神社紹介
神社名 | 諏訪神社 |
鎮座地 | 愛知県岡崎市梅園町虎石七番地 |
御祭神 | 建御名方命 |
旧社格 | 村社 |
創 建 | 大永三年(1523年)六月二十一日 |
神名帳 | ー |
境内社 | ー |
例祭日 | 八月二十六日 |
御朱印 | ー |
H P | ー |
参拝日:2020年11月25日
御由緒
社記によると、大永三年(1523年)六月二十日に、願主は岡崎城主「松平弾左衛門源信貞」となり諏訪大明神を勧請創建されたとあります。その後、諏訪神社が鎮座する地に徳川家康により泰翁を開山として「諏訪山誓願寺/紹介記事」が創建され、諏訪神社は誓願寺の鎮守社となっていきます。
明治時代となり、神仏分離の政策によって誓願寺の別当から離れて、元々誓願寺の境内の一角を諏訪神社の境内地として分割され、地域の産土神となり、明治五年に村社に列格しています。
社記に大永三年(1523年)六月二十一日、城主「松平弾左衛門源信貞」が信濃国諏訪大明神を勧請する。永禄年中、徳川家康社領十一石を寄進あり。明治五年十月十二日、村社に列格した。昭和二十年七月十九日、空襲により社殿を焼失したが再建する。
愛知県神社庁発刊「愛知県神社名鑑」より
参拝記
江戸時代を通じて諏訪山誓願寺の鎮守社として祭祀が行われてきた諏訪神社という事もあって、現在でもまるで誓願寺の鎮守社じゃないの?と思ってしまう場所に諏訪神社の境内地があったります。
どういった感じで境内地を分割したのかはよく分からないのですが、誓願寺の境内地の一部の様な場所に諏訪神社が鎮座しています。ちなみにこの写真を撮影しているのは、岡崎三十六地蔵霊場の七番札所となっている地蔵堂周辺から撮影しています。空襲の影響からか、諏訪神社と誓願寺の境内地の間には遮るものがなにもないのが見て取れるかと思います。
元禄六年(1693年)に建立された明神鳥居と旧社格「村社」がコンクリートによって塗りつぶされている社号標になります。自分が見てきた鳥居の中でもかなり古い建立時期の鳥居かと思います。
岡崎市の指定文化財となっている天正十六年(1588年)建立の石灯篭になります。まだ徳川家康が関東移封となる前に諏訪神社に寄進された灯篭と聞くと、すごく古く感じます。
昭和七年生まれの子乗り玉乗りの狛犬一対になります。
戦後再建された諏訪神社の本殿になります。拝殿などは設けられておらず、本殿のみの社殿となっています。誓願寺の鎮守社として奉斎されてきた経緯を考えると、元々拝殿が設けられていなかったのかもしれませんね。
地図で鎮座地を確認
神社名 | 諏訪神社 |
鎮座地 | 愛知県岡崎市梅園町虎石七番地 |
最寄駅 | 名鉄バス「籠田公園バス停」徒歩4分 |
ご自宅にお札は祀られていますか?
実家には神棚はあっても、今お住いの所には神棚がない方も多いかと思います。神棚には、日本の氏神である"天照大御神"とご自身がお住いの氏神様のお札を掲げると御神徳が宿るとされています。
賃貸住宅などに住まわれて簡単に神棚を掲げられないという方もお勧めなのが、
南向き、もしくは東向きになる様に、そして目線の高さより上になる様に、棚などの上において頂くとよいかと思います。是非、皆様もご自宅に神棚をご用意いただき、御札を納めてほしいなと思います。
願主である「松平信貞」については、当サイト「拾玉山大林寺/紹介記事」の中で詳しく紹介させて頂いているので、是非こちらを参照して頂きたいと思います。
元々現在の名鉄東岡崎駅周辺に岡崎城を築城したという「西郷氏」の血脈である「松平信定」はまたの名を「松平昌安」とも呼び、岡崎城下に寺院仏閣を建立してきた城主であったようです。結局、松平清康に屈し岡崎城を明け渡してしまいますが、岡崎の地に大きな功績を残した人物であると言えるかと思います。