寺院情報
寺院名 | 龍王山海上寺 |
所在地 | 愛知県名古屋市瑞穂区直来町五番五号 |
御本尊 | 薬師如来 |
宗 派 | 真言宗豊山派 |
創 建 | 不詳 |
札 所 | 名古屋二十一大師 十八番札所 大名古屋八十八 三十九番札所 |
御朱印 | 〇 |
H P | - |
参拝日:2019年12月11日
名古屋二十一大師札所一覧
由緒・沿革
龍王山海上寺の本尊である「薬師如来」は、名古屋名所図会(全編巻五)によると、「弘法大師が刻んだと伝わる薬師如来像で古来から「粟薬師」として信仰されている」と記載されています。何故に「粟薬師」と言われるようなったのかは、西尾市にある岩瀬文庫に収蔵されている「粟薬師如来縁記/詳細」が詳しく描かれているのですが、「霊験著しいとして、参拝者が絶えず、また参拝時に必ず粟を奉納していた」という事から粟薬師と呼ばれるようになったようです。
しかし、境内前の案内板によると、明治時代以降、乳花薬師と呼ばれているそうです。
母乳満足と幼児の息災守護で知られ、乳受けを願う人は綿花で作った乳形のぬいぐるみを奉納し、乳が多すぎる人は、乳預けをするという珍しい信仰で「ちばなやくし」の名前で親しまれている。
という事らしいのです。たしかに、本堂前には乳形の絵馬?が多数掲げれらえていて、とても信仰されているのを実感しました。
「乳花薬師」
海上寺は龍王山と号し、真言宗。寛永十六年(1639年)の中興開基と伝えられる。この薬師は、「尾張名所図会」によれば、俗に粟薬師の名で知られていたが、明治以降、乳花薬師と呼ばれるようになった。乳形の縫いぐるみを奉納すると乳が授かるといい、また乳あずけという信仰もある。各地にこのような信仰は分布しているが、当地方では珍しい
名古屋市教育委員会
粟を供する信仰からどのように変遷して乳形の縫いぐるみを奉納する信仰に替わっていったのか。そこにはどういった時代背景があるのか。こういった信仰の変遷も知ってみたい所です。
ところで、この寺院が建っている辺りは瑞穂台地と呼ばれる台地の西端に位置し、寺のすぐ下あたりまで伊勢湾が迫っていました。満ち潮の時に熱田神宮あたりから海上寺方面を望むとまるで海の上にお寺が建っているかのように見える事から「海上寺」としたとも言われています。
最後に、大正十二年に発刊された「愛知郡誌」に書かれた海上寺の由緒を紹介します。
呼続町大字瑞穂字奥の坊に在り。境内一千五坪。真言宗にして紀州高野山弥勒院末なり。創建年月詳かならず。寛永十六年九月、誠音法印中興開基せり。享保中改建し、天保六年又造営せり、桑師佛を本尊とす。霊験著しとして来訪する者多し。宝拝必ず粟を供す。依て俗に「粟薬師」と称す。
名古屋二十一大師霊場を行く
名古屋二十一大師霊場十九番札所「瑞穂山金龍寺/紹介記事」の納経を終え、さらに南に進んでいきます。一番簡単に金龍寺→海上寺へと向かう事ができる道が「千種部道」を進んでいく事なんですが、車やバイクで納経している場合、残念ながら「千種部道」が一方通行になっていて逆走となってしまう為、迂回しながら向かう事になります。札順に遍路される場合は、とても巡りやすい区間になる訳ですが・・・。
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参拝記
海上寺は「ちばな保育園」を経営しています。送り迎えの時間は、送迎の方で寺院前は混雑しそうですので、その時間の納経は避けた方がよろしそうです。それ以外では、海上寺周囲は一方通行と双方通行の道路が混在している感じで、注意しないとあれ?逆走?ってなってしまいそうで慣れてないと怖い感じです。
山門
袖壁が設けられている薬医門の山門になります。門の軒高などに比べて屋根の大きさがかなり大きく、かなり頭でっかちな印象を受けます。
本堂
境内は保育園の園庭も兼ねていて、参拝した時には園児達が遊んでので彼らが写らないように場所を探していたら、本堂の写真はこの一枚しか。本堂は寄棟造瓦葺平入の向拝がもうけられた様式になっています。
絵馬かけの様な所には、乳側の縫いぐるみが張られた絵馬が掲げられています。
大師堂
思いっきり保育園の園庭の中にある宝形造の向拝が設けられた屋根の大師堂になります。園児達が遊んでいたので、遠くから納経しようと思っていたら、「どうぞ、中に入って近くまで行って納経して下さい。」と住職さんに言ってもらえたので、子供たちが遊ぶ園庭の中を抜けて近くで納経させて頂きました。
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地図で所在地を確認
寺院名 | 龍王山海上寺 |
所在地 | 愛知県名古屋市瑞穂区直来町五番五号 |
最寄駅 | 名古屋市営バス 「大喜バス停」徒歩7分 |