神社紹介
ONE POINT
戦前には「国宝」、戦後は「重要文化財」に指定されている本殿が鎮座している上地八幡宮の紹介です。源平合戦の際、東国から平家追討の為に出陣した「源範頼」が戦勝の祈願を行い、壇ノ浦の戦いで平家が滅亡後、三河守に叙任された範頼が戦勝祈願を行った祠を建久元年(1190年)に建て直したと伝わる。
近年では、境内に植えられている「鬱金桜」の桜祭りの知名度が非常に上がり、この時期の「桜祭り限定御朱印」が用意されている。
神社概要
神社名 | 上地八幡宮 |
鎮座地 | 愛知県岡崎市上地町宮脇四十八番地(Googlemap) |
例大祭 | 十一月第一日曜日 |
御由緒
平家追討戦いにおいて弟の源義経と共に追討軍の大将軍として一ノ谷の戦いで平家に大打撃を与えた「源範頼」は、元暦元年(1184年)に三河守を叙任を受け、兄である「源頼朝」との間に確執が起き失脚する建久4年(1193年)8月までの間、三河国を経営を行った。Wikipediaには「範頼の名で建立された寺が存在している事から高い政治能力も持っていた。」書かれています。この源範頼の名で社殿を造営されたのが今回紹介する岡崎市上地町に鎮座する八幡宮になります。地元では鎮座する上地の地名を合わせて「上地八幡宮」と呼ばれています。
永寿三年(1184年)に木曽義仲と平家の討伐する為に兄源頼朝の代理として大軍を率いて京に攻め上がっていきます。この上洛の中、大見藤六の邸宅に滞在し、八幡社に戦勝の祈願をし、「この戦いに勝利した暁には、社殿を創建致します。」という誓約を行ったといいます。
その後、三河守になった源範頼は、建久元年(1190年)頃に誓約に従い社殿を造営。この時、元の御祭神である八幡神と鎌倉の鶴岡八幡宮から八幡神を勧請し、合わせて祀ったとしています。
- 永寿三年(1184年)、源範頼、大見藤六邸に鎮座し八幡宮を参拝
- 建久元年(1190年)、源範頼、鶴岡八幡宮から八幡神を勧請し八幡宮を造営
- 室町時代(永禄七年(1564年)以降か?)、重要文化財に指定されている本殿建立
- 元禄十三年(1700年)、本殿に彩色が行われる。
- 寛保三年(1743年)、石鳥居が建立される。
- 安永七年(1778年)、本殿に覆屋(鞘堂)が設けられる。
- 明治五年(1872年)、村社に列格。
- 明治四十年(1907年)、神饌幣帛料供進指定をうける。
- 明治四十二年(1909年)、字荒井の神明社を合祀。
- 大正二年(1913年)、字大谷の神明社を合祀。
創 建 | 建久元年(1190年) |
御祭神 | 応神天皇、天照大御神、八剱命、仁徳天皇 |
旧社格 | 指定村社 |
神名帳 | ー |
社伝に源範頼、平家追討の途次、当所の豪士大見藤六の家に一泊あり。邸内の八幡社に祈願す。壇ノ浦にて平家亡ぶ。範頼、三河守となる。宝六に社殿を建立する時に建久元年(1190年)のことなり。元禄十三年(1700年)十二月、本殿を彩色す。領主松平弾正忠調調度品を献進。寛保三年(1743年)八月、石鳥居を建てる。宝暦六年(1756年)本殿大修理を行う。明治五年十月十二日、村社に列し、同四十年十月二十六日、神饌幣帛料供進指定をうける。同四十二年七月十五日、字荒井の神明社を本殿に合祀する。大正二年四月十四日、字大谷村村社神明社を本社に合祀する。同七年七月社殿の大修理を行う。同十四年九月、本殿一棟、国宝に指定せらる。昭和二十三年。拝殿を新築。同五十年斎館、社務所を新築。同五十八年、境内の整備玉垣を新築する。
愛知県神社庁発刊「愛知県神社名鑑」
御祭神
主祭神
- 応神天皇
応神天皇とは?
