歴史紀行

愛知県の旧官幣社で唯一行った事のない「津島神社」を参拝しつつ、織田家関連の史跡も併せて巡る。 妄想旅行記第3弾

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

 新愛知新聞社が昭和二年(1927年)に「愛知県の新十名所を読者投票で決定する。」というイベントを実施します。愛知県下を狂気の投票合戦へと誘ったこのイベントへの投票総数は驚異の1400万票以上。また、100票以上の投票を集めた名所候補は67カ所にも上ります。2022年、当サイトではこの67ヵ所の名所を巡り紹介していこうと思います。

 これまで幾度ともなく参拝しようと思っては、何故か直前になると所用が発生したりたりして今まで参拝する事が叶わなかった「津島神社」を妄想参拝していこうと思います。津島神社を参拝すれば愛知県下の旧官幣社をすべて参拝したことになります。

津島神社とは?

 愛知県津島市に鎮座する「津島神社/公式web」全国に三千社余り存在する津島神社、天王社の総本山となる神社になります。明治時代から戦前までの社格では「国幣小社」に列格しています。現在の祭神は「建速須佐之男命」ですが、戦前までの神仏習合期は「牛頭天王」を祭神としていました。
 そんな津島神社が鎮座する「津島の地」は現在では江戸時代の天明五年(1785年)からの治水・干拓事業によりかなり内陸に位置するようになってしまいましたが、元々は海に面しており(「尾張國養老元年之図」ではまさに海に浮かぶ島と紹介されています。)、古来から湊(港)町として発展し、「宮」と共に伊勢湾の海運の中心地として非常に栄えた地になります。
 そして、清州三奉行の織田信定が津島を手に入れてから、その一族(織田弾正忠家)は急速に力を伸ばし、織田信秀、織田信長と続く戦国大名へと駆け上がっていく切っ掛けとなります。織田家、元はその家臣であった豊臣家の多大なる庇護を受けた「津島神社」はそれまで以上に発展を遂げています。

 清州三奉行と呼ばれた地位だった織田弾正忠家が、他の奉行だけではなく、清州城の尾張下四郡守護代に補任された織田大和守家をも凌ぐ勢力を持つことができたのも津島の地から治められる莫大な資金があったからと言われています。そして、信秀の後を継いだ「織田信長」の天下布武にも津島の経済力は非常に寄与したはずです。

 「西の八坂に東の津島」とも称された天王信仰の中心である「津島神社」なんですが、江戸時代までは神仏習合の中で「津島牛頭天王社」と呼ばれていました。長い歴史の中で、スサノオは牛頭天王と習合し、本地仏は「薬師如来」とされていました。当然津島牛頭天王社も本尊として薬師如来像が奉安されていましたが、明治政府による神仏分離令により津島神社と改称した上で、本尊であった薬師如来像は排斥されてしまいます。この薬師如来像は津島牛頭天王社の神宮寺の中で唯一残った「牛頭山宝寿寺」に移され現在でも祀られています。

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津島神社周辺の地図を見てみる

 当然、第一目標は「津島神社」となるのですが、合わせて本地仏として津島牛頭天王社の本尊として祀られていた薬師如来が安置されている「牛頭山宝寿寺」を参拝していく事は、まあ決定事項です。
 地図を見ていると、津島神社の南東に楕円形の池が非常に目を引きます。公園名の「天王川公園」からも分かるかと思いますが、元々は天王川という津島を流れる川だったそうなのですが、流れ込んでいた佐屋川が廃川となった為、孤立してしまい、地元の人々の要望で池として保存されるようになったんだとか。少し前まで動物園などもあったようです。

 地図を拡大していくと、津島神社と津島駅の間には非常に多くの寺院、神社がある事に気が付きます。ストリートビューとかでどんなお寺かなとみていると、紫地に「津島霊場会」と白抜きで書かれた幟が掲げられているのに気が付きました。「津島霊場会」とな?Webで調べると津島市の寺院が集まった霊場の様です。十九ヶ寺と番外四ヶ寺の合計二十三ヶ所で構成された霊場になります。納経帳も用意されている様ですので、巡礼してみたいとは思いますが、100%一日で結願できない自信があります。

後醍醐天皇の孫、曾孫の菩提寺がある様です。

 そんな中、南北朝時代、御醍醐天皇の孫とか曾孫とか言われている「尹良親王」「良王親王」の菩提寺が津島にある様です。尹良親王の菩提寺が「亀伯山大龍寺」、尹良親王の御子である良王親王の菩提寺が「鏡池山瑞泉寺」になります。

後醍醐天皇 ━ 宗良親王 ━ 尹良親王 ━ 良王親王

 後醍醐天皇の御子である宗良親王は南朝の征夷大将軍として南朝の武官の中心人物となります。全国的に劣勢に追い込まれていた南朝方として、吉野以外では唯一と言ってもいいくらいの勢力圏が「井伊谷谷」であり「大河原」になるのだが、この勢力圏を築いたのが「宗良親王」です。女城主の井伊直虎で井伊家の本拠地であるのが井伊谷であり、井伊家の菩提寺である「龍潭寺」を中興したのが宗良親王であり、すぐ隣に鎮座する「井伊谷宮/公式web」は宗良親王を祭神として祀っています。

 宗良親王の孫御子にあたる良王親王は、大河原から作手の正行寺に逃げ潜んでいたが、北朝側の追っ手が迫ってきた為、津島四家七名字に付き添われて津島の奴野城に入城したと言います。そして良王親王の子孫は津島神社の社家として存続しています。

・尹良親王の菩提寺「亀伯山大龍寺」
・良王親王の菩提寺「鏡池山瑞泉寺」
・奴野城があった場所に建つ「岳翁山西方寺」
・良王親王伝説地の碑が建つ「良王神社(熊野社)」

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織田弾正忠家の居城「勝幡城」

 織田信長の祖父「織田信定」が築城したという「勝幡城」が津島の北東に当たる場所にありました。この勝幡城を築城する事により津島の地を支配でき、織田弾正忠家が発展した切っ掛けとなる訳です。
 勝幡城址には石碑が建っている様です。まあ、遺構は宅地化されている為全く残っていない訳ですが。あと、勝幡駅前に「織田信秀と土田御前と吉法師の銅像」があるようですので、こちらも併せて見に行きたいですね。

妄想旅行記第三弾ー津島遍ー
  • 岡崎
  • 1
    津島神社
  • 2
    牛頭山宝寿寺
  • 3
    鏡池山瑞泉寺
  • 4
    岳翁山西方寺
  • 5
    良王神社(熊野社)
  • 6
    亀伯山大龍寺
  • 7
    勝幡城址
  • 8
    勝幡駅前
  • 岡崎

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