大通院(西尾市吉良町寺嶋) 三河海岸大師八十一番札所

藤波畷の戦いで壮絶な討ち死にをした富永伴五郎。この戦いで富永一族も壮絶な討ち死にをしたと伝えられています。そんな富永氏の菩提寺が藤波畷の戦いの碑がある場所からほど近くにあるそうですので向かってみたいと思います。


藤波畷の戦い


寺院情報

寺院名:大通院
鎮座地:愛知県西尾市吉良町寺嶋御手洗38番地1
本 尊:不明
宗 派:浄土宗西山深草派
創 建:不明
H P:-
札 所:三河海岸大師 八十一番札所

参拝記

創建年代は不明ながら、開祖は慈覚大師であると伝えられており、これが真実ならば、遣唐使として帰国してから亡くなるまでの間に創建されたと考えられるので、そうすると、847年~864年の間に創建したと考えられます。

創建当初は当然開祖が慈覚大師ですので、天台宗の寺院であり、かなり大規模な寺院であったことが境内にあった大通院縁起に記されています。

現在の大通院から北に少し離れた所に瀬門神社が鎮座しています。自分の想像では神宮寺っていうのは神社と接している感じがするんですが、かなり離れた場所に鎮座しているんですよね。想像ですが、徳川方の兵火によって灰塵と帰した後、再興の際現在の場所に移動したのか、明治政府の神仏分離策で神宮寺を廃寺として現在の場所に移動したのかは・・・。


県道42号線沿いに鎮座する大通院ですが、山門は存在せず、正面側にある地蔵堂がなければ気付かずに通過してしまいそうな雰囲気になっています。

地蔵様はかなり風化が進んでおり、はっきりとしたお姿が残っている物はないですね。

県道からみら大通院の雰囲気をストリートビューで確認してみてください。

本堂を正面から。
入母屋造の妻入りの御堂になります。

妻入りの本堂は間口に比べて奥行きが長い場合に使われていると思うのですが、かりに奥行きが長かったとしても平入本堂の寺院のが圧倒的多数だと思います。なんか、妻入りは神社の様だという事で採用しない宗派もあるんだとか・・・。愛知県に住んでると神社も圧倒的に平入なんですけどねえ・・・。

本堂の脇には墓地がありその一角に富永一族の墓石もあります。

四基の宝篋印塔が安置されています。現在一番右の一際大きい宝篋印塔に富永伴五郎之墓と書かれた板が掲げられていますが、一説には富永一族の誰の墓なのかわかっていないという話もあったります。ただ、この場所に伴五郎は眠っているのは確かなんでしょう。


富永伴五郎の説明板。
前回長々と書いた藤波畷の戦いと富永伴五郎の事が簡素にまとめられています。あれだけ長々書く必要があったのでしょうか・・・。


さて、寺院情報にも記載しましたが、この大通院、三河海岸大師の札所になっています。ただ、寺津地区と異なり、札所を示す石碑を残念ながら確認することはできませんでした。この駮馬を中心としたエリアも三河海岸大師の札所の指定されている寺院が数多くあります。こちらの霊場巡りもできる限り紹介していきます。

投稿者プロフィール

成瀬晃ドクターレザーおかざき 店主
愛知県岡崎市で「かばん・くつ✚革の病院ドクターレザーおかざき」を営んでいる成瀬と申します。
史跡、神社などを巡った事をなどをつぶやきつつ、お店のブログではつぶやけないような事も書いていこうかと思っています。
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三河海岸大師八十八ヶ所 西尾市
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