大神を合 祀して二見興玉神社と称する
古来日の出の名所としてまた 伊勢参宮の禊所として有名で ある。

境内御由緒板より


二見浦夫婦岩(立石さん)の沖合いには猿田彦大神の霊跡とされる興玉神石が鎮座している。夫婦岩に注連縄を張ってその神石の石門とし、神石遥拝所を設けたのが起源であるという。社内には龍宮社があり、綿津見大神を祀っている。また古くより伊勢参宮に先立ち二見の浜で沐浴する習慣があり、浜参宮、浜行きと称す。明治41年(1908)に宇迦之御魂大神を祀る三宮神社を合祀、昭和二十年(1945)には栄野神社を合祀して現社名に改めた。

三重県神社庁より

参拝記

二見浦の海岸線沿いの岩山部分に沿うように社殿が建っているのがこの二見輿玉神社になります。神社名より夫婦岩のが有名かも?
二見の海岸線沿いは神社の外苑のようになっているらしく
futami2こんな碑があります。

futami3碑の建っている場所から神社の方向を向くと、こんな感じで道が続いていきます。
写真左側の堤防から外はもう海!二見浦の海岸線がつながっていきます。

そんな海岸線を歩いていくと、賓日館という建物が現れます。

賓日館

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賓日館は明治20年、伊勢神宮に参拝する賓客の休憩・宿泊施設として、神宮の崇敬団体・神苑会によって建設されました。
明治天皇の母であられる英照皇太后のご宿泊に間に合うようにと、明治19年12月に着工、翌年2月19日に竣工。
これほどの短期間で格調高い建物が完成したのは驚異といえましょう。
その後、明治末期から大正初期にかけてと昭和初期の2回の大増改築を重ね、現在の状態となったのです。

明治24年7月29日から3週間余り、ご幼少時の大正天皇(明宮嘉仁親王)が避暑や療養、水泳訓練などを兼ねて滞在されたのをはじめ、歴代諸皇族、各界要人が数多く宿泊されました。
そして明治44年2月には隣接する二見館(三重県初の政府登録国際観光ホテル)に払い下げられ、二見館の別館として平成11年まで貴人の宿泊所とされてきました。
二見館の休業後、平成15年に二見町に寄贈。 賓日館では、建物だけでなく庭園も含めて、当時一流の建築家による品格のある洗練されたデザイン、選び抜かれた材料やそれに応える職人たちの技など、日本の伝統建築の粋を目の当たりにすることができます。

建築学的見地からだけでなく、明治から大正、昭和、平成へと二見町の近代史を語り伝える国指定重要文化財です。

賓日館ホームページより


明治期からの天皇家に所縁のある建物が建っているのも伊勢という土地柄なんでしょうかね。

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賓日館ちかくに建つ碑、二見浦清記念碑
伊勢神宮の東8キロのところに、なだらかな山が起伏し、数多くの杉や松が緑をなす海に面した二見浦という土地がある。 遥か彼方から波が打ち寄せ、二つの岩が並び立っている。 これが二見という地名の由来である。 対岸には愛知県の山々が黛(まゆずみ)をひいたように見え、霞(かすみ)がたなびく波間に見え隠れする。 晴れた空から陽光が海上に降り注ぐと、燦然(さんぜん)と輝き正視できないほどまばゆい。
優れた成分を含むこの海の潮に浸れば疾病も癒される。 この海浜は天界と俗界の境界をなし、住民も自らの財産として海潮を疾病治療に利用してきた。 この優れた海潮は満々と水を湛え尽きない。
こうした名勝と優れた海潮を全国に宣伝しようと住民は日々努力していたところ、英照(えいしょう)皇太后陛下(明治天皇のお母様)が当地へ来られることを聞き驚喜して快哉を叫び、われ先にと鋤(すき)やもっこなどの道具を背負って険しい土地を切り開いて道を造った(鳥羽街道)。
神宮の崇敬団体・神苑会会員は皇太后陛下ご滞在のため賓客の宿・賓日館を建築した。 明治24年7月、明宮嘉仁(はるのみや よしひと)皇太子殿下(後の大正天皇)が賓日館に長期滞在され、人々は遠方からも慶賀に訪れた。
これにより名勝・二見浦とその海潮の霊験は全国津々浦々に広まり、保養に当地を訪れるお客は日に日にその数を増やしている。   ・・・・・明治26年3月  と書かれています。