第十五代天皇。
第十四代仲哀天皇と神功皇后との間に生まれた御子。神功皇后は、臨月だった時に新羅征伐に出陣しており、この時石をお腹にまいて、出産を送らせたというエピソードが古事記などに描かれています。
戦の神とも呼ばれる「八幡神」と同一視され、宇佐八幡宮の由緒では「八幡神は応神天皇の御神霊であり、欽明天皇の御代である571年に宇佐の地に始めてご示顕になった。」と書かれています。神仏習合時には八幡神は阿弥陀如来を本地としており、天応元年(781年)朝廷は宇佐八幡宮を鎮護国家・仏教守護の神として八幡大菩薩の神号を贈った。
さらに、武士が台頭してくる平安時代後半の頃には戦の神である事から武士たちの崇敬を集め、全国に八幡宮が勧請されるなど「八幡信仰」が非常に盛んになっています。
明治維新を迎え、神仏分離が行われると、八幡大菩薩を御祭神としていてきた八幡宮の多くは御祭神を「応神天皇」としています。
配祀神
- 天照大御神
- 八剱命
- 仁徳天皇
明治、大正時代に合祀した神明宮の御祭神である天照大御神と神明宮境内社であった若宮八幡宮の御祭神である仁徳天皇、そして由緒ではいつ合祀したのかは不明ですが熱田社又は八剱神社の御祭神である八剣命が祀られています。
境内社
境内社 | 秋葉社 健勲社 |
文化財
国 宝 | ー |
国指定 | 本殿/文化財ナビ愛知 |
県指定 | ー |
市指定 町指定 村指定 | ー |
参拝情報
御朱印 | 〇 |
URL | https://ueji80000.com/index.html |
駐車場 | 〇 |
参拝日 | 2014年7月6日 |
霊 場 | ー |
参拝記
岡崎市の南部に位置する上地町に鎮座する上地八幡宮は、参道と境内の途中をJR東海道本線が横切っている神社としてもまあまあその名を知られている神社になります。
旧国道248号線(現在の県道483号線)が敷設された時に上地八幡宮の東側に造られた参道が現在では主要な参道となっていますが、元々の正面参道は境内から踏切を渡った先に設けられている参道になります。
参道入口
社号標、石灯籠一対、扁額が掲げられた明神鳥居による一の鳥居が据えらえた参道入口になります。元々の参道入口はここではなく、もう少し南に位置した場所にあった様なのですが、道路の敷設や参道の一部の共用化などでこの場所に移動しています。しかし、短くなったとはいえ、住宅地の中にこれだけ緑に覆われた参道を有している神社も少なくなってきているので、ある意味貴重な参道であるといえます。
参道
参道入口から緑の中を進んでいくと参道を横切る様にJR東海の東海道本線の線路が南北に通り抜けています。上地八幡宮と同様に参道を横切る様に線路が敷設された神社は全国的に見れば結構な社数があるとおもうのですが、その多くは踏切が設置されまさに参道が分断されてしまった神社が大半だと思われ、ここの参道のように踏切が設置されている場所はそんなに多くないのではと思います。まあ、だからこそ、参道を横切る鉄道がテレビで紹介されたりするんだと思うんですが。
境内入口
JR東海の東海道本線の踏切を渡ると社号標、石造りの明神鳥居による二の鳥居、石灯篭が一対据えられている上地八幡宮の境内入口が見えてきます。
踏切を渡り境内入口まで石畳が敷設されるなど境内周辺の整備がかなり進められている印象です。
手水舎
木造銅板葺四本柱タイプの手水舎になります。柱の太さ、間隔に比べて屋根のサイズが気持ち大きいかな?っていう印象ですが、それよりも手水舎の周囲がまさに水場といった感じで整備されているのが特徴の手水舎になります。こうした手水舎と水盤以外の周囲の整備まで行われている神社や寺院はあまり見かけないかと思います。
狛犬
境内入口部分と本殿を囲む瑞垣内にそれぞれ一対の狛犬が据えられています。さらに、県道側の参道にはたぶん中国製のかなり大型な狛犬が据えられています。
社殿
切妻造銅板葺平入の高覧のある濡れ縁が設けられた拝殿を有する社殿になります。そして、神門を有する瑞垣に囲まれて鎮座している本殿が国の重要文化財に指定されています。
三間社流造の本殿になります。現在ではかなり色せてしまっていきていますが、江戸時代に装飾された朱の色を確認する事ができます。色々流造の本殿も拝見させて頂いてきていますが、上地八幡宮の本殿の特徴はその屋根勾配にあるかと思います。なかなかここまでそそり立つような屋根を有する本殿は他では見られません。
境内社
社殿向かって左手に鎮座する境内社の秋葉社と健勲社になります。健勲社は戦争で亡くなった英霊を祭る神社になります。
うなり石
社殿右手には「うなり石」が祀られています。このうなり石には下記のような伝説が伝えられいます。
うなり石の伝説
かつて塩の道であった大谷坂(おおやざか)は昼間でも木々に囲まれ暗い長い山道でした。
この大谷の山では今まさに陰雨の落ちはじめようとする時、低く重く地を這うような山を震わすような響き声が聞こえてきたといいます。
あまりの恐ろしさにこの道を行く人たちは大急ぎでその場から立ち去ったそうです。
しかしこの唸り声を聞いた者は無事に旅を終えることができたためいつしかこの山には旅人を守る「うなり石」があると言われるようになりました。
このまま山の中に埋もれさせておくのは恐れ多いことだと八幡宮に移しおまつりすることになりました。
現在も霊験あらたかな伝説の奇石として信仰を集めています。
左近の鬱金桜
桜の木の根の保護の為周囲を保護されている鬱金桜になります。かなり以前にはなるのですが鬱金桜についてGoogle先生に尋ねてみると、鬱金桜は非常に珍しい桜でその昔はここ上地八幡宮の物を含めて十数本しかなかったとする説を紹介されましたが・・・・本当かしら?・・・自分の実家にも普通に鬱金桜が植えられているんですが・・・。
鎮座地を神社で確認
神社名 | 上地八幡宮 |
鎮座地 | 愛知県岡崎市上地町宮脇四十八番地(Googlemap) |
最寄駅 | 電車:JR東海 東海道本線「岡崎駅」下車 バス:名鉄バス「願成寺前バス停」徒歩3分 |