神社名 | 常石神社 |
鎮座地 | 愛知県常滑市奥条七丁目二十三番地 |
御祭神 | 高皇産霊神、菊理姫命、大山積命 |
旧社格 | 神饌幣帛料供進指定村社 |
創 建 | 不詳 |
神名帳 | - |
境内社 | 金刀比羅社、山神社、白山社、砥鹿神社、御鍬社、秋葉社、津島神社、神明神社 |
例祭日 | 四月第二日曜日 |
御朱印 | - |
H P | - |
参拝日:2019年10月9日
御由緒
創建は明らかではない。社伝によれば、千代の峰に祀られていた古社を明応三年(1494年)にこの地に移転し、高宮と称した。尾張名所図絵では「本国帳に従三位常石天神とある是也」とある。明治五年、村社に列格し、同四十四年十月二十六日、指定村社となる。
「愛知県神社名鑑」より
当神社は元の高宮権現と称し和州金峯山蔵王権現の勧請なり。御神体は第29代安閑天皇であったが、明治維新に際し神仏混淆を禁ぜられた結果、造化の三神高皇産霊神に改められた。此の神は天地初発の時高天原に居られた神で天照大神を助け八百萬神を指揮せられ、現世に姿を現さず 幽冥に居られた神である。
常石神社の名称は尾張本国帳に「正二位常石神社」其の脇書に「常滑村高宮」と記されて居る物が最も古いとされ、此の書は元寇当時に出来たものである事から、当神社がそれ以前に既に正二位の待遇であった事が明らかである。
当社の旧記に依れば古来より常滑の地に祀られ、瀬木の千代の峯に総社として崇められて居たが、後土御門天皇の御代明応3年(1494年)3月現在の奥条7丁目の地に分離御遷座された。合祀の二神は大山積命(山神社)と菊理姫命(白山社)である。両社は徳磯52番地に鎮座されしを、明治44年10月本社に合祀された。
「境内案内板」より
知多四国霊場を行く
知多四国霊場六十三番札所「補陀洛山大善院」を納経し境内を散策した際、「中之院」と書かれた石碑と共に、尾張常滑郷瀬木千代之峯の総社が明応三年に奥条の常石神社、中之院、瀬木の神明社に分霊されたとありました。
知多四国巡礼の寄り道として、大善院中の院以外の二社を参拝していこうと思います。
参拝記
国道247号線の「奥条7交差点」を西に200mほど進むと、上記のような鳥居、石灯篭、社号標が据えられた参道入口が見えてきます。
ここから150mほど先に進むと二の鳥居を有する境内入口が見えてきます。
参道入口
大正天皇の御大典記念、御即位記念で建立された社号標と石鳥居になります。
神社の石造物・・鳥居、社号標、灯篭、瑞垣など・・は、大正天皇の即位の礼(大正四年)、昭和天皇の即位の礼(昭和三年)、皇紀二千六百年(昭和十五年)に設けられた物が非常に多くなっています。これには、戦前の神社は国有だったことが非常に影響していると思います。
これに対し、平成二年の即位の礼、又は令和元年の即位の礼では戦前程の規模での御大典記念として神社の造営は行われてはいない様です。戦後、国有から一神社一宗教法人となり、神社の経営基盤が非常に小さくなってしまったことも要因の一つかと思います。
参道
参道入口から150mほど続く参道になります。
常石神社とは敷地を接するように常滑市立常石保育園が建っており、参拝に伺った日は丁度常石保育園の運動会が開かれていて、常石神社の駐車場は見学に来た方用の駐車場になっていてました。この辺はバイクで巡っているので駐車場とかあまり気にしなくて済むので助かります。
境内入口
大型の石灯篭一対が設けられた奥が境内入口になります。
旧社格制度による村社の社格が彫られた社号標と小ぶりな明神鳥居が据えられています。
手水舎・水盤
木造瓦葺四本柱タイプの手水舎になります。
二の鳥居の手前側に設けられている手水舎です。
参道
境内入口の二の鳥居を潜り先に進むと、レンガ敷きの参道が奥に続いています。50mほど進むと、参道は石段に替わり社殿に向かって登っていきます。
石段はそんなに急ではないのですが、自分にとっては石段の段差が低く、低すぎて登りずらいなあと思いながら登っていきました。
社殿
石段を上ると、平坦な場所が広がっていて、その奥に、更に石段が設けられ一段高くなった場所に本殿が鎮座しています。石段を上った先には三の鳥居が設けられています。
切妻造瓦葺平入の拝殿と棟合わせで建てられた社務所になります。
流造の本殿が拝殿奥に鎮座しています。
狛犬
鬣?が立派な昭和三年生まれの狛犬一対になります。
前述していますが、こちらは昭和天皇の御大典記念になると思います。
遥拝所
常石神社を参拝した後、境内を散策したのですが、一番印象深かったのが、多くの遥拝所が建っていた事でしょうか。天照大御神(神宮)遥拝所は多く身か書けますが、多賀神社と神武天皇(畝傍山)遥拝所ははっきりと記憶はないのですが初見かもしれません。
さらに、常石神社には・・・
「天神地祇八百萬神」の遥拝所まで設けられていました。
すべての神々を参拝する事ができる「天神地祇八百萬遥拝所」・・・
もう、この遥拝所で参拝するだけでいいのでは?と思えてしまう遥拝所ですね。
境内社
記念の造営工事で境内社が纏められたようです。
向かって左の六社相殿は金刀比羅社、山神社、白山社、砥鹿神社、御鍬社、秋葉社になり、のこりの二社は津島神社、神明社となります。
常石神社の事を扱ったブロガーさんの記事を見ていると、造営工事以前は境内社はここではなく、天照大御神遥拝所近くに鎮座していたようです。
参拝していた時には、鬼瓦が置かれていて、なんで基壇を設けて鬼瓦を並べているんだろうと不思議に思っていたのですが、前述の様に他の方のブログを見ていたら、なるほどここに境内社が鎮座していたのかと納得した次第です。
参拝を終えて
本殿の手前側に据えられている 常滑焼で作られた狛犬が鎮座していました。本殿を挟んだ反対側にも対の狛犬が鎮座しているようなのですが、玉垣があり見る事ができませんでした。
こちらの狛犬は明治二十二年生まれの常滑焼き狛犬でして、作者は下田生素氏です。いろいろなサイトを見ているとこの下田氏はこの時代を代表する常滑焼きの名工のおひとりなんだとか。
地図で鎮座地を確認
神社名 | 常石神社 |
鎮座地 | 愛知県常滑市奥条七丁目二十三番地 |
最寄駅 | 知多バス 半田常滑線「奥栄町バス停」徒歩3分 |
ご自宅にお札は祀られていますか?
実家には神棚はあっても、今お住いの所には神棚がない方も多いかと思います。神棚には、日本の氏神である"天照大御神"とご自身がお住いの氏神様のお札を掲げると御神徳が宿るとされています。 賃貸住宅などに住まわれて簡単に神棚を掲げられないという方もお勧めなのが、 https://amzn.to/2PsGN9s 南向き、もしくは東向きになる様に、そして目線の高さより上になる様に、棚などの上において頂くとよいかと思います。是非、皆様もご自宅に神棚をご用意いただき、御札を納めてほしいなと思います。
神社誌作成プロジェクト
次の目的地は?
瀬木の神明社と呼ばれた「尾張常滑郷瀬木千代之峯の総社」の流れはくむ神明社を参拝します。