賓日館の説明の所と被っている記述がありますね。

futami7そうこうしている内に、二見輿玉神社の鳥居が見えてきました。
海岸線にせり出すように山が迫っているのがよくわかりますね。

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かなり大きい社号標と一の鳥居になります。

futami9徐々に墨が風化しつつある御由緒板になります。これだけしっかり書いてくれれば、読みやすいんですけどね。

futami10一の鳥居越しの風景です。
参道が右側に海沿いを進んでいくため、ここからでは社殿は望めませんね。

狛犬

futami1台座には昭和5年生まれと彫られていましたが、なんとなくそれより新しい感じがします。

futami11二の鳥居越しに臨みますが・・・まだ海しか見えませんね。
しかし、こういったまさに海沿いの神社っていうのも、新鮮な気持ちになります。

天の岩屋

futami12二の鳥居から右に曲がりながら参道を進んでいくと、天の岩屋が現れます。

天の岩屋=天岩戸の伝説としては、宮崎県の高千穂が有名ですが、ここ二見輿玉神社にも天岩戸伝説があるそうです。天鈿女命のまさに踊っている場面の石造があり、天岩戸のエピソードを彷彿とさせます。

古くは「石神(しゃくじん)」と称された宇迦乃御霊大神(豊受大神とも)を祀った三宮神社の遺跡であるとされています(現在合祀された三宮神社の旧鎮座地)。なお、この岩窟は「日の出に対する日の入り」を表し、天照大神と豊受大神の関係に通じると伝えられているそうです。

手水舎・水盤

futami13この神社の水盤が非常に変わっていて・・・

futami14水盤の中にも蛙がいます。満願蛙というみたいですね。

二見蛙

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まさに、境内のいたるところに蛙がいます。
何故に蛙なのか。

この二見輿玉神社の祭神である猿田彦神のお使いとされているのが二見蛙になります。まさにここの神社にいる蛙たちの事をいうようです。

「蛙」=「カエル」=「返る」「帰る」・・・ 「無事に帰る」「お金が返る」「若返る」

語呂合わせ的なところもありますね。
近くのお土産屋さんでは、この語呂合わせに合わせた蛙の御守りなんかを数多く取り扱っていますよ。

社殿

futami15猫の額のような境内に建つ社殿で、妻入りタイプの拝殿です。本殿に対し、拝殿が大きく作られております。
社殿奥に見えるのは授与所になり、ここではオリジナルの御朱印帳を購入する事が出来ます。
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玉垣に囲まれた本殿になります。伊勢らしく神明造りの本殿となります。

日の出、皇居 遙拝所

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本殿裏側にある遙拝所になります。夫婦岩越しに日の出をここから見る景色は最高でしょうね。

夫婦岩

futami21それほど、この夫婦岩は有名ですよね。
参拝した日は、あいにくの雨模様でしたが、年に3回行われる注連縄の張替の日だったようで、取り外された注連縄が運ばれていました。

この夫婦岩を拝んでいる方がいるそうなんですが、実は夫婦岩は鳥居の様な物なんです。
夫婦岩の先700m程いった所の海中に霊石「興玉神石」があり、それがこの二見興玉神社の本質であり、 「興玉神石」の遥拝所として成立したのが当社の起こりなんです。
だから、しめ縄が夫婦岩の間に掲げられるんです。futamiokitama12ちなみに、現地に行かなければ私も知らなかった事なんですが、夫婦岩周辺にも3つの大きい岩がありまして、それぞれ名前がついています。
んで、鳥帽子岩が海流などの浸食(御神威の為)により最近は蛙岩と呼ばれるようになってきているとか。


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拝殿前から参道方面を望みます。
海沿いの神社という事で、地元岡崎周辺の神社参拝では味わえない雰囲気を堪能できました。


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三重県伊勢市二見町江五七五番地

 

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