八幡社(名古屋市瑞穂区本願寺町)

神社紹介

神社名八幡社
鎮座地名古屋市瑞穂区本願寺町二丁目一番
御祭神應神天皇、菊理毘売命
旧社格村社
創 建不詳
神名帳
境内社稲荷社、津島社、秋葉社
例祭日十月第二土曜日
御朱印
H P

参拝日:2019年12月11日

由緒・沿革

 江戸時代には本願寺村が存在し、その本願寺村から付けられたとされる「本願寺町」に鎮座する八幡社。「本願寺町」と書かれた標識を最初見た時、てっきり近くに「本願寺」があるもしくは、あった場所なのかな?と想像していたのですが、Wikipediaを見てみると、真宗の門徒が多かった事から「本願寺」の名がつけられたとあります。お寺は関係なかったようです・・・。

 本願寺村について 「尾張徇行記」という書物には

「権現、八幡、山ノ神二社 境内二反二十七歩前々除 薬師寺支配ス」

と書かれています。権現は「白山社」八幡というのは、今回参拝する「八幡社」を指すと思います。更に出てくる「薬師寺」とは、本願寺町内に現在もある「瑠璃山薬師寺」になります。今回はこちらの薬師寺は参拝していないのですが、大名古屋八十八ヶ所の三十八番札所になっている寺院でもありますので、近いうちに参拝する事になるかと思います。
 「支配ス」とは、薬師寺が白山社、八幡社、山神社二社の合計四社の別当となっていた事を示していているはずです。

愛知県神社庁発刊の愛知県神社名鑑には

創建は明らかではない。「尾張志」に”八幡ノ社西の島という所にあり此地本居神なり。本願寺むらにあり”と産土神として崇敬ふかく、明治五年、村社に列格する。同四十年、字内の白山社を合祀する。この白山社は「尾張志」に”東の島に在り此地の本居神なり菊理媛命を祭る”と白山社の処分代金をもって豊明村に神饌田を設け神饌を自給していたが不在地主として戦後没収せられた。境内内は昭和十一年耕地整理の余剰地二二三坪を寄進された。

愛知県神社庁「愛知県神社名鑑」より

とあります。神社の田は地主不在となってしまうのでしょうかね。

名古屋二十一大師霊場を行-寄り道遍-

 十八番札所「龍王山海上寺/紹介記事」の納経を終えた後、十七番札所「増益山大喜寺/参拝記事」に向かう為に、一方通行の道路を進み大喜寺方面に進んでいく途中、神社の境内を見つけ、近くの標識をみたら「本願寺町」とあったので、おや?本願寺に関係する神社なのか?と勝手に想像して参拝していく事に。

参拝記

 八幡社の南北に通る道は一方通行となっているので注意してください。区画整理されたほぼ正方形の境内地となっています。今回の参拝の旅で初めて境内の広い神社に出会いました。

境内入口

神明鳥居と旧社格と八幡社と白山社が併記されている社号標が据えられてている境内入口となります。

手水舎・水盤

 木像瓦葺四本柱タイプの手水舎になります。水盤の大きさに対し、かなり手水舎が大きく作られているのと、大きさに対し柱がかなり細い為、なんかスカスカな印象を受ける手水舎です。

社殿

 切妻造瓦葺妻入りの開放型の拝殿と瑞垣と神門で囲まれた本殿の社殿となります。この社殿の造りは尾張地方でよく見かける様式になります。豊田市の一部の地域でもこの様式によく似た社殿を持つ神社があるのですが、こちらは拝殿と神門の間を通り抜ける事ができる点が、尾張地方の社殿配置と異なる部分になります。
 こういった社殿配置で拝殿前に「蕃塀」があれば、より尾張地方の神社だなと実感できます。ただ、近年造営工事で社殿を作り直ししまうと、拝殿中で祈祷ができる様にと「拝殿-幣殿-本殿」が一体となった社殿になってしまう場合が非常に多いですね。確かに、神事を執り行うには非常に便利な社殿様式なんですが、どんどん画一的になっていく様でなんだか寂しいですね。

境内社

 境内社の秋葉社、津島社、稲荷社になります。
 稲荷社には非常に多くの鳥居と幟が奉納されていて、崇敬を集めている事がわかります。

参拝を終えて

 八幡社境内には、地蔵菩薩と役行者像が奉安されている祠もありました。
 神仏習合時代には、もっと仏像などが境内に安置されていたんだろうなと想像できます。

鎮座地を地図で確認

神社名八幡社
鎮座地名古屋市瑞穂区本願寺町二丁目一番
最寄駅名古屋市営地下鉄 桜通線「瑞穂区役所駅」3番出口徒歩7分

次の目的地は?

名古屋二十一大師霊場十七番札所「増益山大喜寺/参拝記事」を目指します。

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