名古屋二十一大師 名古屋市瑞穂区 大名古屋八十八

増益山大喜寺(名古屋市瑞穂区大喜町) 名古屋二十一大師十七番札所

2020年2月21日

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

 新愛知新聞社が昭和二年(1927年)に「愛知県の新十名所を読者投票で決定する。」というイベントを実施します。愛知県下を狂気の投票合戦へと誘ったこのイベントへの投票総数は驚異の1400万票以上。また、100票以上の投票を集めた名所候補は67カ所にも上ります。2022年、当サイトではこの67ヵ所の名所を巡り紹介していこうと思います。

寺院情報

寺院名増益山大喜寺
所在地愛知県名古屋市瑞穂区大喜町三番二十号
御本尊大日如来
宗 派真言宗豊山派
創 建正保元年(1644年)
札 所名古屋二十一大師 十七番札所
大名古屋八十八 四十番札所
尾張新四国霊場 七番札所
御朱印
H P

参拝日:2019年12月11日

名古屋二十一大師札所一覧

由緒・沿革

 江戸時代の頃、この辺りは「大喜村」とう集落だったそうです。周囲が発展し、明治維新を迎え市町村合併がどんどん進んでいくと、「愛知郡呼続村大字瑞穂字田光」といつの間にやら「大喜」という地名が消えてしまっていました。その後、名古屋市と合併しても、「名古屋市瑞穂区田光」という「大喜」という地名に消えたままだったのですが、大東亜戦争敗戦直後の昭和二十年九月、行政区変更で「大喜町」が復活しています。

 この「大喜」という地名は、元々の郷名の「太毛」が"おおげ"から"たいぎ"に変化したという説、近くで発掘された「大金寺」と墨書きされた器が見つかり、その「大金」が変化した説など諸説あるようです。

 そんな「大喜」は熱田神宮の東に位置しています。熱田神宮が鎮座する「熱田台地」と大喜寺がたつ「瑞穂台地」の間は海とまでは行かなかったと思いますが、湿地帯もしくは干潟が広がる低地帯が広がっていました。室町時代の頃になると、徐々に干拓され熱田台地と瑞穂台地がいわば陸続きになり、徐々に熱田神宮の影響力が瑞穂台地に広がったとされています。

 そして、大喜村には熱田神宮の神官であった「大喜五郎丸」が屋敷が建てています。元々は「守部性」の一族なのですが、代々「大喜五郎丸」と名乗ったという事ですので、この大喜五郎丸は通称ってことでしょうか。
 そして大喜五郎丸の屋敷に熱田神宮の遥拝所を設けたと「張州府志」に書かれています。この屋敷に設けられた遥拝所こそ、今回紹介する「大喜寺」の始まりになります。

ここで、大喜寺の境内にあった名古屋市の案内板を見てみます。

 大喜寺は増益山と号し、真言宗。
 本尊は大日如来で、その昔弘法大師が勧請した五仏の一体で、古来、熱田神宮の本地仏といわれた秘仏である。
 この寺の境内に地蔵堂があり、高さ百十センチメートル程の花崗岩に浮彫された地蔵菩薩像が安置してある。この地蔵は、この付近の鎌倉街道沿いにあったもので「尾張名所図会」にも記されている。風化が進んで痛々しいが鎌倉時代の作と言われている。

名古屋市教育委員会

 神仏習合時代、熱田神宮の祭神である「熱田大神」の本地仏は「大日如来」であるとされていました。その本地仏である「大日如来」を奉安する為に大喜氏は自らの屋敷に「大日堂」を建てていたと考えられます。この本地である大日如来を通じて熱田大神を遥拝していたんでしょう。嘉吉年間(1441-1444年)には大喜氏はこの地を離れて熱田神宮に近い白鳥の地に移動しますが、大日如来は大喜の地で引き続き奉安されているようです。

名古屋二十一大師霊場を行く

 十八番札所「龍王山海上寺/紹介記事」の納経を終え、海上寺の前を通る道を南下していくことになります。再び海上寺から大喜寺に向かう場合、一方通行が邪魔するので迂回する必要が出てきます。さらに、大喜寺周辺は非常に分かりにくい道になっているので、かなり注意して運転してください。しかし、今回巡ってみて、十七番札所「大喜寺」から二十番札所「龍福寺」までは素直に札所順に納経した方が正解だという事が身に沁みましたので、二巡目以降はこの教訓を胸に順番に納経していく事にします。

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参拝記

 非常に分かりにくい道を抜けて大喜寺までたどり着けたら、駐車場は結構ゆとりある感じで用意されています。しかし、こういう細道&住宅地内の寺院を巡る時はバイクは頼もしいです。岡崎から名古屋までバイクで遠征したのはこの参拝した日が初めての経験だったのですが、車と違って駐車場に関してほぼ気にしなくて済んでしまうのがとても楽ですね。

山門

 袖壁の設けられた薬医門になります。このご時世、寺院にも「セコムはいってます。」は必要なようですね。

地蔵堂

 由緒の所でも出てきていた地蔵堂になります。この御堂の中に、鎌倉街道沿いに置かれていた地蔵尊が奉安されています。

 増益山と号し、真言宗豊山派で高野山弥勒院に属する。創建は正保元年(1644)と伝えられる。本尊の大日如来は熱田神宮本地仏とされる秘仏。境内に安置される地蔵座像石仏は、もと鎌倉街道沿いの寺山地蔵塚にあったと伝えられ扁平な花崗岩の中央に地蔵菩薩の座像を彫り、光背を彫りくぼめてある。鎌倉時代の石仏としては市内唯一。同じく境内には青面金剛像の庚申塔があるが年紀は明らかでない。

名古屋瑞穂区市役所ホームページより

本堂

 寄棟造瓦葺平入の向拝のある本堂になります。
 たぶん、こちらに本尊である大日如来が奉安されていると思いますが・・。

大師堂

 宝形型瓦葺の大師堂になります。大師堂の前には弘法大師誕生千二百年と弘法大師遠忌千百年の石碑が建てられています。この組み合わせは中々少ないのでは?

「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」・・・

所在地を地図で確認

寺院名増益山大喜寺
所在地愛知県名古屋市瑞穂区大喜町三番二十号
最寄駅名古屋市営バス 「大喜バス停」徒歩8分

次の目的地は?

 ここ大喜寺で名古屋二十一大師遍路の旅初日が終了となります。初めて名古屋市内を巡っている割には九カ所も札所を回れたところをみると、順調に遍路できたんだろうと思われます。
 次回は、十番札所「雲龍山宝蔵院/紹介記事」の納経から遍路を始め、中川区、港区を巡り、更にこの日は「名古屋三弘法/札所紹介記事」も併せて遍路していきます。

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