八幡宮(愛知県岡崎市六供町)岡崎十二社

神社紹介

神社名八幡宮
鎮座地岡崎市六供町字甲越七番地
御祭神応神天皇
伊勢大神
菅原道真
大山咋命
倉稲魂神
徳川家康
旧社格神饌幣帛料供進指定村社
創 建永禄五年(1562年)
神名帳
境内社英霊社
例祭日十月第一月曜日
御朱印
H P

参拝日:2020年11月25日

御由緒

 岩津城主「松平信光」は碧海郡の安祥城を攻め落とすと、三男である「松平親忠」に与えて分立(安祥松平家)させています。この安祥城は後に織田家との間で争奪戦が展開されるなど松平家にとって運命を左右するほど非常に重要な城になっていきます。
 社伝によると、松平親忠は安祥城の守護として八幡大神を勧請、安祥城内に社を築いたのが八幡社の創建となるのですが、創建年については不詳のようです。その後、安祥松平家四代「松平清康」は松平家内で惣領格となっていた安祥松平家に対して反抗的だった岡崎城を本城とする岡崎(大草)松平家である松平(西郷)昌安の支城であった山中城を攻め落とすと、松平昌安は岡崎城を清康に明け渡し、額田郡大草に隠居しています。その後、清康は岡崎城を現在の場所に新たに築城し、安祥松平家の本城を安祥城から岡崎城に移しています。この時、清康は安祥城下にあった薬師堂並びに六坊を「長輝山甲山寺/紹介記事」として、岡崎城の鬼門守護として移設させており、安祥城守護神であった八幡社を新たに築いた岡崎城守護神として岡崎城内に遷座させたそうです。

ポイント

 江戸時代を通じて八幡宮の別当を務めた甲山寺の由緒書に八幡宮に関する記述が残されています。この記述内容が八幡宮の由緒になっている様です。
・享禄三年、清康、安祥城より八幡宮を岡崎城本丸に遷座させる。
・永禄五年、家康、八幡宮を現在の甲山に遷座させる。
・慶長十八年、社殿再建。

岡崎城内から甲山に遷座したとする年代は、永禄五年の他に慶長七年、時の岡崎城主「本多豊後守康重」によって行われたとする資料も存在しているようです。

文化三年に本殿を再建すると共に境内社である「東照宮(御祭神:神君家康公)」と「日吉神社(御祭神:大山咋命)」を本殿に合祀、また時期は不明ながら「千日稲荷神社(御祭神:倉稲魂神)」を本殿に合祀しています。そして、明治維新後の明治四十年、境内社である「御鍬神社(御祭神:伊勢大神)」、大正七年には亀井町に鎮座する「天満宮(御祭神:菅原道真)」をそれぞれ本殿に合祀しています。

九等級 八幡宮 旧指定村社
鎮座地 岡崎市六供町字甲越七番地
祭 神 応神天皇、伊勢大神、菅原道真
    大山咋命、倉稲魂神、徳川家康
由 緒 もと安城の城内鎮守として城主松平親忠が勧請する。曾孫清康の代に岡崎城に移り、享禄三年(1530年)に岡崎城に遷座した。永禄五年(1562年)に徳川家康が社地を現在の地に移した。慶長八年(1613年)八月十八日、家康より十三石の朱印を寄進し、同十八年(1623年)八月社殿を再建する。その後延享三年(1746年)と文化三年(1806年)七月、社殿を改築し、千日稲荷神社を合祀する。明治五年十月十二日、村社に列し、同二十八年六月、本殿を修理した。同四十年十月二十六日、神饌幣帛料供進指定をうけた。同四十三年七月一日、境内社の御鍬社を合祀し、大正七年九月一日、亀井町の天満社を合祀した。
例祭日 九月十五日(十月第一月曜日) 

愛知県神社庁発刊「愛知県神社名鑑」より

霊場をいく

「おかまいり岡崎十二社&岡崎三十六地蔵スタンプラリー」を巡っていますが、岡崎三十六地蔵八番札所である 「長輝山甲山寺/紹介記事」 の参拝を終えて、本堂となっている護摩堂の右手にある石段を登り、岡崎十二社の六番札所である「八幡宮」に向かいます。(おかまいりでは「甲山八幡宮」となっています。)

 岡崎城下に鎮座する神社を巡る「おかまいり岡崎十二社スタンプラリー」
 かつては岡崎城下に鎮座する十二社を巡る霊場として造られたようですが、その後神社の合祀などがあり、今回スタンプラリーを実施する辺り松平家ゆかりの神社を加えるなどして十二社を再編した「(新)岡崎十二社」として生まれ変わっています。

参拝記

 岡崎三十六地蔵八番札所「長輝山甲山寺/紹介記事」の本堂裏に位置する場所に八幡宮は鎮座していて、甲山寺からは本堂脇に設けられている石段を登っていくと上記ストリートビューの場所に出る事ができるので、目の前が八幡宮の境内入口となっています。この八幡宮の境内に沿って山頂を目指してあるいていくと、岡崎市の指定史跡となっている甲山古墳があります。

 甲山寺の護摩堂(現在の本堂)の右手奥に石段があって、登った先に丁度鳥居が据えられている八幡宮の境内入口が見えています。こうした造りからも八幡宮と甲山寺の関係を感じる事ができます。

鳥居

 八幡宮の境内入口に据えられている扁額が掲げられた明神鳥居です。この鳥居を潜ると、境内に向かう参道が設けられているのですが、写真見て頂くと分かる様に、鳥居から真っ直ぐ参道が伸びている訳ではなく、鳥居を潜ると左手に参道が伸びています。

 そして、少し変則な造りの石段の参道を登っていくと、境内にたどり着きます。

 注連縄柱が据えられている境内入口です。

手水舎

 木造瓦葺四本柱タイプの手水舎になります。水盤の周りには跳ね返り防止の石造りの囲いが設けられています。

狛犬

 生年月を調べ忘れてしまいましたが、その造形から昭和生れだと思われる狛犬一対になります。

 狛犬の台座の脇に、朱塗りのおかまいり岡崎十二社スタンプラリーのスタンプ入れが設置されています。

社殿

 入母屋造瓦葺平入の拝殿を有する社殿になります。その脇の妻入りの建物は舞殿かな?
 社殿前の参道が赤焦げているのは、例祭の際にこの八幡宮では手筒花火の奉納が行われている為、その火薬で焼けた跡になるみたいです。

御大典記念

 戦艦の砲弾をモチーフにしたであろう御大典記念の石碑になります。大正と昭和どちらの御大典記念だったのかはそういえば確認し忘れてしまいました・・・。

地図で鎮座地を確認

神社名八幡宮
鎮座地岡崎市六供町字甲越七番地
最寄駅名鉄バス「本町バス停」徒歩12分

ご自宅にお札は祀られていますか?

実家には神棚はあっても、今お住いの所には神棚がない方も多いかと思います。神棚には、日本の氏神である”天照大御神”とご自身がお住いの氏神様のお札を掲げると御神徳が宿るとされています。
賃貸住宅などに住まわれて簡単に神棚を掲げられないという方もお勧めなのが、

南向き、もしくは東向きになる様に、そして目線の高さより上になる様に、棚などの上において頂くとよいかと思います。是非、皆様もご自宅に神棚をご用意いただき、御札を納めてほしいなと思います。

神社誌作成プロジェクト

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