神社情報
神社名:幡頭神社
鎮座地:西尾市西幡豆町江尻3−8
御祭神:建稲種命
旧社格:ー
創 建:不明
境内社:ー
例大祭:十月第一日曜日
御朱印:-
H P:-
参拝日:2017年1月3日
御由緒
境内に「欠の亀岩」という岩が祀られています。亀岩がこの幡頭神社の由緒につながる岩になります。
欠の亀岩
昭和二年に愛知県の十名所のひとつに選ばれた幡豆海岸、四番組のこの地に「亀岩」はあります。
いつごろから「亀岩」と呼ばれるようになったのかわかりませんが、こんな言い伝えがあります。
古代、景行天皇の命を受けて日本武尊は東の国々を征伐にいきました。その時、活躍した建稲種命は帰りの道、駿河の海で遭難し、やがて遺骸が欠(四番組)の「亀岩」に流れ着きました。それを村人が丁寧に葬って祀ったのが、幡豆神社です。
いわれのある「亀岩」は今もこうして大切にされています。
境内案内板より
参拝記
神社周辺情報
西幡豆の小さな砂浜の前に鎮座するのがこの幡頭神社になります。
写真に写っている小高い山の半島部分は吉良温泉街があり、その奥に今回紹介している幡頭神社と同名称の幡頭神社が鎮座しています。
幡豆神社(西尾市吉良町宮崎)
境内入口
槙囲いに囲まれた境内になります。
社殿が海に向かって建っていて、なかなか趣のある境内かと思います。
社号標
神社の社号標はありませんが、愛知県十名所に指定された時作成された「愛知県十名所幡豆海岸」と彫られた碑が代わりに鎮座しています。
鳥居
神明鳥居がお出迎え。
手水舎・水盤
瓦葺四柱タイプの手水舎です。水盤は岩をくり抜いた形です。
狛犬
生まれがいつだったか調べ忘れ年齢不詳の狛犬一対。
欠の亀岩
社殿前には、建稲種命の遺骸が流れ着いたとされる亀岩が玉垣に囲まれて今も残っています。
拝見させて頂くと・・・亀と言われればそうとも見えますが・・・
今でこそ、沿岸工事で神社自体が堤防の中になってしまい陸地に入ってしまっていますが、昔は海岸線に鎮座する神社だったそうで、この亀岩も海の中にあったのだろうと思います。
社殿
入母屋造、瓦葺、平入の拝殿になります。
近年修繕が行われたのか、非常に綺麗な社殿です。
本殿(覆殿)部分の屋根の造りが非常に特徴的で、切妻屋根を改装して千木、鰹木を設けて神明造風の屋根になっています。
境内社
たなびく幟。境内社の秋葉神社の幟になります。
秋葉山の常夜燈にお札が掲げられています。
懸魚・鬼瓦
鰭付きの懸魚になるのですが・・・残念ながら懸魚が割れてしまっています。
六葉、鰭に特徴があるので、非常に残念です。
参拝を終えて
海岸線にひっそりと建つ小さな神社ですが、ヤマトタケル由来の神社になり、非常に興味がそそられる神社ではないでしょうか。
この建稲種命の伝説はこの地以外にも、吉良町宮崎や衣浦などで言い伝え、民話として語り継がれています。そんな、亀岩にまつわる民話をご紹介します。
幡豆民話「かめいわ」
ずいぶんむかしのことです。日本武尊(やまとたけるのみこと)が天皇のいいつけで、東の国々をせいばつに行きました。
この時、建稲種命(たけいなだねのみこと)も大勢の兵を連れてお供をしました。
その帰り道、日本武尊は陸地を通って、とちゅうの国々の様子を見ながら帰りました。建稲種命は、船で港の様子を見て帰ることになりました。
船は大きな帆に風をいっぱい受け、遠くに陸地や島をながめながら、西へ西へと進みました。とても気持ちよい船旅でした。
そして、駿河(するが)のおきまでやって来た時です。
「おお、なんと美しい鳥だ。見たこともないが、だれかあの鳥の名を知っておるか。」
命(みこと)は、供の者にたずねましたが、だれ一人知っている者はいません。
白い大きな鳥は、海にゆらゆらういて、時々広げる羽は、にじのようにかがやいていました。
ヒユルル…、ヒユルル。
鳴く声も、命は大変気に入りました。
(あの鳥をとらえて、日本武尊にさし上げたら、さぞお喜びになるだろうな。)
そう思った命は、どうしても手に入れたくなり、供の者につかまえるように言いました。
二そうの船で、あちらへこちらへと追いかけました。大きな船は思うようには動かず、身の軽い鳥は、ふわりふわりと船の問をすりぬけていきます。ようやく追いつめたかと思うと、美しい羽をばっと広げて飛び上がります。
しかし、あきらめませんでした。供の者たちは、命の望みをかなえてあげようと、時のたつのも忘れて鳥を追い続けました。そのために、おきの方から黒い雲が近づいて来るのに、少しも気がつきませんでした。
黒い雲はたちまち空いっぱいに広がりました。風が一ふき、ヒユーと起こったかと思うと、海が山のように盛り上がり、船が大きくかたむきました。
「帆を下げろ! かじをしっかり持て!」
命の声も聞こえないはど、風と雨と波があれくるっていました。
それから、どのくらいの時がたったのでしょうか。
空も明るくなり、再び静かな海がもどってきました。
けれども、命たちの船も、鳥の姿もどこにも見当たりませんでした。
その後、いく日もいく日も過ぎました。
幡豆の欠(かけ)のはまは、遠浅で貝がたくさんとれました。猟師は貝とりや、小舟でつりに出たり、おきであみを投げて漁をしたりしていました。
辺りのながめはすばらしく、海岸にはところどころ岩が顔を出して、寄せる波に洗われていました。
その岩の中に、一つだけ海がめの背中のような形をしたものがありました。漁師仲間は、「かめいわ」と呼んで、めずらしがっていました。
そのかめいわに、ある朝、みなれない白いものがのっていました。
「おい、あれはなんだ!」
さわぎながら漁師たちが近づいてみると、なんと、それは遺がいでした。しかも、一目で高貴な身分の方と分かりました。
「そう言えば、えらい人が駿河の海でそうなんしたとか言っていたなあ。」
「おれも聞いとる。なんとかの命らしいな。」
「もし、そのお方なら、こりゃあ、大変なことだぜ。」
欠の村はこれは一大事と、大さわぎになりました。
やがて、村人によって、海岸近くに社が建てられ、その遺がいは建稲種命として祭られました。そして、いわれのあるかめいわも、周りにさくを作り、しめなわをはって、社の前に大切に残されました。